意外すぎる聖書のおはなし

意外すぎる聖書のおはなし

聖書ってそんな話だったの?イメージと違っていた意外なストーリー展開にびっくりしたことを書いてます。

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イエスキリストはガリラヤのナザレで育ったと

 

聖書にあるけど、

 

ガリラヤってどんな地域だったの!?

 

 

 

ガリラヤはイスラエルの北に位置していて

 

ガリラヤ湖があります。

 

イエスの弟子のペテロ、アンデレや

 

ヤコブ、ヨハネが漁をしていた様子が

 

新約聖書に描かれてます。

 

 

 

漁師で生計を立てる人たちもいたようですが

 

全体的には農民が多かったようです。

 

農民の中には、生計が立ち行かなくなると

 

土地を売って小作になる人たちもいたり

 

日雇い労働をして家計の足しにする人々もいたんだとか。

 

 

 

 

イエスが語った喩え話は

 

ぶどう園の話とか

 

農夫の話とか

 

農業関係の喩え話が結構ありますが

 

当時の世の中の事情を反映したものだったようです。

 

 

当時の人たちに実感が湧きやすいように

 

わかりやすく伝えてたんですね。

 

 

 

歴史的に見ればガリラヤは

 

紀元前722年に北イスラエルが滅びてから

 

多くの外国人が住むようになった土地でもあり

 

ハスモン王朝がガリラヤを奪還するまで

 

600年ほどは外国人の割合が多かった地域。

 

文字通り「異邦人のガリラヤ」だった時期があり、

 

エルサレムのような中心地から見れば辺境の地。

 

当時、偏見の目で見られていた地域だったようです。

 

 

 

 

ところで、ガリラヤはパリサイ派の人々が多く活動していました。

 

聖書には、パリサイ派の人々がイエスの行うことに対して

 

律法に反していると怪しむ様子が描かれてますが

 

パリサイ人がはるばる遠くから文句を言いに来たわけじゃなくて

 

同じ場所で活動していたから、

 

よけいに目につく事が多かったんでしょうか。

 

 

 

 

もう一つ、

 

ガリラヤでは熱心党が活動していたようです。

 

熱心党は神の国の実現のためには手段を択ばない政治的宗教集団。

 

異民族の支配から脱しようと、抵抗運動をしていました。

 

 

 

いろんな事情を見てみると

 

ガリラヤはただの辺境の地ではなく

 

治安的に緊迫する状況もあったのでは・・・

 

 

 

ガリラヤはエルサレムから遠いから

 

のんびりした田舎なのかなあ、って単純に思ってたけど

 

いろいろあったみたいです。

 

 

聖書の中にあった

 

お金にまつわるお話です。

 

 

 

 

〔マルコによる福音書12章17節〕

 

するとイエスは言われた、

 

「カイザルのものはカイザルに、

 

神のものは神に返しなさい」。

 

彼らはイエスに驚嘆した。

 

 

 

 

 

なんで彼らはこの答えに驚嘆したの!?

 

 

 

 

話の発端はこういう事のようです。

 

 

 

〔マルコによる福音書12章11節〕

 

さて、人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、

 

イエスのもとにつかわして、

 

その言葉じりを捕えようとした。


 

 

パリサイ人というのはユダヤ教のパリサイ派の人々で

 

律法を厳格に守っていました。

 

会堂でモーセの律法を人々に教え

 

イエスが御言葉を宣べ伝えていたガリラヤで

 

パリサイ派を支持する人々は多かったようです。

 

 

 

 

ヘロデ党は、

 

ガリラヤや周辺領地を治めていたヘロデ朝を支持していた団体。

 

パリサイ派もヘロデ党もイエスを敵視し、

 

互いに手を組んでイエスを捕える口実を探していました。

 

 

 

 

〔マルコによる福音書12章14節〕

 

彼らはきてイエスに言った、

 

「先生、わたしたちはあなたが真実なかたで、

 

だれをも、はばかられないことを知っています。

 

あなたは人に分け隔てをなさらないで、

 

真理に基いて神の道を教えてくださいます。

 

ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか、

 

いけないでしょうか。

 

納めるべきでしょうか、

 

納めてはならないのでしょうか」。

 

 

 

質問の前置きが長くて


一体何が言いたいのか

 

いまいちわからなかったんですが

 

ここで言ってるカイザルとはローマ皇帝の称号のこと。

 

 

 

律法の観点から見ると

 

ローマに税を納めることは良いことかどうかと

 

聞いていたようです。

 

 

 

モーセの律法では神様に収穫の10分の1を捧げることを書いてますが、

 

大昔に作られたものだし

 

信仰の書なので

 

ローマに税を納めることについての記述はありません。

 

 

 

真理に基づいて神の道を教えるあなたは

 

