ホリスティック薬剤師 山田智子です

 

毎日残暑猛暑ですねー

道産子の私、8月末に北海道にこの時期久し振りに帰省しましたが

朝の気温、19度。ホッカイロ買いました

だって前の日まで36度対応していたんですから。

この時期、本州と北海道の違いを猛烈に感じる時期かも。

そういえば道北名寄高校出身の私、修学旅行は9月中旬、北海道は寒い。

夏服に、上着を着まくって出発し、青函連絡船に乗り、夜行列車に乗り、

新幹線に乗り、京都に着いて、猛暑!!!でした。

 

なんて事思い出していると、定期の母との電話の時間。

私、母に2週間ごとにバッチフラワーコンサルテーション療法をしています。

最初は私の妹の50回忌の後に、

やっぱり今でも思い出して悲しいんだよねーという母に

だまされたと思って使ってみて!と、癒しのレメディを渡した事がきっかけでした。

飲んだ母、なにこれ!すごい、泣けるけど眠れる!!!と

泣きながら電話してきました。

もう1人子供、つまり私がいるからあきらめよう、でも、でも、と

そういう話を子供の私にしないようにしてきたんですよね

私、メンタルケアのプロだから、いいんだよ、何でも言って。

それがコンサルのはじまりでした。

 

以来2週間ごとに定期コンサルをしています。

親のグチは受け続けるとこっちも参りますが、お互い時間を決めて、プロとして。

5年になります

この夏、久し振りに母にあった娘と次男が

おばあちゃん、かわったね、話聞いてくれる、と。

(つまり、前は聞いてくれなかった笑)

 

 

今回の母のコンサル。

母は70年前、戦後、北海道から東京の短大衣服科に遊学していました

夏休みが終わってちょうど9月の6日か7日、そのあたりに

北海道旭川から東京に戻る、東京に着いたら、

ウールのセーターやカーディガンが暑くて着ていられない!!!

でも東京のヒトって暑くても秋の装いをするのよ、私は無理だった!

なんて話は私も子供の頃から聞いていました。

それが。

 

今回母が、いいました。

 

私、70年ぶりに思い出したわ

あのセーター、おばあちゃんが、夏中かかって、

東京に行くのに間に合うようにって編んでくれていたのよ

辛子色でね

北海道出る時は絶対いるものね

私のために編んでくれていたんだよね

 

母と実の母、つまり私の祖母は仲が悪く

それは子供の時から感じていました。

母のコンサルの5年、ほぼ80パーセントは実の母に愛してもらえない。

その話でした。

これでもか、とバッチレメディ飲んでもらいました。笑

 

そうしたら。70年ぶりに思い出したのです

私も初耳。びっくり‼️

 

お母さん、もう、愛してもらえないレメディ、ついに卒業だね

というと

そうだね、と電話口のむこうで笑っていました

 

時では解決できなかった我が家の問題でした

 

こんな事があるから、

ホリスティックな癒しの道はやめられないなって思います

ホリスティック薬剤師 山田智子です

 

いつも読んでくださりありがとうございます。

 

先月6月6日、引越しをしました。

前の賃貸が耐震工事補強でついに建て替えが決まったのです。

人生引越し17回目。

多いですよね。

育った実家が転勤族でした。

辞令が出たら即、の心構えはいつも。引越しに耐性のあるコドモでした。

母に仕込まれた荷作りスピードは結構なものだと思います(笑)

成人してからは化学物質過敏症で、自分の健康に合う住居を求めて転々の時期も。

シンドイ時期でしたが、

自宅を健康リフォームしてからは自分に合う家のポイントがわかり

その後引越しするの必要が出た時に

悩まず家を選び、住み替えることができるようになりました。

 

そんな引越し慣れしている私たちですが、

今回の引越しの辛いこと辛いこと〜〜〜

原因は脳力の低下、トシってことです。

 

書類を役所や警察に提出、銀行やライフライン申込み

ちょっとした洗濯物の干し方の変化(物干し竿を買う必要が出たってことなんですけど)

ゴミ分別と収集の変化でうろたえる、え?何で風呂沸かせないの?

は?普通に使って壁焦げますか?

などなど、ひとつひとつがプチストレスなんですが、

束でかかってくるともうイヤ〜〜〜!!!

に、生まれて初めて落ち込みました。

 

夫もおんなじだったようです。

結婚までに私の引越しは8回、その後の引越しを一緒に付き合ってくれている同士です(笑)

新しい環境に適応するよう情報取り入れて理解して対応して。

ただ、その繰り返しですが、キツイ。ツライ。もうイヤ。

いちいちできないことに直面して、自分が悪いわけではないのに落ち込む。

できないことに向き合いたくない。向き合えない。変えることありすぎて気を失いそう!

