地球は心をもっている―生命誕生とシンクロニシティーの科学/喰代 栄一

 
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特殊カメラやメディア、交通の便の発達などによって、近年では世界中の植物や生物の生態が、より明らかになっています。

自然界の有機物は全て、環境に対応すべく機能を備えており、そのカタチ、色、元素、そしてコミュニケーションや獲物を獲得する際に利用している超音波などの能力は、実にバラエティに富んでいて、まるで何者かが創りだした作品でもあるかのようです。


そして ダーウィンの進化論ではないですが、“これらの人智を超えた創造物の全ては、変化する天敵や環境に対抗すべく 自在にカタチを変えて進化してきた” のです。

すべてのカタチには生存に関わる理由があり、逆に不必要なパーツは退化していきます。 まるで生き続けることが生命全体の目的のように感じます。


また最近私はふと、“人間の頭脳が他の動物と比べて飛躍的に進化したのは偶然の産物ではなく、何かに意図された必然ではないのか?

と思うようになりました。

以前は、たまたまこの地球上の環境に適合している生物の中に頭脳的にも発展した人間がいるだけの話で、それは魚類よりは両生類、爬虫類よりは哺乳類というように、肉体の構成や環境が進化を促すのにより適していたからでしょう...と思っていました。


そんな折、この本の第一章ではDNAとRNAの見地から、

しっぽフリフリ生物が生きていく為に欠かせない働きをするタンパク質ができるために

は、アミノ酸がある特定の順番にならんでいなければいけないこと。

女の子人間を形づくる遺伝情報は、たった4種類の分子(アデニン、チミン、シト

シン、グアニン)が30億ペアのパターンで並んでいて、それが米粒のよう

な小さなスペースの中に静かに並んでいること。

男の子その配列は一人一人違っており、全ての配列が役割を持って間違いなく

機能しているということ。

ヒマワリ そういった組み立てが“偶然”にできあがる為には、宇宙の年齢以上も

かかるというほどの確率であり、可能性は“ゼロ”だということ。


などが順序だてて科学的・数学的データに基づいて書かれていました。

こんなにも精巧・緻密であるばかりか、尚、種の危機を感じる時には見事に天敵や新環境に適合する組織に組み替えてしまうしくみをも備えた生命体というのは、一体なんなのでしょう?

そしてなぜ生き続けることに地球生命全体のベクトルが向いているのでしょう?


少し長くなりそうですので、改めて書いていきます。

ここまで読んでいただいてありがとうございましたやや欠け月

生の全体性
生の全体性/J. クリシュナムルティ
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この本は、インドの哲学思想家クリシュナムルティ(1895-1986)、アメリカの理論物理学者デヴィッド・ボーム、そして、アメリカの精神分析医デヴィッド・シャインバーグの3名が語り合う討論会の内容を記録した本です。

デヴィッド・ボームはアインシュタインと共同作業も行っていた物理学者です。


この本は訳者あとがきから読まれることをお薦めします。 なぜなら3人のバック・グラウンドと、この討論会が行われた時代背景について記述され、各々心にどんな願いを託して人間の根本からの覚醒、本質への気づき(awareness) について討論していたのかが理解できるからです。

訳者の言葉を借りるなら、『緊迫する核戦争の危機に対して、アインシュタインがガンディーに寄せた深い関心と、デヴィッド・ボームがクリシュナムルティという覚者を通じて流れている創造的エネルギー、人類を救うことになるかもしれない覚醒のエネルギー、いわゆる慈悲心に深い関心を寄せたこととは、通底している』 ということです。


畑の違う彼らが人間の意識の実体にせまるべく問答は、試行錯誤の末に、

ある論理的で明らかな場所へと導いてくれます。 時にその抽象的で飛躍したクリシュナムルティ氏の思考回路についていけず、何度か見失いそうにもなりましたが、読み終えたあとにはまるで自分が瞑想を終えたかのようなクリアな感覚と、彼の一貫した理論が実は非常にシンプルで理に叶ったものであることに別の『私』が気づいているのです。


