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今日は川崎市産業振興会館で自主上映された『地球交響曲 第一番』を観に行きました。

これは、“地球は全生命体と自然の調和によってこそ美しく生き続けている” という大きなメッセージをいろいろな世界で生きている人々からの視点で伝えているメッセージ・フィルムです。

以前から興味があったのですが、このフィルムは今回のように自主上映というかたちが基本ですので、タイミングが合わずになかなか行くチャンスに恵まれませんでした。

ですが今回、love-peacehappy☆ さんが書かれていた記事を見て、

スケジュール を合わせて観に行くことにしたのです。 blogの出会いに感謝しています。 love-peacehappy☆さん、ありがとうございますブーケ1虹


会場は、老若男女幅広い層の人々で埋まり、特に小学生と60歳以降の方が多いことに少し驚きました。

主催者の婦人グループの方々は、以前に観たこのフィルムの感動を少しでも多くの方にと場を設けてくださり、入場料の余剰金はリサイクル石鹸を学校に配るNPO団体に寄付されています。

自主上映をしてくださった方々にも感謝いたします。


内容については、6名の方が登場されていましたので、1人1人についてご紹介したいと思います。

(深くは語りきれませんが、簡単に記録させていただこうと思います。)


てんとうむし植物学者 野田重雄氏


バイオテクノロジーも特殊肥料も一切使わずに、1粒の種から、1万5千個の実をつけるトマトの巨木を育てることに成功した野澤氏。 高度な自然のメカニズム(=神)を疑わない心は予想だにできない可能性を生み出すのだと、そして 植物も動物も種には∞に近い潜在的な生命力が秘められているのだけど、自然の摂理がそれを適度な寿命に抑えて循環させているのだといいます。

野田氏がトマトの大木にしたことは、信じ難いことかもしれませんが植物と心を通い合わせることだけでした。

植物の需要(光合成:太陽、水、空気、適度な温度)に耳をかたむけ、植物に対して心の中で 『好きなだけ大きくなっていいよ』 と思うことが、生命力を伸ばしたのだそう。 スクリーンに映し出された伸び伸びと葉を広げ力強く根をおろした巨木と、健康に赤く熟れたトマトは奇跡を見ているようでした。

そして野田氏の考える、これからの科学が辿るであろう道 についての見解はとても興味深く心に響きました。


雪の結晶 8000m級登山全制覇 登山家 ラインホルト・メスナー


-30℃、酸素は地上の1/3という環境の登山で何度も命を失いかけた彼は、吹きすさぶ自然の中で自身がガラスのようだったと語ります。

壊れやすく脆いという意味だけではなく、本当にクリアに自分自身の心が見えるのだという。 そして、もうろうとした意識の中で、彼は確かに一人の『少女』が隣に座り、語りかけていたことを記憶しているし、自分が800mの崖から滑り落ちたときには落ちていく自分をもう一人の自分が見ていたと断言します。

彼は以来、人間は2つの次元で生きているのであり、そのうち1体は自分で見えていないだけだと確信します。 そして、イタリア ユバール地方にある古城に一人、チベット仏教を信仰しながら生きています。


彼はなぜ険しい高山に挑むのか、それは生命の存在を許さぬ無機物な世界に、生身の命がどこまで通用するのかを試す挑戦なのだといいます。 そしてその山に挑んでいる時の生命力は自分に元々あったものを利用しているのではなく、自然の中に渦巻いているパワーを取り入れているだけ、その知恵を知っているだけだといいます。 その時の自分は風や草木や鳥と何ら変わらない自然の一部であることが解り、自身が生命力の通り道にすぎないことを実感するのだそうです。


人間は3つの要素、Spirit (魂)、 Body (肉体)、 Mind (理知的な心) で構成されていて、一番弱い要素を基準に生きざるを得ないのだと彼は言います。

そして、その3つの要素の調和こそが本来の人間の姿なのだと。


3人目からは長くなりそうなので次に回すことにします。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございましたやや欠け月

天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣/茂木 健一郎
¥1,050
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この本では脳科学者である茂木氏が考える “天才が天才である所以” を、

ダ・ヴィンチやモーツアルト、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏などを例に挙げつつ解説しています。


“天才”という言葉からは、何をやらせても優秀で頭脳明晰、凡人の及ばない生まれつきの才能に恵まれた人、といったイメージを持ってしまいます。

ですがダ・ヴィンチの数多く残されたヘリコプターや人工翼などのデッサン図、彫刻の設計図等を実際に作成した場合、どれも実用品や完成品として機能しないものばかりで、3次元に働く脳に関しては他の人より長けていたわけではなかったのではと茂木氏は推測します。 あるいは元々 実用化しようと原案図を描いていたのではなく、彼の果てしないイマジネーションを楽しんでいただけなのかもしれません。