ローマに税を納めて良いと思いますかって聞いてくるのは

 

若干嫌味というか、いじわるな質問にも思える・・・

 

 

 

 

そして、当時、ガリラヤで活動していた熱心党が

 

ローマに税を納めることを拒否していた経緯があったようです。

 

 

 

熱心党と言えば、

 

神の国を実現するためには武力行使も厭わないという過激な団体。

 

ローマやヘロデ朝の支配に抵抗していました。

 

ローマへの納税を拒否したら、

 

熱心党と同じようにローマの敵とみなされてしまいます。

 

 

 

それでイエスはこのように対応しました。

 

 

 

〔マルコによる福音書12章15-17節〕

 

イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた、

 

「なぜわたしをためそうとするのか。

 

デナリを持ってきて見せなさい」。

 

彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた、

 

「これは、だれの肖像、だれの記号か」。

 

彼らは「カイザルのです」と答えた。

 

するとイエスは言われた、

 

「カイザルのものはカイザルに、

 

神のものは神に返しなさい」。

 

彼らはイエスに驚嘆した。

 

 

 

 

ちなみに、ユダヤ教は偶像崇拝を禁じているので

 

誰かの像を作ったりしないし、

 

コインに誰かの肖像を描くことも

 

そういう意味でよろしくない行為です。

 

 

 

 

デナリにはローマ皇帝の肖像や記号があったようなので

 

ユダヤ教的には好ましくないコインの肖像を

 

あえて出してきて

 

相手に返答してたのも

 

なんだかすごいと思いました。

 

 

 

それにしても、

 

イエスを陥れようとする人が多くてびっくりします。

 

 

 

パリサイ派とヘロデ党って

 

もとから仲良い団体だったのか知りませんが

 

互いの理想や理念は違っても

 

イエスという共通の敵を見つけたから

 

仲良くなったんでしょうか・・・

 

 

 

宗教と政治のいろんな思惑が交錯する世の中で

 

ぶれることなく御言葉を宣べ伝え続けた

 

イエスの精神がすごいです。

 

 

 

 

 

 

イエスの裁判についてのお話です。

 

 

 

イエスが弟子一人である

 

ユダの裏切りによって身柄を拘束されました。

 

 

 

イエスは最初、アンナスという

 

以前大祭司をしていた人のもとへ送られます。

 

 

大祭司という職は宗教上だけでなく、

 

政治的にも大きな影響力があったのと

 

現役引退後も大きな力をもっていたようです。

 

アンナスは当時大祭司をしていたカヤパの舅でした。

 

 

 

そういう関係でしたか!!

 

 

 

まず、アンナスのところで尋問されたイエスは

 

そのあと、アンナスの婿であり当時大祭司をしていた

 

カヤパのもとへ送られました。

 

 

 

 

そして

 

その後に当時ユダヤで総督をしていた

 

ピラトのもとにイエスを送りました。

 

 

 

彼らがイエスをピラトのもとに送った理由がありました。

 

 

 

ピラトは「自分たちの律法で裁くがよい」と伝えますが

 

ユダヤ人らは彼に言った、

 

「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」。

 

 

と、その場にいた人々が答えていました。

 

つまり、

 

ローマの法で裁いて死刑にしてください

 

っていうことだったようです・・・

 

 

 

 

ピラトはイエスに向かって

 

「あなたはユダヤ人の王であるか」と聞きました。

 

ピラトはユダヤ人でもユダヤ教徒でもなく

 

ローマ帝国支配下にあるユダヤ属州をおさめる総督でした。

 

 

 

ビラトから「あなたは一体何をしたのか」

 

と聞かれたイエスがこう答えていました。

 

 

 

〔ヨハネによる福音書18章36節〕

 

イエスは答えられた、

 

「わたしの国はこの世のものではない。

 

もしわたしの国がこの世のものであれば、

 

わたしに従っている者たちは、

 

わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。

 

しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。

 

 

 

 

イエスが福音を宣べ伝えていた時

 

御国についての話もありましたが

 

それは、当時の世の中において

 

外国の支配からユダヤ人が解放される国とは違いました。

 

 

 

「クーデターを起こしてローマから独立しよう!」

 

などという政治的な話ではなかったし

 

確かにイエスが言ってる御国は

 

この世のものではありませんでした。

 

 

 

 

イエスの答えを聞いたピラトはこう言ってます。

 

 

〔ヨハネによる福音書18章37節〕

 

そこでピラトはイエスに言った、

 

「それでは、あなたは王なのだな」。

 

イエスは答えられた、

 

「あなたの言うとおり、わたしは王である。

 

わたしは真理についてあかしをするために生れ、

 

また、そのためにこの世にきたのである。

 

だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。


 

 

イエスが『わたしの国』って答えているから

 

