ニューヨーク狂人日記 -18ページ目

同じ名前で出ています

忠実という言葉は自分のためにあるような気もする。
渡り鳥は天衣無縫のように思われがちがけれど、
これほど忠実な生き物もいないんじゃないだろうか。



同じ時間に起き、
同じ場所でタバコを吸い、
同じ人を見かけ、
同じページだけ本を読んで。

同じ店へ行き、
同じ物を同じ数だけ飲んで、
同じようなものを食べる

イタチの一本道。



最近は鳥の声で目覚める。
毎年同じように。

綺麗に澄んだ声で。
たまにアベックで堂々すぎる愛の囁きをしていたり。

今年も帰ってきたオレンジの鳥。
名前は知らない。
名前はそれほど重要じゃない。

毎年忠実に帰ってくる、
どうしてここへ帰ってくるのか。
それは知らない。

きっとあちらでも。
冬の間飛んでいく土地でも。
「あ、今年も帰ってきたな」
そんなことを思ってる人がいるんだろう。
どこか、誰かも知らない。
プラスとマイナスの存在。
たった1羽の鳥をはさんだ。

この鳥のふるさとはどこだろう?
どっちでもいい。



日本ではオウムが鳴いている。
年明けには出頭しても信じてもらえなかった、
ある意味哀れな手配者がニュースを賑わわせた。

今のオウムは、
「おい、菊池?」
ではなくて高橋さんの方。
ここまできたら捕まるんだろうな、きっと。

昔から配布されている彼の手配写真。
実はそっくりな人がNYにいて、
その上、姓名の3文字までが同じ。
かつての同僚であるだけにおかしくて、おかしくて。

高校時代には、
指名手配中の爆弾魔とそっくりな顔をした先生がいた。
数少ない恩師と呼べる先生だった。

ニュースを聞きながらどこかで引っかかってた。
NYにいる知り合いではない別の箇所で。
今日やっとその小骨の正体がわかった。。

桜井信哉という名前だった。
高校時代の先輩の名前と読みが同じだった。
先輩とは漢字ひとつが違っていたけれど。



30分バスに揺られて会いにゆく。
自分と同じ名前の男に。
しかも同郷で、同級生の弟という。
その上着いてみたら自分と同じ字を書くという。
誠輝
せいき。



名前というのは符号や、言葉と同じで。
大切なようで、
別になんということなくて。
大切なようでなくて、
実はそんなことなくて。

うちでキヨPと呼んでいるネコくんを、
階下のおばさんはゾロと呼ぶ。
それでもぼくが「ゾロ」と呼んでもシカトする。

あの人が言う焼きナスとぼくの焼きナスはちがう。

ぼくはバカなんだろうけど、
そんなにバカではないかもしれない。



あの鳥はなんという名前なんだろう?






おいしいお寿司を頂きました。
地元では有名なお茶屋さん、山田茶舗の息子さんです。

Seiki's Sush
254 DeGraw Avenue
Teaneck, NJ 07666
(201) 692-1002i





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誠輝&誠輝
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タイムマシン窓便り <2>

また小さなタイムマシンに乗る。

歩道に店を出す屋台。
Bagel with Cream Cheese
パブリック・スペースで食べることにした。

前例のあとはなし崩し。
10数年の名物1ドル朝定も今はない。
屋台で買うベーグルとコーヒーで1ドル。
ある日、コーヒーが値上がりし、ベーグルがつづく。
また片方が上がり、もう一方も後を追う。
あれよ、あれよ。
いつの間にか2ドル。
アイスティーがあるからベーグルだけを買う。
$1.50也。

「あーあ」
椅子に坐って袋を開けりゃ、
「ガーリック」と言ったのに"Everything”を入れている。
Poppy Seedは好きじゃないんだ。
換えに行くのもめんどくさい。

「ガブリ」
ひと口。
ふた口。
???
少し離して断面を見る。
白いクリームチーズは右側2/3にしか塗られてない。
不意にジャムサンドのことを考えていた。
それにしてもLousy Jobだ。
アミーゴくん。
勤勉、真面目の代名詞はずっと前から神話となっている。

1ドル定食ではOKだったことも、
2ドルでは話がちがってくる。

いつも思うんだけれど、
よく屋台なんかでベーグルを買うな、と。
専門店へ行けば焼きたてふわふわ、モチモチが、
同じような値段で買えるというのに。
たっぷりとクリームチーズをのせて。
塗るのではなくのっている、はさまっている。
注文通りの品がちゃんと出てくるというのに。
それにしても毎朝、毎朝よく人が並ぶ。

