ニューヨーク狂人日記 -13ページ目

武器よサラバ

最近、山口瞳の本を読んでいる。
今、読んでいるのは死の直前のものなので。
なんだか痛々しくって。
この人のエッセイ『男性自身』は結構好きで。
何度も読み返す。


物騒な世情。
こんなときだからこそ。
山口瞳の言葉を

抜粋、転載させて頂きます。


■■■■■■■■■
いわゆるタカ派の金科玉条とするものは、
相手が殴りかかってきたときにお前は、じっと無抵抗でいるのか、
というあたりにある。

然(しか)り。オー、イエス。
私一個は無抵抗で 殴られているだろう。
あるいは、逃げられるかぎりは逃げるだろう。
「○○軍が攻めこんできたら、家は焼かれ、男はキンタマを抜かれ、女たちは凌辱されるんだぞ」
いいえ、そんなことはありません。
私の経験で言えば、そんなことはなかった。

人類はそれほど馬鹿じゃない。


かりに、○○軍の兵士たちが、妻子を殺すために戸口まで来たとしよう。
そうしたら、私は戦うだろう。
書斎の隅に棒術の棒が置いてある。
むこうは銃を持っているから、私は一発で殺されるだろう。
それでいいじゃないか。

それでいいと言う人は一人もいない。
だから、二兆九千四百三十七億円(昭和五十九年度:GNPの1%)という防衛費が計上されることになる。

私は、元来がケチだから、その二兆九千四百三十七億円が惜しくてならない。
その防衛費をどうするか。
かりに私が中曽根康弘なら、
それを「飢えるアフリカ」に進呈する。
そうすれば、自衛隊は演習ができなくなるから、
人殺しの稽古のために誤って自分が死ぬという事態は起こらなくなる。
それだって、十人やそこらの人命が助かることになる。


人は、私のような無抵抗主義は理想論だと言うだろう。
その通り。私は女々しくて卑怯未練の理想主義者である。

私は、日本という国は亡びてしまってもいいと思っている。
皆殺しにされてもいいと思っている。
かつて、歴史上に、人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家があったといったことで充分ではないか。

そんなふうに考える人は一人もいないだろう。


…………



どの国が攻めてくるのか私は知らないが、
もし、こういう国を攻め滅そうとする国が存在するならば、
そういう世界は生きるに価しないと考える。

私の根本思想の芯の芯なるものはそういうことだ。


(山口瞳『私の根本思想』)









■■■■■■■■■
軍隊を無くせと言ったって、
とうていそうはならないだろうから、
私は武器を無くせと言っている。

戦闘機も軍艦も爆弾もミサイル砲も機関銃も小銃もピストルも、
こんなもの不必要だ。

マリファナや阿片を厳罰をもって取り締まっているのに、
直接人を殺す兵器の製造はお構いなしというのは
私には納得がいかない。

子供みたいなことを言うな、
それは理想論だと人は言う。


しかし、理想のない人は人間ではないと、
いつも心中密かに反論を繰り返している。
(山口瞳『鼠と戦争』)


■■■■■■■■■



アメリカが武器を捨てたら。
そんなことを思う。






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男のポケット

「ポケットから手を出せ!」

父親によく怒られた。

こけた時に危ない。
前屈になる姿勢の悪さ。
ワルぶることへの警鐘。

父が何を言いたかったのか。
今となっては確かめようもない。

それにしても。
ポケットに手を突っ込む=ワル
という構図はいつ頃出来上がったのだろう。
ま、明治以降だろうけれど。
江戸時代だったら懐手で歩く。
そんなところか。

それにしても。
ポケットも懐も。
何かを入れるところというのが面白い。

この姿は今も通用しているのかな?