ピラトは『あなたは王なのだな』と言ったのでしょうか。

 

 

 

イエスが

 

『真理についてあかしをするため』に生まれ、そのためにこの世に来た

 

と返事をしている時点で

 

『王』という言葉の意味合いが違うのと

 

ピラト自身も

 

「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。

 

と言ってました。

 

 


過越の祭の時に総督は

 

群衆が願い出る囚人ひとりを赦免する慣例があったので

 

ピラトが人々に「イエスをゆるしてほしいのか」と聞くと

 

人々は強盗のバラバをゆるしてほしいと言ったので

 

イエスは刑に処せられることとなりました。

 

 

 

 

マタイによる福音書では

 

祭司長や長老たちが民衆に

 

「バラバをゆるすように」説き伏せたとあるので

 

宗教指導者たちの影響力の大きさがうかがえます。

 

 

 

権力と世論、おそるべし。

 

 

 

 

これらの出来事が起こる前に

 

イエス自らが語っていた通りになりました。

 

 

〔マタイによる福音書26章2節〕

 

「あなたがたが知っているとおり、

 

ふつかの後には過越の祭になるが、

 

人の子は十字架につけられるために引き渡される」。

 

 

言葉の意味について勘違いしていた話です。

 

 

 

新約聖書では

 

イエスが福音を伝える前から活動し

 

人々に洗礼を授けていた

 

バプテスマのヨハネが

 

こんなことを言っています。

 

 

〔マタイによる福音書3章2節〕

 

「悔い改めよ、天国は近づいた」。

 

 

 

そして、イエスが福音を宣べ伝え始めた時に

 

こう言ってます。

 

 

〔マタイによる福音書4章17節〕

 

この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、

 

「悔い改めよ、天国は近づいた」。

 

 

 

あれ?

 

同じセリフです。

 

よほど大切な話ということでしょうか。

 

悔い改めたら天国が近付くの??

 

 

 

そもそも悔い改めって何?

 

 

 

 

悔い改めという言葉はヘブライ語では

 

「向き直る」や「立ち返る」を意味する言葉だそうです。

 

 

 

 

そうだったんですか!!

 

 

 

 

 

「悔い改め」という字からの印象から

 

自分の過ちや罪を悔いて

 

神様に「私は罪人です。ゆるしてください」って告白して

 

自分の言動を改めて

 

それらの罪を神様がゆるしてくれたら

 

天国に近づくのかなって思ってました。

 

 

 

 

 

「悔い改め」という言葉が

 

自分に対する戒めのような感じがして

 

「何か悪いことしたのかな!?」とか

 

「何を改めないといけないのかな?」

 

と、反省しなきゃいけないような

 

気持ちが重くなるイメージだったんですが

 

バプテスマのヨハネやイエスが伝えたかったことは

 

私個人の思うところとは違ったようです。

 

 

 

 

自分の中でいろいろ考えて何かを変えるというよりは

 

今、向いてる方向を神様に変えなさいと

 

伝えていたとは知りませんでした。

 

 

思ったよりシンプルで

 

わかりやすいメッセージでした。

 

 

 

 

ヘロデが大勢出てきて混乱した話です。

 

 

新約聖書

 

〔使徒行伝12章21-23節〕

 

定められた日に、

 

ヘロデは王服をまとって王座にすわり、

 

彼らにむかって演説をした。

集まった人々は、

「これは神の声だ、人間の声ではない」

と叫びつづけた。

するとたちまち、主の使が彼を打った。

 

神に栄光を帰することをしなかったからである。

 

彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。

 

 

 

 

 

ヘロデが神に栄光を帰することをしなかったから

 

虫にかまれて息が絶えてました!!

 

 

 

ここに出てくるヘロデは

 

ヘロデ大王の孫の

 

ヘロデ・アグリッパ1世のことだそうです。

 

 

 

ちなみに、使徒行伝25章に出てくる

 

アグリッパ王とは

 

ヘロデ・アグリッパ2世のことで

 

虫にかまれて息絶えたヘロデ・アグリッパ1世の息子です。

 

 

 

呼び名がとてもややこしい・・・

 

 

 

聖書に出てくるヘロデという名前の人は3人いて

 

アグリッパ王と書かれている人は

 

ヘロデ大王のひ孫にあたる人物でした。

 

つまり、4世代のヘロデ家の人々が聖書に登場していたようです。

 

 

 

 

ここで3人のヘロデについておさらいしてみます。

 

 

 

一人目がヘロデ大王で

 

初めてヘロデ朝を立てた人物。

 

幼な子イエスを殺そうとしてた人です。

 

ヘロデ朝の前にユダヤを治めていた

 

ハスモン朝の皇位継承者は後にヘロデ大王が暗殺しました。

 

 

 

 

もう一人のヘロデは

 

