おはこんばんにちハ、お気楽です。
今朝は、年・一度の健康診断で、いつもの病院へ・・
一昨年の12月、当時58歳の従妹が大腸がんの手術・・・
いまも、その後遺症で苦しんでるので、今回は大腸がんの検査もしてもらいました。
従妹も会社の健康診断で異常が見つかり、病院で検査、手術と健康診断で発見できました。
憎まれっ子世に憚る と言われてるので、今回も、異常無しに決まってますよ・・・タブン
大学時代、同じ下宿で仲良くしてもらった、高石先輩・・
高石さん、当時・航空宇宙学科、修士課程で、ガスロケットの研究をしていて
(ガスロケット・・・ふざけた研究室だな~・・)
平塚海岸で、ガスロケットの発射実験を手伝ったら、無許可実験だったので
先輩達と、平塚消防署に怒られたことも、今は懐かしや~
先輩の田舎は、愛媛県第二の都市・西条市・・西条市、何度も、通過してるけど
先輩のお爺ちゃんの偉業を称えて、伊予西条駅前に、記念館etcがあるので、
今回、初めて訪れて来ましたよ。
お暇な方、お忙しい方、新幹線大好きな方も、ゆっくりしていってね。
12月20日(水)
昨夜、サンライズ瀬戸に乗車して、10時間、JR倒壊の信号機故障で定刻より
1時間遅れて、高松駅にト~チャコ~
スマイル・ステイション高松駅をあとに
恒例の高松港を見学しましょう。
12月ですが、瀬戸の海は、温かそう
瀬戸大橋が完成するまで、高松港が本州との表玄関だった、面影は今も健在ですよ。
24の瞳で、知った、小豆島・・これに乗れればいけるんですよ。
例年なら、フェリーで通勤・通学するお客さん、大勢見れたんですが、
前回、フェリーを下りてきた、女学生を盗撮
今回は、1時間遅れで、来たので、閑散としてますね。
小豆島行の乗船が始まりました。
前回、見学した高松城 ↓ を確認して
高松駅にもどり~
ここは、うどん県なので、さぬきうどんで、朝食を頂く予定でしたが、電車遅延で諦めて
駅前のコンビニで、豪華な、サンドイッチetcをゲット・・・
18キップに検印して、AM09:04発
サンポート南風リレー号という名称にしては、一両編成の多度津行に乗車しましょう。
車窓を楽しみながら、他の乗客に隠れながら、豪華なサンドイッチetcをぱくついていれば
AM09:40 多度津駅ト~チャコ~
多度津駅は予讃線(高松、松山、岡山方面)、土讃線(高知方面)のターミナル駅なので
往時の賑わいを残す、蒸気機関車の給水塔が、残ってました。
前回は、土讃線に乗り換えて、金毘羅神社に、お参りしましたが ↓
AM10:48発の松山行に乗車しましょう。
瀬戸内海の車窓を楽しんで~
雪を頂いた、四国最高峰・石鎚山が見えてくれば
窓・汚れてます~
AM11:42
伊予西条駅に停車すれば、ホームの隣には四国鉄道文化館が
高石先輩、高石先輩のお爺ちゃんの故郷・伊予西条駅で下車しましょう。
まずは、駅前の食堂で、早めのランチを頂いて
駅前大通りを左折すれば
本日の目的地、四国鉄道文化館・十河信二記念館へテクテク
初代・0系新幹線を展示してる、四国鉄道文化館が見えた~
入口には、新幹線を計画・建設して新幹線の父と言わてる、
第四代国鉄総裁十河信二氏の像が
ウキデディアによれば・・
十河 信二(そごう しんじ) 1884~1981
新居浜市中萩出身、愛媛県尋常中学校東予分校(現西条高等学校)、一高、東京大学法学部卒
日本の鉄道官僚、政治家。
戦後の混乱期に第2代西条市長を務められ、市政の進展に尽力されました。
その後、昭和30年に第4代国鉄総裁に就任(在任1955~1963 歴代最長)
その熱い情熱と卓越した手腕で、当時は世界中に前例のない一大プロジェクトであった
夢の超特急東海道新幹線の建設を実現し、「新幹線の生みの親」と知られています。
西条市名誉市民第一号。
十河信二さん、戦前は満州鉄道に派遣されて、日本では不可能な広軌の線路を作り
夢の弾丸列車を計画してましたが、敗戦で、断念
地元に帰り、政治家、財界人として活躍してたある日
総理・君の古巣の国鉄は事故、組合問題で瀕死の状態、
次期総裁になって国鉄を立て直しして欲しい。
十河氏:高齢、心臓病etcなので、お断りします。
総理:君には武士の魂は無いのか?