ポケットは手を入れるためにあるのではない。
でも、それを考えてあるんじゃないのかなとも思う。
ハンド・ウォーマーというもののついた服もある。
できるだけ前かがみにならぬよう、
少し高い位置に横に穴を空けて。

入れるもんじゃない。
わかってはいるんだけど。
風が冷たくなる頃。
気づくとポケットに両手を入れて歩いている自分がいる。

誰も見ていないのに慌てて手を出したり。
父親の苦笑いが浮かび、
そして消える。



高校の頃、1つ年上の先輩で。
学生服上着のポケットに手を入れて歩く人がいた。
胸を張り、真横に着られたポケットに手を入れる。
そんな人を見たことがなかったから。
ただ、その一事で今も心に残る人となった。



ポケットは手を入れるものではない。
物を入れるものだ。
元々はそんな利便性のために生まれたものだろう。

「ポケットに物を入れるとシルエットが崩れるから」
そんな理由で。
いつの頃からか物を入れることを否定されはじめる。

それでもぼくは。
本来の機能通りに使う。

右にはキー・チェイン、小銭、マッチ。
左には電話。
右尻に財布。
胸ポケットにさされたペン。
最低でもこれだけを入れて街を歩く。



「物は入れない」
とは言ってもポケットの消えることはない。

人々の要望であり。
アクセントという見かけ上の役割を求めるデザイナーの意思であり。



ポケットを消したデザイナーもいた。
それはワンポイントの刺繍に取って代わられ。
しばらくの間街を埋め尽くす勢いでもあった。
それも今ではかつてほどの数を見かけない。

たとえ使われることはなくても。
そこになくては不安でならない。
そんな男たちの気持ちがYシャツの胸に揺れている。

非戦を謳ってはいても。
兵士や兵器を持つ国のように。
ポケットは消えない。



気づくのはいつも大通りを折れるあたり。
怒られることなんてないのに。
慌てて両手をズボンのポケットから抜く。
心はあたりをキョロキョロしている。

今はポケットに手を突っ込んで歩くのが、
あまり好きじゃなくなっている。



ポケットから慌てて手を抜く男。
そんな姿を見かける季節になってきた。

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また飲んでるしな~~~。






Android携帯からの投稿

どうでしょう、か。

朝晩冷え込み、この2日はTシャツで寝てる。
蝉の声が消えていた。
花と種が同じくらいのひまわり。
紫の朝顔はもう終わりかな。
水色はつぼみをつけた。
空は澄み、碧くなってきた。
夏ももう終わり。

水曜日。
あと2日でお休み。



このシリーズにはまっていて。



道民はぜいたくだ。
異国なのかもしれない。

ま、九州には偉大なスター。
ばってん荒川さんがいたが。
やっぱり異国か?






『水曜どうでしょう』
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Anniversary ~風に吹かれて

風の強い1日だった。
駅へ着くまでに髪はボサボサ。

不思議なことにこの10年。
この日はいつも同じような天気。
碧い空。風。
そう、あの日もこんな風が吹いていた。

「1年でいつも同じ場所にあるんだからあたりまえ」
言われてしまえば、まぁ、それまでだが。

たしかに昔の体育の日、10月10日は、
統計上東京で晴れの多い日ということで、
東京オリンピックの開会式に選ばれたと聞いた。

それにしても。
日、を祝うのではなく。
「その日のことを考える、祝す」
ということで祝日がずれてしまうのはつまらない。
つまらない。

なんだか12月26日生まれの子供が、
クリスマスと誕生日を一緒にされてしまったようで。

個人的には連休であるかどうかなんてどうだっていい。
そりゃ続いたほうがいいけれど、続かないものはしようがない。
その日に、その日のことを考えるほうがやはり意義深い。
経済効果うんぬんでいいように操られるのはごめんだね。