ヘロデ大王の息子の一人、ヘロデ・アンティパスです。

 

彼はヘロデ大王死後、ガリラヤ領主となりました。

 

姪のヘロデヤを自分の異母兄弟から略奪婚した人でもあります。

 

この結婚を「よろしくない」と言った洗礼者ヨハネをとらえ、後に処刑しました。

 

ヘロデ・アンティパスは後にローマ皇帝から領地を没収され流刑されました。

 

 

 

そして、3人目のヘロデとして登場したヘロデ・アグリッパ1世が

 

今回のお話の主人公です。

 

 

 

 

彼はヘロデ大王の孫で

 

ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスの甥にあたる人物です。

 

ヘロデ・アグリッパ1世の父親はヘロデ大王に処刑された

 

アリストブロスという人物です。

 

 

 

アリストブロスは

 

ヘロデ大王とユダヤ・ハスモン王朝の血を引くマリアンメ1世の間に生まれた人です。

 

マリアンメ1世とアリストブロスは後にヘロデ大王から処刑されます。

 

なので、ヘロデ・アグリッパ1世は自分の父と自分の祖母を

 

自分の祖父に殺されていました。

 

 

恐ろしすぎ・・・

 

 

 

ヘロデ・アグリッパ1世は

 

おじのピリポの死後、

 

ピリポが治めていた領地の統治をローマから認められました。

 

また、あるとき、別のおじであるガリラヤ領主ヘロデについて

 

ローマ皇帝に告発し、ガリラヤ領主ヘロデは追放され

 

このおじの領地の統治権も得ました。

 

 

ということで、祖父のヘロデ大王がかつて治めていた当時と

 

同じくらいの領地を治めるようになったようです。

 

 

そして彼は

 

ユダヤ人から人気を得るため

 

キリスト教を圧迫したようです。

 

 

 

なんと!!

 

教会迫害の裏に政治的な思惑があったとは・・・

 

 

 

 

ヘロデ・アグリッパ1世は

 

ヨハネの兄弟のヤコブ(12使徒の一人)を殺し

 

ペテロを投獄しました。

 

 

投獄されたペテロは御使に逃がしてもらったため、

 

無事に教会の人たちのところに身を寄せました。

 

 

 

一方、牢獄では

 

ペテロが行方不明になったことが大騒ぎになり

 

結局ペテロが見つからないから、

 

ヘロデは番兵たちを処刑するよう命令しました。

 

 

恐ろしや・・・

 

 

 

 

そして、別件で

 

ヘロデの怒りに触れていたツロとシドンの人々が

 

ヘロデ王をおとずれ、和解を依頼した時

 

ヘロデが彼らに向かって演説をしているときに

 

虫に噛まれて息絶えてしまいました。

 

 

 

 

キリスト教会を圧迫することで

 

ユダヤ教徒の人気も集めつつ

 

ツロとシドンの人々の前でも権威ある姿を見せようとしている

 

絶頂の時に亡くなったということだったんでしょうか。

 

 

 

どんなに広大な領地を手にして

 

どんなに多くの人気や名声を得たとしても

 

人は自分の寿命を知ることはできません。

 

 

 

歴史に「もしも」はないのですが

 

ヘロデ・アグリッパ1世が任された権力や領地は

 

自分の力で勝ち取ったものではなく

 

神様が与えてくださったものだから

 

神様に栄光を帰しますと

 

一言告白していたら

 

その人生は変わっていたんでしょうか。

 

 

 

当時のユダヤにおいて栄華を手にした!?ように見えた

 

ヘロデのあっけない最後でした。

 

 

 

イエスの系図についてのお話です。

 

 

 

旧約聖書のエズラ記では、

 

バビロン捕囚から帰還した人々が

 

律法に立ち返る中で

 

異邦人の女性と結婚していた人たちが

 

異邦人の女性と子供と離縁したことが載っていました。

 

 

 

律法を守ることと

 

律法を守るために血統を重んじていた人々が

 

旧約聖書に預言された救い主を待っていましたが、

 

新約聖書に登場するイエスの系図を見ると

 

その血統はユダヤ人だけではありませんでした。

 

 

 

 

新約聖書

 

〔マタイによる福音書1章5節〕

 

サルモンはラハブによるボアズの父、

 

ボアズはルツによるオベデの父、

 

オベデはエッサイの父、


 

 

 

サルモンとラハブが結婚してボアズが産まれ

 

ボアズとルツが結婚してオベデが産まれたそうです。

 

ここに出てくるラハブもルツも外国人の女性でした。

 

 

 

旧約聖書

 

〔ヨシュア記2章1節〕

 

ヌンの子ヨシュアは、シッテムから、

 

ひそかにふたりの斥候をつかわして彼らに言った、

 

「行って、その地、特にエリコを探りなさい」。

 

彼らは行って、名をラハブという遊女の家にはいり、

 

そこに泊まったが、


 

とありました。

 

ラハブはエリコの地に住む遊女でした!!