それとも同じ人が並んでるように見えるだけなのか。
女ジプシーの物乞いが日によって別の赤ん坊を抱くように。
実は年に数度のタイムマシン乗りたちが、
入れ替わり立ち替わり並んでるだけなのか。
ぼくのように。

ともかくこの手の店の存在価値は、
「そこにある」
この一言に尽きる。
味や、値段とは異空間で成立する商売となった。



横目に人影が映る。
だんだんと近づいてくる。
案の定だ。

丸くなった黒ズボン。
白い汚れのあるこれも黒いウィンドブレーカーの背をふくらませて、
小柄な黒人男がやってきた。
腰にトランシーバーを揺らせて。

<風>という言葉を考えることがある。
社風であったり、今風であったり。
家風であったり、異風であったり。
洋風であったり、和風であったり。

「ああ風がちがうかな」
掃除の仕方が明らかにちがっていた。
清掃員の動きがちがう。

今坐っているパブリック・スペースと、
先月まで5年間坐っていた場所とでは。
上に立つ者の気持ちが下にも、
そして場所にまで現れている。

ここの風はぼくにはあわない。
風には逆らえない、逆らわない。
最近では風に向かって歩く男がかっこよく見えない。
吹かれ、流される方がぼくにはあっている。

この男を見たときに浮かんだ言葉は
「ズンダレ」
地元の方言でだらしないという意。
それは決していでたちだけではなく、
全身からにじみ出てきているもの。
歩き方、態度、喋り方。
ああ、これがこの場所の風なんだな。

"You can't smoke here."
(だろうね)

「どうかな」
とは思ってはいたのだけれど。
このひと月ほど見ていて。
張り紙もなければ看板もないし、
吸っている人を見かけたこともある。
ただ、試しに吸ってみただけさ。
これはタイムマシンではないけれど。

ほら、寄ってきた。



さて、次のタイムマシンに乗ろう。

エレベーターを降りてドアを押す。
またドアを押し、
振り返り閉じる。
坐る。

うんこの後は手を洗って歯を磨く。
最後のタイムマシンから降りた。



早起きはタイムマシンを持っておきたいから。
来週からは以前のパブリック・スペースへ戻ろう。
いい匂いの風が吹く場所に。
歩いて5分とかからない。
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$ニューヨーク狂人日記-1339071821605.jpg

タイムマシン窓便り <1>

タイムマシンを持っている。
タイムマシンを使うことにした。

タイムマシンはそこにある。
手を伸ばせば届く。
ただ、持とうとしないだけで。
だから乗れないだけで。

先月の疲れが今頃になって出たのか。
昼間の寒すぎる冷房がいけないのか。
昨日は少し頭痛がしてた。
また怠け癖が芽吹きはじめたか。
遅すぎる<春はあけぼの>かもしれない。

起き上がれなかった。
あと30分寝ることにする。
もう30分。
そして15分。

最初の30分は
「くじけないで」
100歳の詩人・柴田トヨがやさしく話しかけてくる。
最後の15分は
「くじけな」
天才歌人・枡野浩一がやさしく語りかける。
坊主頭に黒縁メガネがだんだん大きくなってくる。
落城間違いなかった。

起きることにした。
鳴き疲れて足元にうずくまるネコくんの体温で。
遠くでもう1匹がまだ鳴いている。
甘く。訴える。
ネコが奏でる猫なで声。

負けた。
いつも粘り負けなんだ。
ネコくんから学ぶことがある。
横になったネコが起きる前のように手足に力を入れてみる。
さっきほど辛くない。



こんな朝には端折る。
原稿用紙3枚分を三十一文字程度に。
飯、食わない。
弁当、持たない。
歯磨き、あとから。
食べてないからうんこは出ない。
ひげは頬だけ。
顔を洗い、髪を整えてタバコを1本。
冷えた紅茶ともに。

もちろんネコくんたちには、
水とごはんをあげて。
アリガトネ。

30分に閉じ込めた1時間15分。



タイムマシンに乗り込む。
何のことはない特急電車。
バタバタとギュウギュウで、
ささくれだつのがいやだから。
早起きをして各駅停車。
1時間40分前に着く。
40分本を読む。
パブリック・スペースから仕事場までゆっくりと歩く。
バタバタはいやだから。
そんなわけで遅刻はしない。