そんなわけでAnniversary。

街中に半旗が翻る。
主要駅の入り口、構内には。
迷彩服に身を包み、機関銃を斜めに構えた兵士たちが立つ。

その日に何かをやろうとする奴はやはりいるんだろう。
その日であることに意味を見つける人たちが。
その日だからこそ。
その日でなければ意味がない、祝日と同じで。

11年前の。
その日。
やはり綿密に選ばれた確信犯だと思う。

911。
ポルシェじゃない。
アメリカの緊急通報用電話番号。
日本の110番、119番を兼ねる。



この石の角はまだとれていない。
大地が揺れ、川に落ちた。

それでも。
まだまだ、ここは上流で。
あちこちが角ばっている。

川遊びの時足の裏にあたっていた、
丸く滑らかな石となるにはまだまだ時間がかかる。

姿から決して山を思うことのない。
ビーチ・パラソルの下に広がるきめ細かな砂になるためには。
あとどれだけの時を要するのだろう。

時は厳しく、そしてやさしい。



この日は怒りの日なのだろうか。
はやく哀しみだけの日にならないかな。
この日は哀しみの日なのだろうか。
はやく誓いだけの日にならないかな。



ひとつの石が風化してしまうのに。
いったいどれだけの歳月を要するのだろう。

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ミスター・ハーレー・ダビッドソン

「ああ、これはなんだろう?」
「この感覚は久しぶりだ」

自分の中でキャッチボールを続けながら。
レールのカーブに。
窓硝子にあずけた頭が重い。
微振動。

レンガ造のビルの間隔が広くなっていく。
郊外へ。

地下鉄とは違い。
進行方向を向き、ふかふかなシート。
それでも快適じゃないんだ。

大声で喋る新入生風大学生風がいる。
あそこでも。
ここでも。
あっちにも。
携帯にひとりごとを言う奴が。
ルールないところにモラルは根付かない。
モラルなき荒野にルールが敷かれる。

ウ・ル・サ・イ。

空が碧い。



この感覚は30年ぶり。
最後は大学を辞めた後の自動車学校で。
テストと名のつくものに向かうのは。

普通だと資格だとか、昇進だとか。
そんなのをみんな受けるんだろうが。
ぼくには無縁だった。

「今のままでいい」
そのためには今のままではいけないんだろう、ね。
きっと。

自分はそれでいいんだけれど。
周りが上り坂だったり、急勾配の下りだったり、カーブだったり。
微振動になったり。

転がり出さぬよう。
一歩だけでも進むよう。
それが現状維持ということなんだろう。

そのために人はテストを受ける。
つっかえとなる石を。
あるときは履き心地のいいスニーカーを手に入れるため。
自分の足元を固める。

この靴であそこには辿りつけないんだろうか。
底が磨り減ってるけど足になじんでるんだ。


まったく無縁の30年間だったわけだ。

久々のテスト。
それは同じく30年ぶりの運転免許証。
必要に迫られてやっと重い、重い腰を上げた。
結果は合格。
あたりまえだが。

以前のものは15年前に失効。
15年というのは永遠に等しいらしい。
やり直し。



免許云々よりも。
試験場へと向かう電車の中。
低い場所で高鳴りをキープする鼓動が。
懐かしく、高鳴りを感じながらたかまっていく自分を感じていた。
もしかしたら癖になりそうな、そんな予感すらする。


$ニューヨーク狂人日記

$ニューヨーク狂人日記
(明日から運転できます。上が仮免で、下が路上試験合格のレシート。
ふたつでひとつ。
カツ丼の別盛りみたいなもんだ。
90日以内に、フタ付きカツ丼になる、とのこと)



というわけで今夜は祝杯で。

明日は9月11日。
もう10年以上が経った。
そしてあの日も今日の空のような。
見事な、そして静かな碧空だった。
まるで何事も起こっていないかのような。
抜けるような。



普通車の免許を取ったばかりなのだけれど、
街灯に照らされたこんな姿を見ていると。
単車の免許が欲しくなってくる。
美しい。


$ニューヨーク狂人日記

帰宅しても先ほどの光と影のバラードを拭い去れなくて。
YouTubeで懐かしい曲を聴く。
30年前。
そう、最後のテストを受けた頃は。
裏声できれいに歌うことができたのに。

