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意外すぎる聖書のおはなし

聖書ってそんな話だったの?イメージと違っていた意外なストーリー展開にびっくりしたことを書いてます。

 

聖書の中にあった

 

お金にまつわるお話です。

 

 

 

 

〔マルコによる福音書12章17節〕

 

するとイエスは言われた、

 

「カイザルのものはカイザルに、

 

神のものは神に返しなさい」。

 

彼らはイエスに驚嘆した。

 

 

 

 

 

なんで彼らはこの答えに驚嘆したの!?

 

 

 

 

話の発端はこういう事のようです。

 

 

 

〔マルコによる福音書12章11節〕

 

さて、人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、

 

イエスのもとにつかわして、

 

その言葉じりを捕えようとした。


 

 

パリサイ人というのはユダヤ教のパリサイ派の人々で

 

律法を厳格に守っていました。

 

会堂でモーセの律法を人々に教え

 

イエスが御言葉を宣べ伝えていたガリラヤで

 

パリサイ派を支持する人々は多かったようです。

 

 

 

 

ヘロデ党は、

 

ガリラヤや周辺領地を治めていたヘロデ朝を支持していた団体。

 

パリサイ派もヘロデ党もイエスを敵視し、

 

互いに手を組んでイエスを捕える口実を探していました。

 

 

 

 

〔マルコによる福音書12章14節〕

 

彼らはきてイエスに言った、

 

「先生、わたしたちはあなたが真実なかたで、

 

だれをも、はばかられないことを知っています。

 

あなたは人に分け隔てをなさらないで、

 

真理に基いて神の道を教えてくださいます。

 

ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか、

 

いけないでしょうか。

 

納めるべきでしょうか、

 

納めてはならないのでしょうか」。

 

 

 

質問の前置きが長くて


一体何が言いたいのか

 

いまいちわからなかったんですが

 

ここで言ってるカイザルとはローマ皇帝の称号のこと。

 

 

 

律法の観点から見ると

 

ローマに税を納めることは良いことかどうかと

 

聞いていたようです。

 

 

 

モーセの律法では神様に収穫の10分の1を捧げることを書いてますが、

 

大昔に作られたものだし

 

信仰の書なので

 

ローマに税を納めることについての記述はありません。

 

 

 

真理に基づいて神の道を教えるあなたは

 

ローマに税を納めて良いと思いますかって聞いてくるのは

 

若干嫌味というか、いじわるな質問にも思える・・・

 

 

 

 

そして、当時、ガリラヤで活動していた熱心党が

 

ローマに税を納めることを拒否していた経緯があったようです。

 

 

 

熱心党と言えば、

 

神の国を実現するためには武力行使も厭わないという過激な団体。

 

ローマやヘロデ朝の支配に抵抗していました。

 

ローマへの納税を拒否したら、

 

熱心党と同じようにローマの敵とみなされてしまいます。

 

 

 

それでイエスはこのように対応しました。

 

 

 

〔マルコによる福音書12章15-17節〕

 

イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた、

 

「なぜわたしをためそうとするのか。

 

デナリを持ってきて見せなさい」。

 

彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた、

 

「これは、だれの肖像、だれの記号か」。

 

彼らは「カイザルのです」と答えた。

 

するとイエスは言われた、

 

「カイザルのものはカイザルに、

 

神のものは神に返しなさい」。

 

彼らはイエスに驚嘆した。

 

 

 

 

ちなみに、ユダヤ教は偶像崇拝を禁じているので

 

誰かの像を作ったりしないし、

 

コインに誰かの肖像を描くことも

 

そういう意味でよろしくない行為です。

 

 

 

 

デナリにはローマ皇帝の肖像や記号があったようなので

 

ユダヤ教的には好ましくないコインの肖像を

 

あえて出してきて

 

相手に返答してたのも

 

なんだかすごいと思いました。

 

 

 

それにしても、

 

イエスを陥れようとする人が多くてびっくりします。

 

 

 

パリサイ派とヘロデ党って

 

もとから仲良い団体だったのか知りませんが

 

互いの理想や理念は違っても

 

イエスという共通の敵を見つけたから

 

仲良くなったんでしょうか・・・

 

 

 

宗教と政治のいろんな思惑が交錯する世の中で

 

ぶれることなく御言葉を宣べ伝え続けた

 

イエスの精神がすごいです。