42丁目駅に滑り込んだタイムマシン。
ホームで時計を見る。
10分遅い。
1時間5分の時間旅行。
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Funk #49

Youtubeで吉田類の『酒場放浪記』を見ていたら。
不意にJames Gangが聴きたくなって。
どこに通じるものがあるんだろう?
でもイイ。
やっぱり通じるものがある。


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プレスリーがおしえてくれた

ニーチェまでは何とかたどり着けた。
富士山の樹海にたたずむみたいだ。

今来た道を戻ることにする。
半ズボンのポケットから落としてきた石をたよりに。
日が落ちてしまう前に。

原生林は伐り倒され整地もされた。
軽装のピクニックでも迷わぬようあちこちに標識も出てるし、
夜も道は煌々と照らし出される。
みんなGPSを持っているし。

迷おうと思っても迷えない。



まだ小さかったから道探しが下手だったこともある。
旅にはコツがいる。
地図と磁石だけではどうにもならないときがある。
そんなコツを身につけていくのも楽しみのひとつ。

それでもとりあえず、
ニーチェまでたどり着くことができた。
彼との仲はエルヴィスが取り持ってくれた。
いや、そのころはまだエルビスでさえなくプレスリー。
いつからエルヴィスと呼ぶようになったのだろう。
映画"This is Elvis"のころか。


「これってオリジナルじゃないよね」
LPジャケットを見ても誰の歌なのかわからない。
それでもプレスリーの歌でないことだけはわかる。

闇、闇、闇
ティンパニの高鳴り、ホーン・セクション切り裂く神々しさ。
光。
プレスリー。

See See Riderがわからない。
いったい誰の歌なんだ。
周りに訊いても誰も知らない。
月日が過ぎて、歳月が過ぎた。
いつもそこでひっかかりながら。
それでも幸わせではあった。
すべてを知ることだけが幸福だとはかぎらない。



昼下がりのブックオフ2階。
ティンパニーが響きだす。
白いジャンプスーツに身を包んだエルヴィスが光の中に現れる。
See See Rider.
Burning Loveへつながっていく。

ずっと探していた『ツァラトゥストラはこう言った(下)』の背表紙を1ドル棚に見つけたときだった。
上巻は手に入れていたのだけれど、
なかなかBurning Loveまで歌えないでいた。
やっとSomethingからCan't Help Falling in Loveまで口ずさむことができる。



40年近く前にネットが、検索が普及していたら。
ニーチェはただ通り過ぎていくだけのものだったろう。
教科書の中で再会したとしても、
「おや、どっかで会いましたな」
首をかしげる程度で。

今だったらSee See Riderがどんなミュージシャンに歌い継がれてきたのか、
数秒でわかってしまう。
当時、平凡社の世界大百科事典を開いてみてもまず載ってるはずはない。
便利な世の中になった。

それでも。

不便の中にだって。
いや、不便の中にこそ楽しみはいっぱいあるんだと負け惜しみを言う。
少なくとも、午後のブックオフでエルヴィスを口ずさむことはなかったはずだ。
それはぼくにとっては楽しいことだ。
とても。

That's All Right



ページのあいだの搭乗券。
窓際と真ん中のの隣り合った2席。
どちらかが持った2枚。
カップルなのか、親子なのか。

$ニューヨーク狂人日記-1338941296786.jpg

カンクーンからデンバーまで、
窓からは何が見えたろう。
午後の便だから。
北米大陸を縦に断つ経路で飛んだんだろうか。

4月17日は少なくとも今年じゃない。
休暇をメキシコのリゾートで。
それにしてもデンバー行きは気になる。

パラソルの下ででニーチェを読んでいたんだろうか。
男か女か。
浜辺でニーチェ。
カップルのその後は大丈夫だったろうか。
機内で眉間にしわを寄せてたんじゃないのか?

どんないきさつでニューヨークまで来たんだろう。
どうして手放してしまったんだろう。



富士樹海で遭難することはなくなっても。
たった一組のカップル。
こんなことがわからない。
わかる時代にはなって欲しくない。



久々に観た"Aloha From Hawaii"
エルヴィスかっこいいな。
この頃の彼には演歌に通じる<タメ>があるね。
エリック・バートンのギターも。
そういえばこのジャンプスーツを本気で買おうとした友だちがいた。

Suspicious Mindが鳴り始めた!