それが齢をとるということなんだろう。





そうそう。
地元の後輩I君が。
COOLSの 村山一海さん
CAROLの ジョニー大倉さん
VENUSの CONNYさん
と共演します。

11月4日(日)
福岡SPIRAL FACTORYにて。
これまた不思議な事にライブハウスのオーナーがまた同級生のO君で。

福岡近辺の方、よかったらお運び下さい。

$ニューヨーク狂人日記



あー、画像は疲れるね。




旅に出たくなってきた。
翼。

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ふりむかないで

道行く人を眺めていると。
案外とふりむきながら歩く人の多いことに気づく。

尾行。
いい女。
落し物。
見ることのできぬ不安。

理由はそれぞれ。
だが人々はふりむきながら歩いていく。
対象物、自分を目にしながら。
少しだけ安心して、顔を前に向ける。

意識しないでやっているかもしれない。
それでもふりむきながら歩くことを永いことやってない。
別にいさぎのいいわけじゃないんだけれど。

以前はかなり頻繁にやっていた。
そんな自分を知っている。
結構、いやだったな。
自己嫌悪とまではいかないけれど。
消えたのはいつ頃だろう。



唯一、ふりむくことがある。
金を払い、尻をずらして立ち上がる。
ドアを閉める前に必ずふりむく。
「忘れ物はないかな?」

20年くらい前に一大痛恨事に遭ったから。
タクシーの中に大好きな手袋を忘れてしまった。
今では電車を降りるときにもふりむいている。
どんなに酔っ払ってはいても、
そんな自分を見つめ怪訝な顔をしているシラフの自分。
二人を見比べるあと一人の自分。


考えてみればあたりまえなんだが。
手袋はいつも片方が落ちている。
その姿は寂しい。
両方落ちている確率は、
一生に買う手袋の数くらいのもんじゃないだろうか。

そんなわけでホームレスの頃は。
いつも左右違った色の、柄の手袋をしていた。
<用>の面ではなんら支障はない。
ときには<景>の観点でもきれいだったりする。

近所にヒッピー崩れ風の老人が住んでいる。
たまに右と、左。
別の色のConverse Allstarを履いている。
その心は?

ま、とにかく温かければそれでいい。
支障なく履ければそれもまたいい。
刑務所にはオカマが多い?



欲望にフタをする。
ある欲望を封じ込めるために。
別の欲望を。
ある程度。
時には必要以上に満たしてやる。
小さなフタと、大きなフタ。

手がかじかんでいるのに。
マフラーをぐるぐる巻いても何の助けにもならないが。
精神面では結構役立ったりする。

実際、ドラッグ・リハビリの現場では。
「とにかく食べさせる」
この手がよく使われるらしい。

「欲しい……」という瓶に。
根源的欲である食でフタをする。
別にサイズや形状が合っていなくても構わない。
とにかく物量作戦であふれそうな液体をせきとめる。
氾濫した川岸に土嚢を積むように。
密閉性はそれほど重要ではないらしい。



ひと月前くらいから。
コロッケが食べたくて、食べたくて。
かと言って作るのもめんどうくさくて。

「今日こそは!」。
いつもギリギリまで思いつめているのだけれど。
気づくといつもの店、いつもの席に座っている自分。
盤石だったはずの決意は。
ものの見事に乾いた音を立て折れてしまった。

そして時とともに溢れ出さんばかりになっていく欲。
まさに鉄砲水寸前だ。

フタ。
蓋。
ふた。

フタを探さなくちゃ。

30年以上のはずだ。
久々に冷凍コロッケを買う。
泡立つコーラの瓶に曲がった王冠を押し込む。



さて。
こっちの方はどうやってフタをしようか。
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コップの中の酒

「まぁまぁまぁ」
「おっトットットット……」

手酌が好き。
たまには注がれるのも嬉しいけれど。
基本は手酌。

飲んだ量がわからなくなるとか。
気が引けるとか。
飲みかけに差されるのは旨くないとか。
そんなんじゃなくて。
気の向いたように飲みたい。

結構、飲みかけに注ぎ足したりする。
ある程度の量がコップにないと.
なんだかソワソワしてきてしまう。

相手のコップを満たすというのも礼儀。
ネーさんのいるバーとかだと、
売上アップのために教育もされるのだろう。
「ひとりにしてくれ……」
注がれたくなかったらその手の店に行かなきゃいい。



ロッキーの山奥から。
南海の深層水から。
サッポロから。
あるいはそこいらの水道管から。
何の因果か酒に変身した水滴たちよ。
目の前のコップで揺れている酒よ。

窮屈な容れ物からやっとの思いで。
小さいながらも明るい場所へ出た、息をつく間もなく。
再び、ぼくという管の暗闇に放り込まれ。
「やれやれ」
つぶやいていたら。
「ジョボジョボジョボ」
白い陶器に移される。
再度出会った光に目の慣れる間もなく轟音、渦巻きとともに、
漆黒の闇の中へ。
吸い込まれていく。