人間の意識は『断片化』しているといいます。 言いかえると、人は誰もが自分をどこかにカテゴライズしており、その枠内のポジションにいることで安心しているのです。

自分が何かの断片(一部分)でいる限り、生命の全体像(真理)を理解することなどできず、世界中から戦争や格差がなくなる安定した日など到底やってこないのだと言います。


人間の断片化された思考は『イメージ』 となり、有形・無形を問わず、それが現実となります。

自然や人間以外の生物を覗いては、ほとんどが『イメージ』にすぎません。

そしてそれが『イメージ』である限り、永遠なものなど1つもなく、悩みや苦しみの元凶でもあるのだと説きます。

なぜなら『イメージ』は常に変化しているうえに、人間の持つイメージには限界があり大差はないからです。

世界中どこに暮らす人も同じような 『イメージ』 の基本構造を持つが故に、人は現実とのギャップに混乱し、傷つき傷つけ合い、欺かれてもしまうのです。


そしてまた 『私』 というものも、過去の経験を元に自ら生み出したイメージにすぎず、思考過程から独立した現実(リアル)ではないのです。

テーブル、国家、幻想、音楽など、思考によって作り上げたもの全てと何ら変わらないということです。


『私』 =思考の運動 から存在し得るものであり、思考を止めた時にイメージである 『私』 は消え、沈黙が生まれたかのようになります。


ここでクリシュナムルティ氏は、瞑想の意義を伝えます。 普段『私』だと思っている『私』から離れてみることの重要性に導きます。

では意識上での『私』が “無” カラッポになったときに、何が残るのか...?

彼は、そこに人間の果てしない無知に対する深い悲しみと、それによって生まれた“慈悲心” の途方もないエネルギーがあることを知るのだといいます。

そして“慈悲心”を超えたところに 神聖なるもの (sacredness)があるのだといいます。

生命は神聖なるもの。 だから生命を大事にしないといけないのだと。


瞑想することによって誰もがきっと、彼がよく口にする言葉、

『私』は世界であり、世界が『私』 である

ということを実感できるのでしょう。 心理的に『私』 は世界中の他の人たちと同じ。 自分はひとりではない。 自分は人類の歴史全体だ。 自分の意識が変われば、その影響は人類全体に及ぶ。 意識は全体の一部。 善を花開かせるためには、どんな努力もしないでただ悪という事実そのものを観察すること。 悪、魔性、醜さが完全に理解されたとき、その対極をなすものがおのずと花開く。 「あるがまま」を見つめるだけでよい...。


自分を内観してみることの重要さを知りました。


最後に再び訳者あとがきより (1986年1月記述)...

『人類が陥っている困難や、混乱、窮状は、古い意識の領域にある。 それを根こそぎ変えてしまわない限り、人間の為すことは、政治、経済、宗教、そのすべてが互いに滅ぼし合い、地球を破壊するだけだろう。

もしわれわれが本気で存続、平和を願うのなら、クリシュナムルティが明確に示すこの自己変革の課題を、自分自身の双肩に担わねばならない。 そしてこの自己変革へのうねりの音は、都会の喧騒、人工照明、横行する拝金主義(mammonism)、中流意識幻想といった、われわれの目をくらませる現代の舞台装置の向こう側に、よく耳を澄ませば聞こえてくるはずである。』


出版後20年経った現在、核戦争の恐怖はなんとか人間の『イメージ』が作り出した危機感、想像力によってかろうじてその安全が保たれています。

ですが弱者の犠牲の上になりたつ強者の快適な生活という理不尽な構図は広がるばかりで、戦争、差別、飢餓、虐待、暴力の憎しみは依然世界中にはびこっています。

この本はとても古いですが、今も尚とても強いメッセージを放っています。

本の後半、クリシュナムルティの講和を記録したものの方が理解し易いと思います。 機会がありましたら是非ご一読下さい。 (図書館にもあるはずです)


ここまで読んでいただいて本当にありがとうございましたラブラブ


十二番目の天使/オグ マンディーノ
¥1,260
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読書でこんなに泣いたのは何年ぶりだろう...?