十河氏:線路を枕に討ち死にの覚悟で、お引き受けします。
総裁に就任するや、満州で計画した、弾丸列車を日本に走らせてみよう。
国鉄技術人、国会の反対の中、鉄道省の先輩、佐藤大蔵大臣(後、総理、ノーベル賞受賞)
と第一次建設予算3000億をなんとか、国会を通したんですが
佐藤大蔵大臣:日本の国力ではこれが精いっぱいだ(当時の国家予算、2兆円)
第二次、第三次予算の獲得は不可能だ
日本がダメなら、世界銀行から、金を借りてやれ・・と佐藤大蔵大臣と世界銀行に乗り込んで
3兆円を獲得して、新幹線建設を推進したそうです。パチパチ
早速、お邪魔すれば、初代・0系新幹線
ホ・ホンモノヤ~
ということで、運転席にお邪魔すれば
ノッチが、動かないよ~・・・とジタバタする吞兵衛妻
動かないと騒いでたのは、アクセル?でした~
ということで、左のノッチをグリグリ動かして、ご満悦な吞兵衛妻
隣には、キハ65形急行気動車
国内ではJR高松管内で最後まで運用されてたそうですが、2008年に運航停止となり
ここに保存されたそうです。
昭和44年(1969年)製造・・の車内・・なんか懐かしや~
乗った事ないけど
運転席も見学できました。
隣には、昭和12年(1937年)製造のC57形蒸気機関車
動輪のデカサにビックラポン
津和野駅に展示された運転席見ましたが ↓
ここまで綺麗に保存されてるのは初めてでした。
石炭を汗まみれ、墨まみれになって、入れてた、当時の運転員さん、大変だったでしょうね。
ジオラマの展示もありましたよ。
左上は、瀬戸大橋、手前は四国鉄道文化館
その隣は、十河信二記念館と、伊予西条駅
ジオラマの電車操作したかったんやけど、
幼稚園の団体さんが占領してたのでNGでした。
ほかにも、展示物沢山ありましたが、長くなるのでカットして
隣の西条市観光交流センターへ行けば
十河信二さんの写真発見
高石先輩(十河信二さんのお嬢様の三男)に似てました~
交流センターには、十河夫婦の物語を朝ドラにしよう
署名活動中だったので、当然署名してきましたよ。
十河信二さん、これまでも数々の大スターが演じてきましたが(見てへんけど)
実現しても、朝ドラなので、若手俳優さんが演じるんでしょうね。
PM01:04発の松山行の時間になったので
十河信二記念館の見学は諦めて
ホームから、四国鉄道文化館にお別れして
松山行の電車に乗りましょう・・
高石先輩、博士課程に進学しようとしたんやけど、希望の研究室には行けなかったし
就職試験(3,4月)も終わってたので、三木総理に紹介状を頼みに行ったら
総理・総理、大臣etcが紹介状書けない・・との事で、
政界の寝業師、松野頼三自民党政調会長を紹介され
松野政調会長に紹介状を書いてもらい、夏休に丸の内の地下鉄の階段を出たら・・・
高石先輩・そこは戦場だった。
なので、三菱重工社長とは会えず、後日、面会すると
社長:わが社の航空部門は、東大博士課程卒業者をたまに採用してる・・
数日後、三菱電機の社長に面会すると、航空部門は東大博士課程、修士課程卒業者を
若干名採用してる・・ということで、高石先輩・三菱電機に決めた・・・
後日、高石先輩たった一人の為の、入社試験、重役面接が行われ、三菱電機に入社
卒業以来、お会いしてないけど、いつも笑顔だった、高石先輩の笑顔を思いだしながら
乗車しました。
高石さん、今も元気に息してて下さいね。
長くなったので、今回は、ここで、バイバイ