Aloha!

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ペンとケン

いったい何本のペンを使うんだろう?
死ぬまでに。

手書きが減った。

「おやつはとだなの中にはいってます。
4時にはかえります」
最近では、
出かけた母からのことづては、
携帯メールになってるんだろうか。
ペーパーレスをすすめるソフトバンクでは、
紙に書かれた退職届は受理されないんだろうか。

それでも世界はペンであふれてる。



引き出しの1段目と3段目。
使われない、もう6年以上使ってないペンが何十本あることやら。
捨てるに捨てられず、
バラバラの顔がさびしげに転がる。
「お~~い!使っとくれよー」
「まだ生きてるんだよー」

銀行で、祭りで、イベントで、携帯の機種変更で……、いつの間にかポケットの中に、あ、ここにも。

もう何十年もボールペンを買ったことがない。
ホームレス時代にだって。
必要なときにないことはあったが、
歩いていればいつかは見つかる。

最後まで使い切ったのは1割もないだろう。
もちろん失くしてしまうこともある。
それでも入ってくる方が圧倒的に多い。
財布の方もこんな按配なら実にいいのに。

このごろでは使うペンは固定されてしまった。
インクが切れれば注ぎ足す。
引き出しのボールペンまで出番は回らない。

「書きやすそうだな」
試してみたいGelペンもあるけれど。
オフィス・サプライへ行っても3本パックしかない。
書きにくかったらいやだし、
そうなるとまた引き出しからの声が高くなる。

以前は小さな文具屋へ行けば、
割高とはいえバラ売りをしてくれたけれど、
そんな店も手近から消えた。



手と頭はつながっている。
今もそのことを信じている。

ボールペンを一番使ったのは受験勉強のころ。
あの頃はほんとうによく書いた。
暗記ものは書くにかぎる。

わら半紙に三菱ボールペンの黒太字。
北島三郎が宣伝していたやつ。
憶えていくこともそうだが、
減っていく透明軸の中のインクが楽しみだった。
紙の抵抗が大きくなり、ひっかかり、かすれ始める。
ついに文字が紙にのらなくなる。
使い終えたときの充実感。
インクのないペンのなんと軽かったことか。
こればかりは補填式のペンでは味わえない。
人生は一回きりだからきっとおもしろいんだ。



角の店でビールを買って。
家へと帰る。
途中、子供を連れた女がふたりしゃがみこんでいる。
Gパンの後ろからはみ出たパンツや地肌を気にする風もなく。
ちなみに水色とオレンジだった。

通り過ぎながら見てみると、
小さなダンボールに入れられたボールペンだった。
だれかが不要なものを道に出したらしい。
ゴミ箱前のひとクッション。
「がさっ」
「ガサッ」

目にはいっただけで女たちはそれぞれ、
ふたつかみずつののボールペンを無造作に袋の中へ落とした。

今のぼくにはあのひとつかみすら使い切ることはできない。
この女たちはどうなんだろう?
いつかくる日のことを考えているのか。

年齢というよりも、
女たちの姿にアメリカと日本を見ていた。
それとも女を見ていたのだろうか。

母親の後ろで退屈そうにたたずむ子供たち。
その先にはあと何十本の、何百本のボールペンが転がっているんだろう。
あと20年もすると彼女たちも「がさっ」とやっているんだろうか。
それとも、もうそんな時代ではなくなっているのか。
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あと少しで。。。

どれにしようかゴホウビは。




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カモかも

暑くなってきた。
道行く人の服装が変わるだけで街は表情を変える。
四季のない土地はつまらない。

歩いているとき何を見てるんだろう。
前を歩く女、黒いタンクトップの右肩からのぞくブラジャーのひも。
肌色だ。

この色はやはり、はみ出しても目立たないように。
そんなところから生まれたんだろうか。
それなら黒人向け、白人向け、アジア人向け……。
民族で色合いも微妙に変わってくるだろう。