しかし一方で、デッサンや絵画におけるダ・ヴィンチの才能は天才的と呼べるものだと茂木氏は続けます。

生涯で30体以上の解剖を行い人体の構造に深い関心を寄せていたダ・ヴィンチは、非常に「機械的」に人間を解体・観察し、それをキャンパスに描きます。 そして同時に彼の絵には、モナリザに象徴されるように “この見せかけの秩序の背後には隠された何か大きな謎があるのだ” と語りかけています。

彼は世界のすべての謎を解き明かしたわけではなく、この世界には「ちゃんと」見れば見るほど現れてくる謎があることを知っていた、そしてそれをキャンパス上に表現することに成功した唯一の人間ではないかと茂木氏は解説します。


また湯川秀樹氏は、物理学者として原子核の中で陽子と中性子を結び付けている中間子という粒子を予言した人物ですが、彼の父は地理・地質学者であり、兄は冶金学者と東洋史学者、弟は中国文学者だったそうです。 そんな環境の中、湯川氏自身、兄弟と共に漢文の素読やドストエフスキーの英文を読むなど、異種の学問にも興味を広げていたそうです。


このような実例から、茂木氏は天才に近づけるヒントを、脳科学者の見地からいくつか記載しています。

ひらめき電球脳はそもそも空間的制約の高い臓器で、限られた空間の中に多くの機能を組み込まなければならないので、さまざまな領域が異なる文脈の中で使い回しされています。

そのような脳のあり方を考えれば、ある特定の分野において鍛えられた回路が思わぬかたちで他の分野の役に立つことがあるのは当然のことといえます。


ひらめき電球脳は視覚情報をそのまま1つのものとして記憶しているわけではなく、ばらばらのパーツに分けて記憶します。 過去のパーツ(ばらばらの時間と空間)を組み合わせることによって、未来のイメージを自由に作ることも可能になります。 それは、たくさんの事を経験すればするほどに記憶のパーツが増え、 未来の創造性に大きな力となることを意味するのです。 過去を思い出すことは、『ひらめき』 にリンクしています。

それは、創造性 = 過去の経験 X 意欲 という方程式でも表せます。


『天才』は先人の様々な知識の蓄積を学び、最後の1%のところで天の配剤のような『ひらめき』を得た人なのだと、発明王トーマス・エジソンはいいます。 大切なことは、「総合的な知性」を充分に蓄えた上で、ある特定の分野に集中すること。 それは、余人を寄せ付けないような強度を持った活動をすることなのだと書かれていました。


字も大きくてすらっと読めてしまう本でした。

その他たくさんの情報があって、興味深い考え方の本でした。

プチ哲学/佐藤 雅彦
¥680
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この本の著者 佐藤雅彦氏は、CMプランナーや、番組挿入歌の作詞やプロデューサーとして活躍されている人で、『だんご三兄弟』や『バザールでござーる』などは記憶に新しいところです。

なぜか目を引く可愛らしい絵コンテや、耳に残るリズム・音楽からは、彼のクリエイティブで多角的な思考がうかがえます。


この本も、そんな可愛らしい絵コンテと共にとてもシンプルな31個の哲学が描かれています。

哲学というよりも、“頭を柔軟にして違った角度から日常を眺めなおしたら、面白い発見があるよ” というメッセージが込められているような、優しい息抜き本のような感じで読めます。


例えばこんな感じです。

(絵コンテ1)

元気のないケロ男君カエルが仙人に、

『あこがれのケロ子ちゃんと一生を添い遂げたいのですラブラブ』と願います。

仙人は、『よし!』とばかりに、魔法の杖をトンと叩きますDASH!

するとそこには歳をとって杖をついたケロ男君とケロ子ちゃんが現れ、ケロ男君は 『... そうじゃなくて...汗』 と落胆します。


(絵コンテ2)

同じ仙人の前に、お腹をすかせたモンキーがやってきて、

『一度でいいからバナナをお腹いっぱい食べて見たいのですバナナ

と願います。

仙人は『よし!叶えてやる』 と、魔法の杖をトンと叩きますDASH!

