噛まれて・・・? | 意外すぎる聖書のおはなし

意外すぎる聖書のおはなし

聖書ってそんな話だったの?イメージと違っていた意外なストーリー展開にびっくりしたことを書いてます。

 

ヘロデが大勢出てきて混乱した話です。

 

 

新約聖書

 

〔使徒行伝12章21-23節〕

 

定められた日に、

 

ヘロデは王服をまとって王座にすわり、

 

彼らにむかって演説をした。

集まった人々は、

「これは神の声だ、人間の声ではない」

と叫びつづけた。

するとたちまち、主の使が彼を打った。

 

神に栄光を帰することをしなかったからである。

 

彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。

 

 

 

 

 

ヘロデが神に栄光を帰することをしなかったから

 

虫にかまれて息が絶えてました!!

 

 

 

ここに出てくるヘロデは

 

ヘロデ大王の孫の

 

ヘロデ・アグリッパ1世のことだそうです。

 

 

 

ちなみに、使徒行伝25章に出てくる

 

アグリッパ王とは

 

ヘロデ・アグリッパ2世のことで

 

虫にかまれて息絶えたヘロデ・アグリッパ1世の息子です。

 

 

 

呼び名がとてもややこしい・・・

 

 

 

聖書に出てくるヘロデという名前の人は3人いて

 

アグリッパ王と書かれている人は

 

ヘロデ大王のひ孫にあたる人物でした。

 

つまり、4世代のヘロデ家の人々が聖書に登場していたようです。

 

 

 

 

ここで3人のヘロデについておさらいしてみます。

 

 

 

一人目がヘロデ大王で

 

初めてヘロデ朝を立てた人物。

 

幼な子イエスを殺そうとしてた人です。

 

ヘロデ朝の前にユダヤを治めていた

 

ハスモン朝の皇位継承者は後にヘロデ大王が暗殺しました。

 

 

 

 

もう一人のヘロデは

 

ヘロデ大王の息子の一人、ヘロデ・アンティパスです。

 

彼はヘロデ大王死後、ガリラヤ領主となりました。

 

姪のヘロデヤを自分の異母兄弟から略奪婚した人でもあります。

 

この結婚を「よろしくない」と言った洗礼者ヨハネをとらえ、後に処刑しました。

 

ヘロデ・アンティパスは後にローマ皇帝から領地を没収され流刑されました。

 

 

 

そして、3人目のヘロデとして登場したヘロデ・アグリッパ1世が

 

今回のお話の主人公です。

 

 

 

 

彼はヘロデ大王の孫で

 

ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスの甥にあたる人物です。

 

ヘロデ・アグリッパ1世の父親はヘロデ大王に処刑された

 

アリストブロスという人物です。

 

 

 

アリストブロスは

 

ヘロデ大王とユダヤ・ハスモン王朝の血を引くマリアンメ1世の間に生まれた人です。

 

マリアンメ1世とアリストブロスは後にヘロデ大王から処刑されます。

 

なので、ヘロデ・アグリッパ1世は自分の父と自分の祖母を

 

自分の祖父に殺されていました。

 

 

恐ろしすぎ・・・

 

 

 

ヘロデ・アグリッパ1世は

 

おじのピリポの死後、

 

ピリポが治めていた領地の統治をローマから認められました。

 

また、あるとき、別のおじであるガリラヤ領主ヘロデについて

 

ローマ皇帝に告発し、ガリラヤ領主ヘロデは追放され

 

このおじの領地の統治権も得ました。

 

 

ということで、祖父のヘロデ大王がかつて治めていた当時と

 

同じくらいの領地を治めるようになったようです。

 

 

そして彼は

 

ユダヤ人から人気を得るため

 

キリスト教を圧迫したようです。

 

 

 

なんと!!

 

教会迫害の裏に政治的な思惑があったとは・・・

 

 

 

 

ヘロデ・アグリッパ1世は

 

ヨハネの兄弟のヤコブ(12使徒の一人)を殺し

 

ペテロを投獄しました。

 

 

投獄されたペテロは御使に逃がしてもらったため、

 

無事に教会の人たちのところに身を寄せました。

 

 

 

一方、牢獄では

 

ペテロが行方不明になったことが大騒ぎになり

 

結局ペテロが見つからないから、

 

ヘロデは番兵たちを処刑するよう命令しました。

 

 

恐ろしや・・・

 

 

 

 

そして、別件で

 

ヘロデの怒りに触れていたツロとシドンの人々が

 

ヘロデ王をおとずれ、和解を依頼した時

 

ヘロデが彼らに向かって演説をしているときに

 

虫に噛まれて息絶えてしまいました。

 

 

 

 

キリスト教会を圧迫することで

 

ユダヤ教徒の人気も集めつつ

 

ツロとシドンの人々の前でも権威ある姿を見せようとしている

 

絶頂の時に亡くなったということだったんでしょうか。

 

 

 

どんなに広大な領地を手にして

 

どんなに多くの人気や名声を得たとしても

 

人は自分の寿命を知ることはできません。

 

 

 

歴史に「もしも」はないのですが

 

ヘロデ・アグリッパ1世が任された権力や領地は

 

自分の力で勝ち取ったものではなく

 

神様が与えてくださったものだから

 

神様に栄光を帰しますと

 

一言告白していたら

 

その人生は変わっていたんでしょうか。

 

 

 

当時のユダヤにおいて栄華を手にした!?ように見えた

 

ヘロデのあっけない最後でした。