 

 

 

イスラエルの民を率いるヨシュアが

 

2人の斥候をつかわしてエリコの地をさぐっていました。

 

その情報を聞いたエリコの王が

 

人を遣わして斥候を引き渡すようラハブに伝えます。

 

しかし、遊女ラハブは2人の斥候を匿いました。

 

 

 

後にヨシュアたちイスラエルの民はエリコを滅ぼしますが

 

その時、遊女ラハブとその家族は助けられました。

 

 

 

 

その後ラハブがイスラエルの民と結婚していたことに

 

気付いてませんでした。

 

 

 

そして、ラハブが産んだボアズは

 

旧約聖書のルツ記に出てくる人物です。

 

ボアズと結婚したルツはモアブ人でした。

 

 

 

 

律法にはこのような記載があります。

 

 

旧約聖書

 

〔申命記23章3-4節〕

 

アンモンびととモアブびとは主の会衆に加わってはならない。

 

彼らの子孫は十代までも、

 

いつまでも主の会衆に加わってはならない。

 

これはあなたがたがエジプトから出てきた時に、

 

彼らがパンと水を携えてあなたがたを道に迎えず、

 

アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇って、

 

あなたをのろわせようとしたからである。

 

 

 

 

モーセが生きてた時代に

 

モアブ人はイスラエルの人々を歓迎せず、

 

モアブの王がまじない師のバラムを使って呪わせようとした事があったので

 

主の会衆に加わってはならないとされたようです。

 

 

 

 

 

ところで、系図の話に戻ると

 

エリコにいた遊女と結婚したサルモン

 

→モアブ人と結婚したボアズ

 

→オベデ→エッサイ→ダビデ

 

という流れでした。

 

 

 

そういうつながりでしたか!!

 

 

ダビデ王の曾祖母と高祖母が

 

外国人だっとは。

 

 

 

ダビデ王の先祖に外国人がいたこと

 

そして、その系図がイエス・キリストにまで

 

つながっていたことにびっくりでした。

 

 

 

 

 

 

 

人々がしていたある決断にびっくりした話です。

 

 

 

紀元前500年代に

 

バビロン捕囚から帰還した人々が

 

20年以上かけて

 

エルサレム神殿を再建しました。

 

 

 

紀元前400年代には

 

エルサレム神殿の城壁を修理した様子が

 

ネヘミヤ記に記されています。

 

 

このことについて良く思わない他民族の地域住民もいたため

 

昼夜見張りを立てながらも

 

城壁の修繕を行い

 

52日で完成させていました!

 

 

 

 

また、ユダヤ人の間で

 

律法が守れらていない状況を知ったネヘミヤは

 

兄弟から利息を取るのをやめ、

 

家や田畑を彼らに返し

 

金銭や穀物などの100分の1を彼らに返しなさいと話しました。

 

 

 

律法には困窮する兄弟を虐げないよう記されています。

 

 

 

旧約聖書

 

 〔レビ記25章35-39節〕

 

あなたの兄弟が落ちぶれ、暮して行けない時は、

 

彼を助け、寄留者または旅びとのようにして、

 

あなたと共に生きながらえさせなければならない。

 

彼から利子も利息も取ってはならない。

 

あなたの神を恐れ、あなたの兄弟を

 

あなたと共に生きながらえさせなければならない。

 

あなたは利子を取って彼に金を貸してはならない。

 

また利益をえるために食物を貸してはならない。

 

わたしはあなたがたの神、主であって、

 

カナンの地をあなたがたに与え、

 

かつあなたがたの神となるために

 

あなたがたをエジプトの国から導き出した者である。

 

あなたの兄弟が落ちぶれて、

 

あなたに身を売るときは、

 

奴隷のように働かせてはならない。

 

 

 

 

このようにして

 

当時の人々の生活を

 

律法を守ることで立て直していきますが、

 

個人的に衝撃だったのはこのことでした。

 

 

 

旧約聖書

 

〔エズラ記10章10-12節〕

 

 時に祭司エズラは立って彼らに言った、

 

「あなたがたは罪を犯し、

 

異邦の女をめとって、

 

イスラエルのとがを増した。

 

それで今、あなたがたの先祖の神、

 

主にざんげして、そのみ旨を行いなさい。

 

あなたがたはこの地の民および異邦の女と離れなさい」。

 

すると会衆は皆大声をあげて答えた、

 

「あなたの言われたとおり、

 

われわれは必ず行います。

 

 

 

 

ということは、離婚したんですか!!

