行動分析の知識をつかって、自分や他人の行動を分解したり、その仕組みに興味を持つと、腹を立てる代わりに具体策に興味が向かうようになります。
個人攻撃につながる考え方の
- なんで、あいつはxxなんだ!
- なんで、私はダメなんだろう
という視点から、
- この困った状況は、誰のどの行動が影響しているのだろう?
- なぜ、その行動が増えるのだろう?増えないんだろう?
- それに影響を与える環境はなんだろう?
という視点に代わってきます。
こうなると、より客観的で建設的な思考ができるようになっていきますね。
アドラーの「課題の分離」との共通点も感じます。
まず、個人攻撃の特長を、考えてみます。
- その人の人間性や精神的状態に原因がある前提になっている
- 結果と原因のみに注意が向いて、具体的な方法論に繋がらない
- 人物の批評に陥って、改善策の議論にならない
- 具体的な行動に分解して、その頻度に着目する
- 行動がされない場合は、知らないのか、やらないのかを見極める。知らなければ教える。
- 知っている場合は、しない原因を見つける。したくなる環境を作る。
「食欲がないので、元気がでない」と言うことがあります。
いや、まてよ?
「元気がでないから、食欲がない」のかもしれません。
このような考え方を循環論と言います。
「元気がでない」と「食欲がない」は、因果関係というよりも、この場合は一つの状態について、目を向けている部分が違うだけかもしれません。
もっと、おかしな表現は「私は消極的なので、xxはできません」というものがあります。
これは、xxや○○ができないことを消極的というのかもしれません。
このような考え方にはまると、建設的なことに気づく機会を失ってしまいます。
「xxウィルスに感染したため、風邪の症状がでている」という考え方を前の記事で紹介した本の中では、医学モデルと呼んでいます。
私たちはこのような考え方をしやすい傾向があります。
この考え方を人の行動に当てはめると循環論に陥りやすくなったり、行動を変える方法の気づきから離れていきます。
たとえば、「こんな注文もまとめられないなんて、数字に対する気持ちがたらないからだ!」と言うことがあります。
私も・・・反省。
でも、これは「注文が取れないから、数字に対する気持ちが少ない」面もあります。
だとすれば、循環論です。
循環論に陥ると、改善の糸口を見つけられなくなります。