するとそこには、満腹になってお腹の膨れたモンキーが現れ、彼は 『そういうことじゃなくて...』と落胆します。


この2つの絵コンテからの哲学として、『結果と過程』とありました。

本文から抜粋すると、『この2つの漫画に共通していることは、最終的な“結果”が目的なのではなく、好きな人と一生過ごす過程や、念願のバナナをムシャムシャ思いっきり食べる、その経過が目的であったということです。

一般的には『結果』はとても大事です。 特にプロスポーツやビジネスの世界では、いくら途中経過がよくても、いい結果をださなければ評価されないというのが現実です。

それはそれでとても健全で、かっこいいことでもあります。

しかし、それに反して、この漫画のように、結果だけでは意味を成さない事柄も、日常には少なくありません。』

と書かれていました。


その他、穴の開いたタライはカエル君にとって船としては役に立たなくても、木の上に備えつけて水を入れたらシャワーとして機能したという絵コンテでは、『偶然性の発見』という名で哲学が展開されます。

新しい“のり”の開発中にとてもはがれやすいもの=失敗作ができてしまったのだけれども、『はがれやすいということは、はがしやすいという事ではないか...』 と考え方を転換してポスト・イットが生まれたことなども例として書かれていました。


『人間の発想は、見えない枠にとらわれています。 しかし、時として成功は、その枠の外にはみ出した所に発生します。 その時、私達は新しい発見にめぐりあえたりするのです。

このような偶然性の発見を、“セレンディピティー”と言います。』 (本文抜粋)


その他たくさんの“あっ、なるほど”と思わせるプチ哲学が書かれています。

何かについて深く考えたいときよりも、むしろ何も考えたくないときに読み直したくなる一冊です。

本の装丁もカラフルでとても可愛らしいです。

今日は横浜みなとみらいの会議室で行われた、脳科学者 茂木健一郎氏の講演会を聞きに行きました。

テレビでも『プロフェッショナル 仕事の流儀 』という番組の司会者としてご活躍されているのだそうですが、私はそんな予備知識もなく出かけていきました。


彼の話す情報は多種多様な分野に広がり、 まるで好奇心いっぱいの子供のようにあちこちに話題が飛び、その1つ1つを熱く語ってくれました。

天才気質のようなものを感じ、ユーモアもあってあっという間の90分でした。


茂木氏によると、脳科学的には“記憶”とは、今、そして今後を支えるために存在する ということでした。

だから人間は不必要な記憶や不快な記憶は忘れてしまうし、忘れてしまってよいのだと言います。

同時に記憶は非常にあやふやで、ありもしない過去を作り出してしまうこともあると実験結果が証明しているのだそう。 例えば『あなたは過去に迷子になって困ったことがあるでしょう?』と断定的に言われ続けると、そういえばいつか迷子になって自分は泣きわめき、やっと親に見つけてもらって安心したことがあったんだった...と、本気でニセの記憶を信じ込む現象が起こるのだそうです。 虐待やネグレクトについても同じことが言えて、ひどい仕打ちを親から受けてもいないのに『昔から親は自分を嫌っていたんだ』と思い込むこともできてしまう、というのは、よく考えると怖いなぁと思いました。


また彼はこんな話にも飛びました。 『人間の性格は2割は親から、残りの8割は出会った人々からの影響で形成されている』 というものです。

日々時間を共にする人間、これまで出会った人々、これから出会う人々がまるで自分の鏡のような効果を発揮して自分を形成していくことを、“ミラーニューロン”と呼ぶそうです。 無論、たった1個のミラーよりもよりたくさんのミラー(他人)に映し出されたほうが脳化学的には柔軟性に富み多角的な思考回路を持った人格が形成されるわけで、茂木氏はより多くの他人とコミュニケートを図ることを強く勧められました。 モーツアルトもアインシュタインも単独でのヨーロッパ放浪の旅でより多くの人間と出会い触れ合うことでその能力と感性を大いに飛躍させたといいます。 オノヨーコの言葉を借りれば、

自分の手鏡は要らない。 いろいろな人を自分の鏡にしなさい。』ということです。

脳を刺激的に活動させるという意味の中では、多様性というものはとても大事なことなのです。 人はみんな違ってみんな良し。 それが悪であろうと、善であろうと、自然の循環理論にかなっているのだからと。


ここで茂木氏から『理神論』という言葉が飛び出します。

『理神論』 初めて聞いた言葉ですが、ウィキペディアによると、

『一般に創造者としての は認めるが、神を人格的存在とは認めず啓示を否定する哲学・神学説。

神の活動性は宇宙の創造に限られ、それ以後の宇宙は自己発展する力を持つとされる。人間理性の存在をその説の前提とし、奇跡・予言などによる神の介入はあり得ないとして排斥される。18世紀イギリスで始まり、フランス・ドイツの啓蒙思想家に受け継がれた。』