トシをとって環境変えると一気にボケることがあるって聞くけれど

なんだか理解できるよねえ、と

還暦目前の2人、ボロボロ。

そして記憶力低下がハンパなく、

新しい家のどこに何を入れたか覚えられない(笑)

家具は変わらねど、キッチンは変わる。

キッチンからはみ出たものが玉突き状態で引き出しも変化、モノ大渋滞(笑)

 

絶対使うもの以外はキッチンに入れない!という強制断捨離と

徹底的なラベル貼りで、

なんとか生活可能状態です(笑)

ラベル貼るだけでたくさんあって面倒くさいんです!

夫と、今後2人で把握できる空間は6畳二間が限界だよねと、どちらからともなく声が。

トシとるってこういうことなんですね

 

 

 

 

書籍キラーストレスによると引越しのストレス度47点。高いです。

ライフイベント、いいことでもなんでもストレスになるのは実感できなかったけれど

環境変化に対応するのはストレスなのが今回よくわかりました

私は生まれつき転勤族の家だったので

ノウハウも伝授されていたし、

引越しストレス乗り越える教育されていたということですね

老化で学ぶ事は大きいです

 

トシとった引越し

長く人生経験積むと、それなりに対応が。

バッチフラワーを飲んで不必要な落ち込みや自己嫌悪感を払拭すること。

この一か月、仕事量が多すぎて自信を失う、のエルムと

レスキューレメディ飲みっぱなしです

 

 

 

また、休みは徹底的にとる事。

昨日は夫と2人で熱海の温泉で爆睡!ここしか休みが取れなかった。

ムスメは今期末試験の真っ最中ですが(笑)

 

 

これでなんとか仕事しながら生活成り立っています。

終の住処にたどり着くまでもう少し身軽でいたいなと思う私です

令和と共に始まった五月もラスト1日

忙しく飛び回っていましたが、実は私は疲れきっていました。

私が勝手に疲れていたのですが、私はこの疲れを平成疲れと呼んでいます(笑)

私は平成元年に結婚しました。
親の大反対を押し切っての一人っ子どおし
何とかゴールインに辿りつきましたが、この時点ですでにヘトヘト
そして子供ができず、当時の最先端の不妊治療にどっぷりと。
不妊治療が上手くいかなくて卵巣が刺激症候群となり腹水が溜まった入院。
雅子様のご成婚はベッドの中で泣いて見ていました。

令和イベントでたくさん思い出しました。

そして奇跡が起こり妊娠、振り返ると三人の子持ち。
お子さんを持たれた人はお分かりでしょうが、子供をもつと、社会的な役割が一気に増えます。
夫の家族も私の家族もいっぱい関わってきます。
何て言っても自分の孫はご自身のDNA入っています。黙ってはいません。

黙っているふりしてしっかり主張。

一人っ子の私には超絶難しい環境。ヘトヘト。

そして私はタイムリーなのか必然なのか、SFの様な壮絶な化学物質過敏症に。
毎日がインディジョーンズ。環境が自分に合わないと自律神経が狂ってしまう病気です。


電磁波過敏症でエネルギー環境も考えざるを得ませんでした。
極期の時は、電磁波がきつい時は太陽の黒点が多い、なども体験して、
地球環境だけでなく宇宙環境もつながっていると、呆気にとられた私。ヘトヘトの域を超えました(笑)


これに夫の癌が加わり、経済を考えて復職。
この間9回の引っ越し。化学物質過敏症で自分に合う家を探して転居も繰り返しました

気がつけば30年が終わっていました。
環境に適応するのに必死だった30年といえると思います。
平成を振り返る報道で一気に甦り、どっぷり疲れがぶり返した一か月でした。

環境が健康や病気治癒にに大きな影響を与えている事、みなさんもお分かりだと思います。
私は自分のまわりの環境を整え、自分にあった物を選択することで、健康を取り戻してきました。

さて環境。
私達の身近なものは、社会環境。

家庭、職場もしくは学校、地域です。

ここの環境が大切。


有害物質を取り除くのは大切な事です。

そして、同じく必要なな事はその環境の中でつながって生きる事です

私は化学物質過敏症を発症する前の健全ではない家族のつながりが、
いかに自分のエネルギーを浪費していたか、30年かかってやっと気がつくことができました。
だからヘトヘトだったのです。そりゃ病気にもなりますよね(笑)

私にあった環境の整え方。

それは自分をよく知る事から始まります。

そして環境にどう働きかけていくのか。

社会環境を考える上で、何よりも基本は家庭。
母と子です。
愛情深いはずの家庭環境でヘトヘトになった私。


だからこそ自分で自分に行ったバッチフラワーによる家族療法を
令和ではしっかりお伝えしていきたいなと思っています。