初めてのビール。
あのときの水滴はどこにいるんだろう?
北極海あたりか。
深い森の地下で眠っているのか。
原発の冷却水か。
雲の上かもしれない。

待てよ。
一粒くらい。
目の前の小さなコップの中で揺れていても不思議じゃない。



コップに入る酒の量は決まっているが、
飲んだり、差したり。
次から次へと入れ替わる。
河の途中にある湖のように。
人との出会いのように無数の水滴が通り過ぎていく。



しゃがみこんで棚の一番下にある本を見ていた。
誰かがゆっくると歩いてきて止まる。
動かない。
本を見ているわけでも無さそうだ。

一瞬だけ見上げ、また背表紙を追う。
「……」
また見上げていた。

「ああーっ」
懐かしい顔が笑っていた。

大きな仕事場だったので。
名前を知らない人もたくさんいた。
しばらく見かけなくても別段不思議とも思わない。

たまに見かけていた彼は。
髪が伸び、面影がどこか以前とは違っていた。

癌であったと聞き。
入院、加療、完治、退社をしていたらしい。



ファイルの整理をしていたら同僚が声をかけてくる。
「サカイさんってどこの生まれですか」
「えっ?福岡だけど」
「やっぱり!言葉に懐かしい響きがあったから『もしかして』と思ってたんですよ」
「あ、福岡なんすか?」
「ええ」
「へー。で、福岡市?」
「いえ。大牟田って知ってます?」
「知ってるも何も、ぼくはそこで育ってるから」

驚き。

こんなこともある。



不思議な出会いの続いた1日だった。

一期一会を大切にしようとは思うのだけれど。
なかなか、ね。

喉を過ぎていくひとつ、ひとつの酒滴を。
じっくり味わうことはできないから。
差しつ差されつしながら。
いつだって同じくらいの酒が入っている。
目の前のコップを。
大切に、慈しんでいこう。



Happy Hour 5:00~7:00
生ビール・ピッチャー $9。
あまり歩かない街をうろつくとこんな看板に出会ったりもする。
ネットの世界の情報がすべてじゃない。

これもまた出会い。
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『死』について

この頃のマイブーム。
アンチョビ冷奴。


死、について考えることがある。
頻度は齢とともに高まる。

「いつ死ぬんだろう?」
「どんな死に方をするんだろう?」
「そばには誰がいるんだろう?」

そんなことを。

20代の頃はそんなことを考えたことはなかった。
かといって、生きる、ということを考えていたわけでもない。

向かい風の中崖をよじ登っていく。
太く短く。
なんてかっこいいんだろう。
それでもそれを自分にあてはめたことはない。
似合わない。

できれば長生きしたいし、たとえそれがどんな状況でも。
あとたったの1日であったとしても。
だが、「石にかじりついても」
これもまた似合わない。
執着のある割にはあっさりとしている。

ただ、細くてもいい。
一歩でも前に進みたい。




臆病だから。

ホームレスの頃、周りで友が死んでいく。
OD(おクスリの過剰摂取)で。
よく晴れた冬の朝、ベンチから起き上がらない奴もいた。
やがて救急車のサイレンが聞こえてくる。

生きるということ、ただそれだけを生きていた。
両親からもらった最大の宝は、この頑丈な体。

おクスリは日課で。
その前には必ずたらふく食べていた。
ホームレスのくせに週に1度は、
24oz(700gくらい)のステーキを食べに行っていた。
栄養を補給するために。
健康な身体でなくてはおクスリは楽しめない。
ODなんかでバイバイしたくない。

おクスリをはじめると食べなくても全然OK。
「大丈夫」
そんな気になってしまう。
冬に寝るときは、
日に日に蓄積されていく経験の中で最良の方法をとった。
温かく眠る。

