祖青8月号!感想紹介⑥ 昭和戦前期における日本主義学生運動の光と影(3) | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

島野です!

 

ここ最近、ブログを見てくださった方(祖青読者)から「あのブログいいね!」、「どなたが書いているの?」、さらには執筆者の方からも「自分の記事を取り上げてくれてありがとう」といったお言葉が青年協議会に届ているようで、そのことを聞いて島野も大変うれしく感じました✨

 

こちらこそありがとうございます!!

 

本ブログが祖青を手にとる・ページを開く一助となってほしいと願いながら、引き続き取り組んで参ります♬

 

 

 

さて、本日とりあげる記事は

昭和戦前期における日本主義学生運動の光と影

(短期集中連載・第三回、中村学園大学前教授 占部賢志先生)

です!

 

 

この連載は、占部先生執筆の研究論文が基となっているため、少々難解な文章ではありますが、戦前の大学の歴史、特に日本トップの大学である東大でどのようなことが起きていたのかを知る貴重な文章です!!

 

 

 

先月の記事では主に

小田村学生に対する処分を巡って、東京帝大と学生側の対立が決定づけられたことへの感想を記しました。

 

気になる方は以下をクリック(^^♪

 

 

 

 

そこからさらに状況は変わり、今回は

 

①大学側による「全学会」の設立

②「全学会」設立の背景

③小田村学生及びその関係団体を排除する東大の判断と論理

 

が緊張感を伴うように記されています。

 

 

詳細はぜひご自身で読んでいただきたいのですが、島野が最も心に残ったのは以下の二点。

 

・全学会とはどのような組織か

・なぜ設立されたか

 

 

 

 

本文では、こう記されています。

 

「(前略)第二次近衛内閣が提唱した所謂『新体制』運動を、他に先駆けて取り入れ、自発的に企画して学内組織の再編に着手し、教職員および学生を強制加入させるべく『全学会』を設立する」

 

 

ここで登場する「新体制運動」の説明は以下を参考に。

 

「1940年(昭和15)に近衛文麿を中心に起こされたファッショ的政治体制樹立のための政治運動。1937年7月の日中戦争開始以来、国家総力戦体制を樹立するため、強力な権力集中と国民総動員とを実現することが支配層にとって緊急な課題となった」

(小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より一部抜粋)

 

 

つまり、国内に起こった国家総力戦体制(≒全体主義的な体制)の動きに合わせて、大学当局が先駆けて中央集権的な学内組織の再編に着手した。その組織が「全学会」ということでしょう。

 

 

 

全学会の具体的な構想案としては、

 

・会長(総長)

・中央指導部(各学部長、教授各学部一名、庶務、会計、営繕、学生の四課長)

・中央事業部(各学部長、幹事として学生主事)

 

が設けられ、特に中央指導部は全学的事項を決定し、各学部会を統制指導する権限を付与されていたようです。

 

 

島野は20代なので中々想像できないこともあるのですが、現在のイメージでいえばサークルや学生を一元管理する中央集権的な組織ができたということでしょうか。

 

大学側の都合で、サークル(学生)の自由な活動が制限・指導されるとなると非常にやりづらいし、正直面白くなくなってしまう気がします。

 

 

 

なぜ、大学当局はこうまでして強権的な全学組織を構想したのか。

 

その理由に、停学処分を受けていた小田村学生と、小田村学生が幹部を務めていた学外団体「日本学生協会」、そして日本学生協会と連携していた学内組織「東大精神科学研究会」の存在が関わってくるのです。

 

 

「新体制運動」という新たな国内の流れから生まれた「全学会」という、中央集権的な学内管理方法。

 

そして、これを根拠に大学当局は、遂に小田村学生への退学処分命令と、日本学生協会への参加の禁止、そして精神科学研究会の解散を命じるのです!

 

 

 

昭和戦前期の東大でこのような激しい対決が行われていたことは本当に衝撃で、まるでサスペンスドラマを見ている気持ちになりました。

果たして、次回はいったいどのような展開になるのか・・・

 

 

 

以上です。皆さんもぜひ読んでみてください!おすすめです!!

ありがとうございました。