というか初めてかもしれません。

オグ・マンディーノ氏が書く文章には、押し付けがましくない愛情が散りばめられていて、温かく気持ちを照らしてくれます。

プロットとしてはありがちなものであるのに、どうしてこれほどの涙を誘うのかが解せません。

思考を超えて心に沁みこんで来るような本で、多くを語ろうとすればするほど、受けた感動から遠ざかってしまう気がするのです。


朝、ベッドから抜け出して一日を始める理由がわからないほどに人生が無意味で辛いことがあります。

それでも “毎日毎日が全てにおいて少しずつ良くなっている”

ことを信じて生きていく少年と主人公のお話です。

『day by day, in every way』 と心に刻んで。


人を動かす 新装版/デール カーネギー

¥1,575
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この本は1937年にDale Carnegieによって書かれ1955年に本人が死去した後も、基本原則はそのままに妻 ドナによって引き継がれ、以来カーネギー協会によって、時代に合致した 世界中から集められた事例に置き換えられて増刷に増刷を重ねてきました。

社会人として働いている以上、上司、部下、同僚、取引先、競合会社とのやり取りには気を使います。そして人間関係は対 恋人、家族、親、子供、妻、夫、親戚、近所、他人にまでも広く深くに及び、私達を取り巻いています。
私はつい最近まで上司のヒステリックな気質に悩んでいました。 彼女は部下が自分の方法で仕事を進めると、『時間がもったいない。 私のやり方にはすべて理のかなった意味があるのだから、その方法に従っていればいいのよ』 と、激昂していました。 下請け会社の人たちには常に高圧的なものの言い方をしていましたので、なかなかこちら側の要望に応えてはくれず、応対も冷たくなっていくのを感じました。 彼女自身、買収されてしまった自社内の新体制に対する不満や、天下ってきた新入社員への苛立ちが常にあり、かなり利己的な精神状態になっていたこともうかがえました。

すると会社はどうなるのでしょう?

利己的な意識は他の社員に伝染し、誰も会社の利益はおろか、他者への関心や心配りをなくしました。

社内に活気がなくなり、表向きだけの会話や業務、役割への不満・ストレスがつのり、明るい笑顔と思慮深さを備え前向きな思考を持った人間に人は集まりました。

上司は結局会社を去って行きましたが、私がこの本を手にしたのは、コージR さんのブログで紹介されていたのをきっかけに、『人を動かす人』 と 『人を動かせない人』 の違いってなんなんだろうと思ったからでした。


この本に書かれている『人を動かす』方法は、人情に思いを馳せて想像力を働かせたのならごく当然のことばかりともいえます。

ですが、交渉事や感情が高ぶっているときに相手の立場・目線と同位置に立ち、尊重をして言葉を選ぶことは意外に難しいものです。 それは心が伴っていなくては意味がないのです。

人はどれだけ正しく合理的な理屈であろうとも、命令や議論によっては心から納得しません。

特に上下関係や利害関係がある場合、逆に反感をもってしまうといいます。

『私が...、私の...、私を...』ではなく、『あなただったら...、 あなたのために...、 あなたを尊重して...』 という視点や立ち居地がとても大切なのだといいます。


本の中では『北風と太陽』の寓話が引用されていました。 旅人の上着を脱がそうとどれだけ北風を吹かそうとも、寒くなる一方の旅人は上着を押さえて脱ぐことを避けるばかりですが、穏やかな太陽がサンサンと照ったその後には、旅人は気持ちよく上着を脱ぐというお話です。


私の知人にもこんな話がありました。

彼の会社の受付嬢に“笑顔が少なく暗い印象を与える” という噂がちらほらと聞こえてきた頃、彼は 『君、もう少しニコニコ応対できない?』 という代わりに、『君の応対は落ち着きがあって評判がいいよ。 おっ、笑顔もいいね!』 と言ったのです。 すると実際に彼女の応対には程よく自信が感じられてとても印象のいいものに変わったのだそうです。 ここで大切なことは、彼が心から彼女を褒めたことだとも思います。