 

 

 

さらに驚いたのは

 

離婚を誓った人々の名が100名以上書かれていたこと。

 

 

 

名前まで聖書に載ってるんですか!!

 

 

 

個人的には

 

突然離婚を言い渡された

 

妻と子供のその後が気になってしまったというか

 

夫が、離縁する妻や子供たちが今後生活できるだけの養育費を渡したのか

 

どんな説明をして別れるに至ったのかとか

 

気になってしまいました・・・

 

 

 

 

 

話が戻りますが

 

彼らがこのような大きな痛みを伴う決心をしたのは

 

過去、自分たちの先祖が

 

律法を守らなかったことから

 

その心が少しずつ神様から離れ、

 

罪を犯し続けたことにより神の怒りを引き起こし

 

国の滅亡にまで至ってしまったことを

 

重く受け止めたということだったのでしょうか。

 

 

 

 

ネヘミヤ書にはこのような言葉がありました。

 

 

旧約聖書

 

〔ネヘミヤ記13章26-27節〕

 

イスラエルの王ソロモンは

 

これらのことによって罪を犯したではないか。

 

彼のような王は多くの国民のうちにもなく、

 

神に愛せられた者である。

 

神は彼をイスラエル全国の王とせられた。

 

ところが異邦の女たちは彼に罪を犯させた。

 

それゆえあなたがたが異邦の女をめとり、

 

このすべての大いなる悪を行って、

 

われわれの神に罪を犯すのを、

 

われわれは聞き流しにしておけようか」

 

 

 

 

大昔のお話ではありますが

 

衝撃のエピソードでした。

 

 

 

 

 

 

崩れた神殿を再建した時の出来事です。



ユダ王国が滅ぶ前後でバビロン捕囚は

何度も行われていました。

 

エルサレム神殿は

 

ユダ王国が滅ぶ紀元前586年あたりに破壊されたようです。




捕囚された地では

熱心に悔い改める預言者たちがいました。



一人は預言者ダニエルです。

ユダ族の王族や貴族たちの中で、

捕囚されてバビロン王に仕えるようなったのは

ダニエルと3人の友でした。



もう一人はエゼキエル預言者です。

自らも捕囚され、

捕囚の地で人々に悔い改めるよう預言しました。

彼は祭司の家系でレビ人でした。





あれ!?預言者エレミヤはどこへ?




祭司の家系でレビ人であったエレミヤは

ユダ王国最後のゼデキヤ王の時代には

牢獄に繋がれていました。




エレミヤは国が滅び行く混乱の中

エジプトへ逃れようとする一行に

無理やり連行されてました。



エジプトへ連行されちゃったんですか・・・




みすみすバビロンに連れて行かれるよりは

エジプトへ逃げるべきと考えた人々は

他にもいたかもしれません。



捕囚されたり

エジプトへ逃げたり

各地での苦難の数十年を経て



バビロンが滅びると

紀元前538年頃にペルシャ王クロスが

エルサレム神殿再建のお達しを出します。




そこで、捕囚の民のうち

志願して帰還した人々が

エルサレム神殿の再建に取りかかります。



主の宮の基礎がすえられたとき

 

大声をあげて泣き、

 

喜びのために大声で叫ぶ人々も多かったそうです。




しかし、再建をよく思わないその地の民が

役人を買収したり

当時のペルシャ王へ

 

エルサレムの住民を訴える告訴状を送り

再建は中断されました。






そして、エルサレム神殿の再建は

十数年中断していましたが

ダリヨス王の時に事態が動きます。



預言者ハガイとゼカリヤは

再びエルサレム神殿再建に取り組むよう

 

預言をしました。



レビの大祭司ヨシュアと

ユダの総督ゼルバベルを中心に

人々はもう一度神殿再建に取りかかり、

ペルシャのダリヨス王も再建を許可し

妨害していた人々も手を出せなくなりました。



中断していた時期がおよそ18年

ダリヨス2年まで中断されていての工事の再開

ダリヨス6年にようやく完成しました。



完成は紀元前515年頃のようです。

最初に取り組み始めた時から

20年以上の月日が経っていました。



大変な状況の中で

 

ようやく完成した時の

 

人々の喜びはどれほどだったでしょうか。

 

 

 

民族の罪を悔い改めていた当時の預言者たちも

 

バビロン捕囚で散らばった人々も切望していた

 

エルサレム神殿の再建は

 

神殿破壊の時から計算すると70年近い歳月が過ぎ
 

すでに世代が代わっていました。

 

 

 

エルサレム神殿の再建に

 

それほどの時間がかかっていたとは

 

知りませんでした。

 

 

 

 

 

イエスが生きていた時代に

 

人々がしようとしたことにびっくりした話です。

 

 

 

新約聖書

 

〔ヨハネによる福音書6章14-15節〕

 

人々はイエスのなさったこのしるしを見て、

 

「ほんとうに、

 

この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。

 

イエスは人々がきて、

 

自分をとらえて王にしようとしていると知って、

 

ただひとり、また山に退かれた。

 

 

 

イエスが5千人の人々に

 

大麦のパン五つと、さかな二ひきを分け与えられ、

 

人々が十分に食べたあとに

 

五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、

 

十二のかごにいっぱいになりました。

 

このしるしを見て、人々は

 

この人こそ世にきたるべき預言者であると言いました。

 

 

 

 

この人こそ・・・と思った人々が

 

イエスをとらえて王にしようとしてますが!!

