強迫観念というのは、不必要に気になって仕方がない考えのことを言います。

これが病的なになると、強迫性障害(OCD)といいます。

 

よくあるのは、以下のようなものです。

  • ドアの施錠をしたか不安で、何度も確認したくなる
  • 清潔かどうかが不安で、すべて消毒液でふかないとさわれない

この他にも、偏ったこだわりとして現れることがあります。

 

 

 
"こだわり" と強迫観念

 

アダルトチルドレンの方は、細かいことに強迫的な拘りを持つ人が多くいます。

 

強迫的というのは "ねばならい" "すごく気になる" という感覚のことで、それらの感覚を伴う考えを強迫観念と言います。

 

例えば、以下のような拘りを考えてみましょう。

  • 産地やブランドへの拘り
  • 価値観への拘り
  • 生き方への拘り

健全な人でも、このような拘りはありますが、それは、"嗜好" の範囲で、時と場合によっては拘りから外れるものも受け入れることができます。

が、強迫的になると、上記でないものが「認められない」「受け入れられない」という状態になり、拘りからずれるものを強く拒絶します。

 

 

強迫的な感覚を持ちやすい人は、生き方・価値観にも細かく融通の利かない拘りを持ちやすくなります。

 

例えば、以下のようなこだわりです。

  • 正義に拘る
  • ルールに拘る
  • やり方に拘る
  • マニュアルに拘る
  • 損得に拘る

一般的な常識ある大人は誰でも、これらを守ろうとしますが、健全な大人は、ある程度の寛容さを持っていて、「今回はxxだから大目にみよう」「これは良い方法みたいだから、マニュアルにないけど、やってみよう」といった柔軟性を持っています。

 

強迫的に拘る人は、そういった寛容さがなく厳格に守ろとします。

自分が信じている "型" から外れることを、強く嫌います。

 

 
偽の「しっかり者」

 

価値感やルールに拘る人は、一見「しっかり者」に見えます。

 

「しっかりとした、価値観を持っている」「ちゃんとルールを守れる」と見えるのです。

でも、本当は大きく異なります。

 

本当のしっかり者というのは、「自分や家族を守り」「社会と調和する」人のことを言います。

そのための軸ができていてブレない人のことで、こういう人は目的に関係のないことには寛容で柔軟に対応できます。

 

強迫的な人は、価値観やルールを守ることが第一優先になります。

困ったことに本人は、「家族を守る」「社会のため」と思っていますが、それも強迫的に妄信しているだけで、本当にその目的につながっているを客観的に考えることはありません。

 

予想外のことに対して動揺することが多く、柔軟に対応することが苦手ですから、他に悪者を作って言い訳をすることが多くなります。

 

 
周囲の人とのストレスを生む

 

強迫的な価値観を持つ人は、自分の価値観について、家族や親しい人に強く同意を求めたり、支配的に従うことを強要したりします。

 

また、外ではクレーマーになりやすくなります。

些細な店員のミスや商品の不備に目くじらを立て、責任者を呼び出して詫びを入れさせたり、明確な改善要望を求めたりします。

 

実際にクレームをつけなくても、家に帰ってその腹立たしさを反芻し、家族の人に対して店の不備について延々を話して聞かせ、自分の考えへの同意を強要したりします。

 

「正義で人を裁く」ということをしやすいのです。

 

これは、誰も幸せにしません。多数の従業員と商品を抱える店では多少の不備は仕方がないことですし、イヤなら別の店に行けばよいだけです。

 

 

仏教では、このような誰も幸せにしない非建設的な考えを「悪見(ムダな考え)」と言います。また、特定の信条や価値観を妄信することは、苦しみを生むものとして、諫めます。

 

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強迫的になる原因

 

強迫的になるのは、心の中に根本的な不安や恐れが大きく関係します。強迫性障害の一つの潔癖症なども、そもそも心になる不安・恐れが、「汚さ」に結び付いた症状です。

 

また、価値観やルールに頑なに守りたくなるのは、「自分がない」ことが関係します。自分が無いために、他人が作った価値観やルール、やり方に従ったり、過去に上手いった方法に拘り続けるのです。

自分の考えを否定され続けたり、誰かの期待通りに人になろうとし続けたことが関係すると思います。

 

そしてクレーム化するのは、心に内在する怒りが関係します。