相手の弱点や誤りを指摘しても、特にビジネス上のこととなると長い目で見ても得策ではありません。

相手と同じ立場・目線に立たないと、相手も自分の目線にやってきてはくれないのだと教えてくれます。


そんな人間関係を円滑にする数々のヒントとすぐに実行に移せそうな具体的な案を、これでもかというほどの実例で力説してくれる本です。

たくさんの人達の難関を打破していく姿が目に浮かび、勇気がもらえる本でした。

昨日観たフィルムの感想の続きです。


映画 動物保護活動家 ダフニー・シェルドリック女史


love-peacehappy☆さん 同様、私もこのフィルムが一番印象的でした。

350万年前までさかのぼれるという人類の起源に対して、象の起源は6000万年前とも言われているそうです。

象の脳の皺の数は人間とほぼ同じで、高い知能と感受性を持っているそうですが、身軽で、手足が自由に使える人間とは生き方の方向性に大きな差がつきました。


では象は、その高い知能をどのように利用しているのでしょうか?

このフィルムをとおして、象が非常に愛情に満ち、自己犠牲を払ってでも自然に調和して生きる動物だと知りました。


アフリカの象の実に10万頭あまりが、これまで人間の狩猟の犠牲になっているそうです。 家のインテリアや人間の装飾品のために、象の牙が死骸から抉り取られるのです。

シェルドリック女史は、親が狩猟で殺されてしまった孤象を育て野生に還す活動を30年以上も続けている人です。 夫と共に活動してきた彼女は、夫が亡くなってからもずっと活動を続けてきました。 夫の死の哀しみは、ストイックに死を受け止める象たちの生き方に徐々に癒されていったのだと語ります。

彼女の孤象たちを見つめる瞳は、人間の子供を見る眼差しと何ら変わるものはありませんでした。


彼女が育てた“エレナ”というメスの象は、野生に還ったあともシェルドリック女史を大いに助けるパートナーとなっていました。 エレナは自らがシェルドリック女史に育てられている頃から、死にかけた象を見つけると施設に連れて帰り、自分で育てていたそうです。

エレナが17才の頃、乱獲された象の中に仲間の象が混じって殺されていました。 エレナは死骸から象牙だけを取り出して砕き、遠くの森に隠して埋めてしまったそうです。 仲間の象に対する尊厳の表現なのでしょう。

象はまた、仲間が亡くなった場所を何度も訪れるのだそうです。

シェルドリック女史が育てた孤象が時期に達すると、野生に戻ったエレナが引き継いで面倒を見てくれます。

まさに、人間と象がタッグを組んだ愛情実話です。


象がとても愛しく思えました。 人と同じように心を持ち、高い知能を自然や仲間のために使っているのです。

オアシスで水浴びをした後には、他の動物達が水を飲み易いように自分の身体を横に倒して地面を固めてからその場を去ります。


目の前で親を亡くした小象は、夜中 泣き続け、傷が癒えるまでに3~4ヶ月かかるそうです。 そして傷が癒えても一生覚えているのです。


赤ちゃん象はメスの象が助け合って育て、オスもとても優しいといいます。

オスの小象はある時期に達すると自ら群を離れ、父親象の元で生き方や威厳を教わります。


鼻は地面の臭いを敏感に嗅ぎ取り、数分前にどんな昆虫や動物が通ったのかを知ることができます。

また大きな耳は、低周波を使って遠くの仲間と交信しているといいます。

年をとった象は何でも知っていて賢く、目が見えない あるメスの象は、リーダーとして30年間 群を導いたそうです。


象の生き方、そして死に方には、自然に対してとても謙虚で、同時に威厳のある叡智を感じます。

一日に非常に大量の食料を必要としますが、食べたものの60%はそのままの状態で、遠く離れた場所に糞として自然に還元します。

食べ物が無くなった時には、動物の中でも一番最初に死んでしまうといいます。 そして食料が一日生きるのに足りないと判断すると、自ら食べることを止めて死を待つのだそうです。


シェルドリック女史の言葉が心に残りました。

『エレナはすべてを知っています。 それでも人間を愛してくれるのです』



地球交響曲第一番の感想はここで終わりとします。

日本各地で自主上映 されていますので、機会がありましたら是非ご覧ください。

読み難い文章を最後まで読んでいただいて、ありがとうございましたヒマワリ