紐なしという手もある。
最初に透明プラスチック(?)紐を見た時には驚いた。
黒い服なら黒い下着もしっくりくる。

不自然に見えないもの。
見えないもの。



カモフラージュ柄が昔から好きだ。
その言葉から真っ先に連想するのは。
ベトナム戦争で使われていたパターン。

少し前から戦場ではデザート(砂漠)・パターン)が使われ、
最近ではカクカクのデジ・カモをよく見かける。
現代を表してはいるんだけれど、
どちらも好きになれない。
今思い出した。
白を基調としたパターンもあった。
寒冷地仕様のカモフラージュだ。

いかにして兵士たちを風景に溶けこませるか。
時々の情勢や戦場でカモフラージュが生まれる。

「この街が戦場になってしまったら……?」
公園の横でそんなことを考える。
コンクリートで塗り固められた町の兵士たちは、
やはり灰色のカモフラージュに身を包むのだろうか。

少し前「ドブネズミ・ルック」と揶揄された日本のサラリーマンたち。
こうして考えると彼らこそが都会の戦士たちだったんだ。
おしゃれになった戦士たちはどこかか細く頼りない。



都会にしか住めない。
本当は山奥か離島にひとりで住みたいんだけれど。
誰にも会わず、誰ともしゃべらず。
それは現実的ではないので都会に住んでいる。

数というカモフラージュの中に。
人という大河は息苦しいけれど、
都会はひとりでいられる絶好の場所でもある。
いつだって簡単に風景に溶け込めてしまう。
まるで忍者のように。
ここは地球上に残された最後の楽園なのかもしれない。

カメレオンほど器用じゃないから、
毒々しさの中で点となるしかない。
息をひそめる必要もないし誰も気づかない。
気に留める者はなく気楽でいい。



女性の白い下着が清さとされるようになったのはいつのことだろう。
それは氾濫する色の対比としてだったのだろうか。

目立たない。
見えない。
そんな下着の対極として近頃は見せブラというのもある。
見せることにより下着という観念を引き抜く。
そこにブラジャーのあることが歴然としているのに、
下着への連想を止める。
見えているのに見えていない。
まるで歌舞伎の黒子みたいだ。
ブラジャーは物理的世界から精神世界へと入っていった。

都会暮らしはカモフラージュというよりも、
見せブラ的世界なのかもしれない。



昔は目立ちたかった。
今では目立つことなく生きていききたいと思っている。
最初にカモフラージュを着たのはまだ目立ちたかった頃。
ぼくは今もカモフラージュを着る。



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朝から深夜までの仕事も明日で終わり。
カモフラージュに助けられた。



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色気

会社の始まるころにブラブラ。
いつもと違う光景の広がる空間。
微笑みの合唱は無意味に見える。
立ち上がったばかりのコンピューターには、
思い思いの写真が映し出される。

一番多いのは子供。
どうしてなんだろう?
家族の写真を入れてしまうというのは。

今では日本人にも多いけれど、
財布に家族の写真を入れる。
家の壁にはスナップがぶら下がる。

「どうして?」
と思うぼくのほうが「どうして?」なんだろうか。

こんなぼくでも子供の頃に憧れたものがあった。
ロケット・ペンダント。
とはいえ、あれは写真というよりも恋に、女性に憧れていたんだろう。



最近の安いPCではデスクトップに写真を入れられないらしい。
金のかかる機能じゃないけど、
それをネタに上のランクを買わせたいのだろう。
踊れ。


おもしろいのは買った側の不満。
「知らなかった」
スピードでも、ディスクドライブの不備でもない。
写真というのがおもしろい。

ちなみにぼくのデスクトップは竹。
設定されてきた画面をそのまま使う。
それが紅白の煙突や、タイヤでも使ってるだろう。
さすがに麻雀牌とかだったら自信がない。
立ち上がるまで腕組してるわけでも、
デスクトップに切り替えて眺めるわけでもないから別段構わない。



青だった。
そして黒へ。

昨日は深夜2時に帰宅。
シャワーを浴びてコンピューターを立ち上げる。
ログインしてしばらくすると竹。
画面がもたついているのがわかる。
予感を抱えビールの栓も抜かずに見つめていると……。
青。
そして黒へ。

