- 旅をする木 (文春文庫)/星野 道夫
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地球交響曲-第三番- の感想でもご紹介しましたが、アラスカで17年という月日を過ごした著者、星野道夫氏の生前最後のエッセイ 『旅をする木』 を読んでみました。
星野氏は写真家としてアラスカで暮らしていましたが、どれほどアラスカという大自然と動物たち、そしてそこに暮らす人々を慈しんで日々を送っていたのかが、ひとかけらの衒(てら)いもなく伝わってきます。
文章はとてもまっすぐで、表現の巧みさに彼が見て感じた美しい情景がその温度と共にはっきりと伝わってくるのです。
特別でスリリングな出来事など書かれていません。 ただ自然の恵みや営みの中に芽生えるたまゆらの幸福感が何度も何度も波のように寄せては返す本なのです。
彼の幸福感が読んでいる人にも伝染し、『伝えてくれてどうもありがとう』 と彼の愛情に感謝を述べたくなります。
彼とアラスカとの出逢いは、東京、神田の古本屋街の洋書専門店で、一冊のアラスカの写真集を手にしたことが始まりでした。 手垢がつくほどにその写真集を開いては眺めていた彼は、その中でもどうしても気になる一枚の写真があったのだそうです。
それはあるエスキモーの村を空から撮った写真でした。
灰色のベーリング海、どんよりと沈む空、雲間からすだれのように射し込む太陽、そしてその中でポツンと点のようにたたずむエスキモーの集落...
いったいどんな人々が、何を考えて生きているのだろう? と。
【以下、本文から抜粋...】
昔、電車から夕暮れの町をぼんやり眺めているとき、開けはなれた家の窓から、夕食の時間なのか、ふっと家族の団欒が目に入ることがあった。 そんなとき、窓の明かりが過ぎ去ってゆくまで見つめたものだった。 そして胸が締めつけられるような思いがこみ上げてくるのである。 あれはいったい何だったのだろう。 見知らぬ人々が、ぼくの知らない人生を送っている不思議さだったのかもしれない。 同じ時代を生きながら、その人々と決して出会えない悲しさだったのかもしれない。
その集落の写真を見たときの気持ちは、それに似ていた。 が、ぼくはどうしても、その人々と出会いたいと思ったのである。
写真のキャプションに、村の名前が書かれていた。 シシュマレフ村...
この村に手紙を出してみよう。 でも誰に? 住所は? 辞書を開くと、村長にあたる英語が見つかった。 住所は、村の名前にアラスカとアメリカを付け加えるしか方法がない。
“あなたの村の写真を本で見ました。 たずねてみたいと思っています。
何でもしますので、誰かぼくを世話してくれる人はいないでしょうか...”
手紙の内容は、それが正直な気持ちだった。 初めて書いた英語の手紙は、どんなにつたない文章だったろう。
返事は来なかった。 当然だった。 宛名も住所も不確かなのだから。
たとえ届いたとしても、会ったこともない人間を世話してくれる者などいるはずがない。 ぼくは手紙を出したことも忘れていった。
ところが半年もたったある日、学校から帰ると一通の外国郵便が届いていた。
シシュマレフ村のある家族からの手紙だった。
“...手紙を受け取りました。
あなたが家に来ること、妻と相談しました... 夏はトナカイ狩りの季節です。
人手も必要です。 ...いつでも来なさい...”
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彼の人生は、抑えられない衝動と無鉄砲にも思えるチャレンジ、そしてそれを受け入れてくれたある一家庭との縁から、大きく動き出したのです。
彼のエッセイに出てくるアラスカの人々は、人間の立ち入りを拒絶するような寒さの中で敢えて暮らし、何千年何万年も変わらぬサイクルの中で生きる動物や、小さくても短くても春には綺麗な花を咲かせる自然の営みに喜びを感じて生きています。
アラスカに来て間もなかった彼の奥さんに、彼の友人はこういいました。
『いいか、ナオコ、これがぼくの短いアドバイスだよ。
寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。
離れていることが、人と人とを近づけるんだ』
“世界が明日終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える...”
そんな人生を知り尽くした逞しさと智恵をアラスカに暮らす人々は抱いているような気がしました。
うまくお伝えできませんでしたが、とても素敵な本です。
気持ちが爽やかに、前向きに、幸せになります![]()
亡くなってしまった彼は、いつでも本の中で優しく語りかけてくれます。