生きていたいから。



アンチョビ冷奴はうまい。

偶然の発見で、
「これぞセイキの大発明!」
と思ったのだけれど。
ネットで検索をすると先駆者がゴロゴロいる。

アンチョビを包丁でたたき。
ニンニクをすりおろし。
刻みネギと一緒に豆腐にのせる。
エキストラ・バージン・オリーブ・オイルをまわしかける。
これだけ。

家系的に高血圧に因を発する病で倒れた人が多い。
豆腐は大好物なのだけれど。
たっぷりと醤油をかけないと。
苦肉の策がこれ。

E・V・O・Oとはいっても油には変わりない。
やっぱり害はあるだろう。
それでも多量の醤油よりはマシ、ぼくの身体には。
すべてを手にすることはできない。

生きるということは何かを我慢することなんだろう。


豆腐にオイルを絡ませ、薬味をのせながら。
生きることを考えている。

$ニューヨーク狂人日記

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MOJO HAND

12:04
キッチンのデジタル時計。
緑色の表示が午をまわっていた。

堕落者、失格……。
そんな言葉らにつきまとわれるが、
冷蔵庫の把手を握る頃には消えていた。

誰もいないのに。
どうしてこんなに後ろめたいいんだろう。
そんなことはぼくとは関係ないのだけれど。
ただ、一般、常識、大衆という事実が消えないだけなんだろうな。

待ち構えていたわけじゃない、12を回るのを。
ただ気分になっていた。
今日は夏の終わりでもあるし。

街を歩いていると漂ってくる炭の焼ける匂い。
夏の入り口と、出口ではちがう。
匂いがちがうし、その向こうに浮かぶ光景も。
昼酒と夜の酒もそんなちがいに過ぎない。
上り坂と下り坂みたいに。
朝射つ人も夜の人もシャブ中と言われるように。
生まれてくる時と死にゆく時に見るもののように。



明日からは。
子供たちは学校へと戻る。
街ではネクタイを締めた男たちが目立ちはじめる。
それななのに日本から持ってきた朝顔は。
「今が華よ」とばかりに咲き乱れる。

グラス越しに見る花はしおれはじめていた。
水色のは薄紫に。
紫は濃いピンク色に。
命を凝縮していくかのように。
花弁の先を内側に抱き込みながら。
1年の中、たった1日を終えた朝顔が花を閉じはじめている。

よく晴れた早朝の朝顔も好きだけれど。
大粒の水滴をたたえた雨上がりの花も好き。
閉じかけのものも。

生命が終わるその前にポトン。
色を残したまま地に散る花びらよりも。
晴れ舞台のたった1日が終わってもそこにとどまり。
種となる部分が少し膨れるまでとどまる。
そしてポトリ。
そんな朝顔の花に母性を見、
いさぎよさを感じてしまう。



どうしようか……。
迷ってやめた。
手は大切だ。

この手は。
グラスを握り。
ページを繰り。
ペンを握り。
たまに携帯も触る。
頭だって掻く。

油でベトベトになるのはまっぴらだ。
口の寂しさなんて乗り越えられる。
ビールだけで十分。

「両手を使わなきゃいい」
「ナプキンで拭けばいいじゃん」
言う人もいるだろうが、
そんな器用じゃないし、煩わされるのはごめんだ。
手には間違いなく何かが宿る。



パラリンピックをたまに見る。
開会式から閉会式までオリンピックは1秒も見なかったのだが。
これはたまに見る。
両手のない人が平泳ぎをおよぐ。
両足を失った人がトラックをかける。
感動とか涙じゃない。
それでもやはり考えさせられる。

ポテトチップはやめておこう。
俺の指先を食用油でベトベトにするわけにはいかないんだ。



昔は持っていると思っていた。
いや、見たこともあった。
でもどこかに忘れてきたみたいだ。
オメデタイね。
あれはツチノコさ。

MOJO HAND



手は失ってしまったけれど。
なんとかやっていけている。
なんとかやっていく。

■■■■■■■■■■■
あ、MOJO CLUB25周年ライブがあるそうです。
詳しくは杉山章二丸さんのブログで。



夏の終わりははフットボール開幕の日でもあるんですね。
まったくぼくには関係ないですが。
オカワリを買いに外へ出ると、
ブカブカTシャツの兄さんたち。
去年の今日。
その向こうに散歩をしている自分を見ていた。
こんな曇り空だった。


タコ八郎はすごいやつなんだ。
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