去年の今頃も同じ色の移り変わりを眺めていた。
何度も、何度も。
そして死んでしまった。
さいわい昨夜は2時間かけてなんとかなったがけれど。

たまたまマイクロソフト社のカラーが青だからなのだろう。
それが赤から黄土色でも。
緑からオレンジでも。
きっと同じ恐怖が植えつけられることだろう。

色。
たしかに美しいが怖ろしくもある。
そこには思惑だとか、テクニックだとかを介在させる余地はなく、
脳みそに直球を放ってくるからだ。

「色盲だったらな」
思うことがある。
モノクロの映画が好きだからじゃない。
世界中が色盲だったら、色盲だって運転免許を取れるはずだ。
赤や黄や緑なんてなんの意味も持たない。
「青だ」
「いや緑だ」
バカげた論争も起こらない。

色という広がりのない世界で、濃淡だけを生きる。
色の世界にいるから「あったほうがいい」と思うだけで、
はじめから選択肢がなければなんてことはない。
あたりまえという考えは実に怖い。

なけれないでそれなりにうまくやってきたことだろう。
今とはまったく別の発展をとげてきていたはずだ。

人種差別をする根拠すら生まれなかったろう。
目の色を変えて金を追うことだって。
人を色眼鏡で見たり、色分けすることも。
バラ色の人生は疲れそうだし、
バーさんになっても色つきの女でいられてはちと困る。
ヤーさんはなにを基準に服選びをするのだろう?
とはいっても選択肢は黒と白しかないわけだが。
ただこの世界でも、
親分が黒と言ったら白いものも黒くなるんだろうな。

色のない世界はそんなに悪いものではない気がしている。
そこは闇でも、暗黒でも、ましてや眠れない白夜でもないはずだ。
柔道や空手には白帯と黒帯があれば事足りる。



青い画面が怖い。


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ポリポリ

よく見てるもんだと思う。
親というものは。

<ボロ屋>
これが子供の頃つけられたあだ名。
ちょっと前に書いたと思う。
捨て切れない。
だから今は増やさなくなった。
見えるものも見えないものも。



カバンの底から。
去年の服のポケットから。
久々に掃除をしたベッドと本箱の間から。
ヨレヨレになって。
シミが付いて。
綿ぼこりに包まれ。

もともとがボロボロで形も不統一。
とってあおくのも大変だ。
近頃は異次元ポケットに放り込む。
スキャナーを使って。
「ポイッ」
思い切り捨てられる性格だったら、
まったくく別の人生を歩んでたんだろうな。

やっぱり捨てられなくて。
そのひとつひとつが自分のカケラのような気がして。



ヨーグルト、マッシュルーム、ソーセージ、パスタ、ガーリック、ビール、寿司酢、油揚げ

こうして見てみるとやけにカタカナが多い。
そんな時代に、場所に、境遇にぼくは生きているということ。
寿司酢、油揚げというのが‘在米日本人の未練だったりする。

弁当材料の買い物メモだ。
さすがに仕事場にビールは持って行かないけれど。

その日。
天気、会った人、買い物をした場所、そこで見た風景……。
単語の羅列から再生されていくさまざまなこと。
未加工の材料から、
過去の自分と世界が立体化していく。
録音を忠実に再生するのではなく、
時にエコーやフィードバックをかけていたるする。
その世界に遊ぶ。

ヨーグルトはぬか漬け用だ。
健康だとか、好きだとかの理由で買うことはまずない。
漬け物に使った残りは食べてしまうが。

3%
塩を混ぜる。

ヨーグルトの文字を見ながら、
3という数字が浮かんで消えない。
「ああ、塩ジャケのときの塩水も3%だったな」
そんなことを考える。
海水の塩分に近いんだろう。

調べてみるとやはり。
3.1~3.8パーセント。
ばらつきはあるけれど海水の塩分に近い。

人間はやっぱり海から来たんだな。
と、漬け物を思いながら確信する。
記憶のどこかにそれぞれの海を持つ。
漬け物の味がその人の海。

生きていく上で塩分を欠くことはできないけれど、
それ以上にぼくらは塩を求めているのだろう。
来た場所として。
帰る場所として。

塩気のない、またはありすぎるものは食えたもんじゃない。
誰もが自分の海の味を食べる。



きっと塩だけではないはずだ。
無自覚で求めているのは。
遠い記憶が探し求めているのは。


数字をつけることは簡単だ。
だけど数字に意味はない。
むこうにある海にこそ意味がある。

「あいつは●Xだから……」
数字にしたがる人がいる。
意味づけしたがる人はどこにでもいる。
だけどぼくは漬け物をポリポリ食べてるだけなんだ。

そして漬け物を食べながらいつも、
歯を治してくれた旧い友人のことを想う。

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