でした。

18世紀から、科学が発展し資本経済、情報化社会が幅を利かせる現代に至っては、こういった定義・哲学が生まれるのもよく理解できますね。


そして更に話は『脳の喜び』に進みます。

人間の脳は喜びに対してドーパミンという物質が放出されます。

しかし楽をしてもドーパミンは放出されず、即ち喜びは生まれない様にできているそうです。 では、どうしたらドーパミンが放出されるのか? それは自分に適度の“負荷”をかけることだと断言されました。

“無理だろう”と思われることに挑戦する、“嫌だなぁと思う人との関係から逃げ出さず、なんとか折り合いをつけて改善する” “準備や練習を重ねて目標に到達する” などの“負荷”は、それを成し遂げたときに大きな喜びと変わり、そういった感動ほど人間の脳を刺激するものは無いのだそうです。

間単にいうと 苦労しないと喜びは生まれない ように脳はできているということです。


最後に一貫して、茂木氏が主張していたことは、Google Book Search を引用して、“現代はインターネット時代であり、それは世界中の『知』をいつでも自分の中に取り入れることができる素晴らしく未来の開けた時代なんだ。 そしてそのことに気がついている日本人はあまりにも稀有だ”ということでした。

つまり一流大学に行かなくても、エジプトのアレクサンドリア図書館にわざわざ足を運ばなくとも、超一流の文献、教科書、歴史文書などがタダで手に入る次代であり、経済力、身分・学歴に関係なく独自の知識を広げられるチケットを手にしているのにも関わらず、それに気がついている日本人があまりにも少ないということです。

そしてインターネット情報のその向こう側には、その情報を提供してわざわざサイトを作成している『人間』が必ず存在しているわけで、そういう情報に出会うことも1つの貴重な出会いなのだと語っていました。


確かに今目の前にあるこのパソコンから、私は世界中の情報や知識を得ることができる。 英語で書けば発信さえも世界にできる。

ドラエもんのポケットに匹敵するツールを目の前にしてどう利用するかは、正に現代の脳に課された果たし状のようにも思いました。



「原因」と「結果」の法則/ジェームズ アレン
¥1,260
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この本は、イギリスの哲学者ジェームズ・アレンによって1902年に書かれました。 以来、現在に至るまで世界中で売れ続けているという文字通りのロング・セラー本です。 ナポレオンやナイチンゲールなど各分野で偉業を成し遂げた人たちにとっての指南書でもあったそうです。

原題は 『AS A MAN THINKETH』 。 直訳するならば『人間が思うとおりに』 であるように、彼の哲学の根本は “今いる環境(人生)は、自分の思考がそのまま反映している世界にすぎない”ということであり、逆にいうと、“自分の思考の置きかた次第で人生がどのようにも変わっていく” というものです。

本文から抜粋すると、


『人間の心は庭のようなものです。

それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。


もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。

すぐれた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育みつづけます。

同様に、私たちも、もし素晴らしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植えつけ、それを育みつづけなくてはなりません。


もしあながたその作業をつづけたならば、やがて必ず

「自分は自分の心の園芸主任であり、自分の人生の総責任者である」

という事実に気づくことになります。


自分の人格、環境、および運命の形成に、自分の思いがどのような影響を与えているのかを、日を追うごとに、より明確に理解していくことになるでしょう。』


このセオリーはもしかするともうありふれているのかもしれません。

でもこの意図するところを実感として捕らえている努力家で注意深く幸福な人がいったいどれだけ存在するのかは未知数です。


実際、私自信も文字通りの意味、つまり人間は欲、悲しみ、不安、怒り、不満、傲慢、攻撃、絶望、嫉妬、孤独、無関心、無責任、憎しみなどの苦しくはあれど決してハッピーにはなれない要素をもっているよりも、謙虚であり何事にも喜びの要素を見出し、全てのものに愛情を注げるような人間になってしまうほうが、本人が一番楽だし救われる方法となりえるのでしょうと、半ば理論的に哲学書として受け止めているだけの部分もあり、今の自分のいる環境(人生)が、これまでの自分の思考にかなったものであり、それ以上でもそれ以下でもありえないというアレンのセオリーに真から納得しているわけでもないのです。


アレンは、『思考が運命を変える』 ということに気づきたいのであれば、常に自分の思考、感情、行動、そしてその後の結果を粘り強く観察することが大事だと提言しています。 私は同時に他人を見てみることも大いに参考になると思いました。 確かにそうなのかもしれないと思わずにはいられなくなります。


価値観や倫理観がブレそうになったときに読むと、とても勇気がもらえる本です。 私も改めて読んでみて、心に響くところがたくさんありました。