 

 

 

 

イエスを預言者だと認めたからって

 

どうして王にしようとしたんですか!?

 

 

 

これには旧約聖書の預言書が関係してそうです。

 

 

 

 

旧約聖書の預言書は

 

神様に背を向ける人々に対して

 

神様のもとに戻るよう伝えていたり

 

将来起こる裁きと救いについて記されています。

 

 

 

救いに関する部分はたくさんありますが

 

その一部がこちら。

 

 

 

旧約聖書

 

〔イザヤ書9章7節〕

 

そのまつりごとと平和とは、

 

増し加わって限りなく、

 

ダビデの位に座して、その国を治め、

 

今より後、

 

とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、

 

これを保たれる。

 

万軍の主の熱心がこれをなされるのである。

 

 

 

 

〔イザヤ書16章5節〕

 

 一つの玉座がいつくしみによって堅く立てられ、

 

ダビデの幕屋にあって、さばきをなし、

 

公平を求め、正義を行うに、

 

すみやかなる者が真実をもってその上に座する」。

 

 

 

ダビデは紀元前1000年頃のイスラエルの王様です。

 

救い主がダビデの位に座して

 

公平と正義とをもって

 

国を治めることが記されていました!!

 

 

 

 

っていうことは

 

人々はこの預言を成そうと

 

イエスをとらえて王にしようとしたんでしょうか・・・

 

 

 

いやいや

 

とらえて王にするって

 

ちょっと無理やりすぎるし

 

そんなことしたら

 

クーデターになっちゃいます!!

 

 

 

 

当時のユダヤはローマ帝国の属州でした。


この頃ヘロデ朝はローマから王の称号はもらっていませんが

 

領主として存在していました。

 

 

 

 

当時の人々は

 

他国に支配されている状況から救ってくれる存在を

 

救い主として待っていたので

 

「ものすごいしるしを行った預言者イエスを

 

われらの王にしようではないか!」

 

と強硬策を考える人々がいたのかもしれません・・・

 

 

 

それにしても、

 

イエスを認めたけれど

 

イエスが伝えたい事とは

 

別の方向に事を運ぼうとする人々にびっくりでした。

 

 

 

 

どうやら

 

救い主という存在には

 

王になること、

 

現実的に言えば

 

政治的な役割が求められていたようです。

 

 

 

ちょっと脱線しますが

 

イエスの死後100年ほど経って

 

第二次ユダヤ戦争が起こります。

 

この戦争を指揮したバル・コクバは

 

当時のラビたちから

 

彼こそは聖書に記された救世主だと言われ

 

ローマの支配下にあったユダヤを取り戻し

 

2年半ユダヤを統治しました。

 

 

ローマに反旗を翻したバル・コクバを

 

当時のユダヤ教指導者たちが救世主と認めたことを通しても

 

人々が救世主に求めた役割を知ることができます。

 

 

しかしその後エルサレムは陥落し、

 

バル・コクバは戦死しました。

 

彼の死後、人々は彼を批判していたようです。

 

神の国を実現する救世主が現れたと期待したからこそ、

 

国の滅亡という衝撃の結末を迎え

 

怒りの矛先が彼に向いたとしても不思議ではありません。

 

 

 

 

話が戻りますが

 

イエスにとって

 

自分をとらえて王としようとした人々の行動が

 

予想外の行為だったのか

 

想定の範囲内だったのかわかりませんが

 

イエスはただひとり、山に退かれました。

 

 

 

イエスが伝えようとしていることと

 

人々が期待していることに

 

認識の違いがあったことを

 

このエピソードを通して感じます。

 

 

 

 

イエスの教えに反対する人々を遠ざけるのではなくて

 

イエスをすごいと思った人々から


遠ざからなければいけない状況があったなんて

 

知りませんでした。

 

 

 

 

 

ユダ王国の王様のお話です。

 

 

12歳で王となり55年国を治めたマナセについて。

 

旧約聖書

 

〔歴代志下33章3-6節〕

 

すなわち、その父ヒゼキヤがこわした高き所を再び築き、

 

またもろもろのバアルのために祭壇を設け、

 

アシラ像を造り、天の万象を拝んで、これに仕え、

 

