皆様、こんにちは。
以前、前世人格エミリーが職場で人がお菓子を作っている様子をじっと見ていた気がする、という事を書きました。
そもそも前世と言うは現代の科学での実証が困難なものですが、どうも我々の人生に多大な影響を良くも悪くも与えているよう。そうなれば是非研究したい。そう思ってエミリーの観察を続けてきました。そして私なんかただでさえ変なシトなのに、これ以上変なシトにならない為にも、出来るだけ客観的、体系的に探求していきたいと思ってきました(今でもそう思っていますが)。 前世はいくらでも都合の良い解釈や創作も出来ますので、一歩間違えるとかなり変な方向に行ってしまう危険性もあります。
そんなわけでエミリーの観察を試みてきたのですが、前世人格の観察というもの自体、無理なんじゃないか?と思うようになりました。何故かと言いますと、ここではエミリーを例に取らせて頂きます。結局エミリーの場合、観察じゃなくて「感じる」状態です。
先日、また職場でふとエミリーを感じました。やっぱりおやつの時間。ふと、「あ、エミリー」。その日のおやつは、kladdkaka(クラッドカーカ)。中がべちゃっとしたチョコレートケーキです。
私が感じた情報は、エミリーが我々が使うのと同じお小皿を持っていて、そこに既にケーキが乗っています(勝手に先に取ったの?)。それをちょっと困ったというか、不思議な感じでエミリーが見つめていました。どうもkladd(べっちゃり)って名前が付いてるのに、べちゃっとしていない。そこにどうもエミリーは引っかかったらしいです。確かに焼く人によってクラッドカーカは中がべちゃっとしたりしなかったりします。うちの娘は、わざと中がべちゃっとするように焼きますし、マーティンが焼いたのはべちゃっとしていませんでした。
そのあとちょっと調べてみたら、クラッドカーカは、エミリーの生前はスウェーデンにはなかったようなので、おそらくエミリーは誰かが言った"kladdkaka"という言葉に吊られたようです。べっちゃりしたケーキって何かしら?みたいな?
こうやっていちいち言葉に細かく反応するヲタクっぷりが私にそっくりなので(本当にどうでも良い癖ですね)、益々エミリーの観察は困難だな、と思いました。あくまで「感じる」世界は主観的ですし。
やはり前世の研究と言うのは、臨床や多くの人の体験談などを集めて信ぴょう性をピックアップしていくしかないと言うのが、現時点での私の結論です。