また主が「わが名は永遠にエルサレムにある」

 

と言われた主の宮のうちに数個の祭壇を築き、

 

 主の宮の二つの庭に天の万象のために祭壇を築いた。

 

彼はまたベンヒンノムの谷でその子供を火に焼いて供え物とし、

 

占いをし、魔法をつかい、まじないを行い、

 

口寄せと、占い師を任用するなど、

 

主の前に多くの悪を行って、その怒りをひき起した。

 

 

 

 

拝む対象がたくさんあって

 

祭壇を築くのが大変そうなのと

 

供え物が残酷過ぎて言葉になりません・・・

 

 

 

歴代志によると

 

ある時ユダ王国はアッスリヤに攻め込まれ

 

マナセは捕えられてバビロンに引いて行かれました。

 

その時マナセが身を低くして神に祈ったので

 

主はマナセの祈りを聞き、エルサレムに連れ帰りました。

 

マナセは主こそまことに神にいますことを知り

 

自分がつくらせた異邦の神々や祭壇を取り除きました。

 

 

 

ところで、マナセの父であるヒゼキヤ王も

 

マナセの孫であるヨシヤ王も

 

異邦の神々の祭壇を取り除いたことが

 

聖書に記されています。

 

 

 

ざっと、こんな流れでした。

 

 

 

マナセの父ヒゼキヤが異邦の神々と祭壇を取り除く

 

→マナセが異邦の神々と祭壇をつくり、その後自分で取り除く

 

→息子のアモンがマナセが造ったもろもろの像に犠牲を捧げる

 

→孫のヨシヤがそれらすべての神々と祭壇を取り除く

 

 

 

 

 

ちょっと気になってしまったんですが、

 

王様が代わるごとに

 

祭壇を築いたり、取り除いたり、忙しくないですか??

 

 

 

何を信じるかは本人の自由ですから

 

と言ってしまえばそれまでですが

 

これには当時の政治が大きく関わっていたようです。

 

 

 

ヒゼキヤ王の時代

 

アッスリヤが攻めてきた時には

 

ヒゼキヤ王は神様に願い求め、

 

主が彼らを守られたことが記されています。

 

 

 

じゃあ、息子のマナセの時代は?

 

 

 

政治的には親アッスリヤ政策を取っていました。

 

親アッスリヤと言っても

 

同等な立場というよりは

 

大国の前に従う小国のような立場だったようです。

 

そして、アッスリヤが信仰する神を拝みました。

 

 

 

マナセが造った祭壇すべてが

 

アッスリヤで信仰されていたものかわかりませんが

 

アッスリヤで拝まれている神を拝むことが

 

当時の大事な外交政策の1つだったようです。

 

 

 

後にマナセが異邦の神々の祭壇を取り除いたのに

 

息子アモンがマナセがつくったもろもろの刻んだ像を拝んでいたのは

 

大国アッスリヤに配慮した結果だったのかもしれません。

 

 

 

大国を前にしたら

 

「うーん、やっぱり喧嘩したくない相手だし

 

波風立てないためにも

 

ここは拝んでおこうよ」

 

ということになっちゃったのかなー

 

なんて勝手な妄想してますが

 

 

 

ユダ王国の兄弟国だった北イスラエルは

 

アッスリヤに滅ぼされたという

 

現実があったから

 

次は自分の番かもしれないという恐れが

 

外交政策に反映されたのかもしれません。

 

 

 

ただ、

 

どんな事情があるにせよ

 

神様としては、

 

大変な時も神様がユダ王国を守るから

 

神様から離れず

 

神様を信じて神様に頼ってほしいという立場です。

 

 

 

神様に背を向けた数々の罪により

 

マナセの治世が終わってから60年ほどで

 

ユダ王国は滅びました。

 

 

 

 

外交上必要と思われた

 

異邦の神々への崇拝が

 

国を亡ぼすきっかけになるとは

 

マナセもアモンも夢にも思わなかったんじゃないでしょうか。

 

当事者たちは

 

むしろ国を守るためにやったことだったかも・・

 

 

 

そう考えると

 

自分の考えと

 

神様の考えは

 

あまりにも違うのかもしれません。

 

 

 

この話は政治と宗教が一体になっていた時の事情ではありますが

 

 

 

政治が絡んでいなかったとしても

 

自分が大変な時や

 

自分が追いつめられてる時は

 

冷静になることが難しいし

 

自分より強く見える存在に忖度することで

 

その場を潜り抜けようとすることはあるかもしれません。

 

 

 

自分を脅かすかもしれない存在を目の前にしながら

 

目には見えない神様だけを頼ります

 

という姿勢を貫き通すことは

 

そう簡単なことではなくて

 

すごく勇気がいることなのかもしれない

 

と思ったエピソードでした。