ニューヨーク狂人日記 -14ページ目

夏の終わり。に。

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朝陽しかあたらないからな。太陽を閉じ込めることができなかったか。
土が、水が、風が。あわなかったのかな、やっぱり。
マニュアル見ながらやらなきゃだめか。

ま、いいや。
ツルだけでも力いっぱい伸びてくれたから。
ああして力いっぱい黄緑色の葉を茂らせてくれたから。

このひと月ほどはこんな具合に礼を言ったり。
いたわり、慰めるような気分になっていた。
自分を。相手を。
子供のできない夫婦というのはこんな気持ちなんだろうか。
そんなことを考えながら。


春早々にはプランターの準備を整え。
去年出遅れ気味だった種まきも5月に入ると終えた。

近所で野生化しているものからもらった種は、
早々に花をつけ毎朝目を楽しませてくれるんだけれど。
……。

やっと咲いた。
ビアガーデンも閉まろうとする頃になって。

咲春、持ち帰って夏の間微笑みかけてくれていた水色の花。
小学校の夏、毎朝見ながら通っていた。
その場所からもらってきた子孫が。
一夏を終え、冬の入り口にアメリカで収穫した種が。

日系2世が誕生した。

加藤茶夫妻に赤ちゃんができたらこんな気分になるのかもしれない。



体調が悪く久々に酒を飲まなかった翌朝だけに。
よけいにうれしい。



あきらめるな。




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地球の甘え方~ゴロゴロ

四者四様。

サリー
サリーⅡ世
ゴロウ
ジミー
ジミーⅡ世
サチ

実家にはいつも犬がいた。
犬は人につき、猫は家につく、と言う。

出窓から陽に灼けた瓦屋根に出てひなたぼっこ。
そんな記憶が片隅に焼きついている。
たしか猫も二匹いたはずだけれど。
居つかなかった。
いつの間にかフェードアウト。



今は四匹の猫くんに囲まれてる。

キヨP
ニャンコ先生
ハナP
ゴマP

家についたのか。
それとも人についたのか。
わからない。

猫ドアを通って外と部屋を行ったり来たり。
出かけたり。
帰ってきたり。
いや、
出かけるのが主なのか。
それとも帰ってくることなのか。
これもぼくにはわからない。

猫くんはかわいい。
それでも囲まれて暮らすうちに。
それぞれ別のかわいさのあることに気づく。
違った個性を持っていることがわかってくる。
そしてそれはそれぞれにかわいい。

「ミャーオゥ~、ミャーオゥ~
帰ってくるなりにじり寄り。
ながら訴えるように見上げる、見つめる。
足を踏み出した途端いつものマットの方へ誘い。
ゴロン。
腹を見せ手足を縮める。
「なでてくださいよ」と言わんばかりに。
キヨP

デンッと構えて物事には一切動じなさそうに。
見える。
ボス的な存在で。
通り過ぎながらいきなり仲間に猫パンチ。
それなのに。
誰かをなではじめると足音が近づいてくる。
ゴロン。
傍らに寝そべりなでてくれるのを待つ。
決して自分からは求めない。
甘えベタなニャンコ先生。

ストンッ。
猫ドアから飛び降りると。
「クゥァーンッ、クゥァーンッ!」
寄り添って、見上げて帰宅の挨拶。
それからやりたいことをやる。
寝そべったり、ご飯を食べたり。
そのくせ警戒心が強くて、
こっちが近づいていくとスタスタ逃げ出したりする。
隙を見つけてそっとなでてやると。
ゴロン。
「ゴロゴロ……」
のどをならし始め、薄目を開いて恍惚の表情。
ハナP

「ミャっ」
「参上!」とでも言わんばかりに。
飛び降りながら鳴くもんだから。
着地の瞬間に鳴き終わるもんだから。
いつも最後の音がつまってしまう。
ぼくを見つけると一直線に早歩き。
鼻を、額をゴシゴシ、ゴンゴンぶつけてくる。
次には椅子や、流しの上。
高いところに飛び乗ってまた額と、鼻が。
落ち着いたのかじっとつぶらな瞳で見上げ、
目を覗きこむ。
手を伸ばすと。
ゴロン。
ゴマP



「甘い」や
「甘える」という言葉は、とかく悪い意味にとられがちだが。
それができるというのは素晴らしいことなのである。


真っ白な毛で覆われたキヨPのお腹をなでながら。
いつやむともしれぬ「ゴロゴロ」を聞きながら。
なで終わった後の「えっもうっすかー?」とでも言いたげな、
冷ややかな目を想像しながら。

自分の甘え方はどれだろう?
と考えてみる。
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コニー・アイランド

雨のコニー・アイランド。
改札を抜けたとたん大雨に見舞われた。

3年前。
日記を見ていたらあの日は今日だった。
それでもどうしてあの日。
あの夕方にコニー・アイランドへ行こうと思い立ったのか。
思い出せない。

夕方からビーチへ行くわけもなし。
マンハッタンとは別種な、
非日常の雑踏を歩きたくなっただけかもしれない。

人ごみは大嫌いだけれど。
たまに無性に恋しくなる。
あの匂いを嗅ぎたくなる。

傘の準備なんてしてるわけがない。
30分くらい雨宿りをしていたのだけれど、
一向に止む気配はないく、
とうとう折り返していく電車に乗りこんだ。

暮れゆく町の中を走る箱。
1両に10人も乗ってはいない。
子供たちの叫び声。
巨きな母親の怒鳴り声。
半身を座席に預け眠りこける男。

間に合った。
大きな荷物で難儀していたメキシカン・カップルが、
なんとかギリギリでホームに降り立った。
その後ろ姿を見つめていた冷ややかな白人の目だけが、
なぜか貼りついている。

こんなこと日記に書いているわけもなく、
今しがたまで消えていたのだけれど。
窓の向こうの夕闇と、
そこに映る自分の姿、
流れ行く淡い灯りが蘇るにつれて。
ささやかな光景が紐解けてゆく。

地下に潜り20分。
駅の階段を上ってみたら雨は過ぎていた。
晩飯は去年消えてしまったメキシカン・レストラン。
ブリトーをテイクアウトした。



冬のコニー・アイランドが好きだ。
とは言っても、もう10年近く行ってないからすっかり様変わりしただろう。
この数年、急速に開発が進められているから。

冷たい風が吹きつけてくる。
夏は全開だったガード下のシャッターも。
タバコ屋とあと2軒ほどしか上げていない。

信号はついているものの、
車の通らない大通りの赤信号を斜めに渡る。
コーヒーが飲みたい。

ここだけは1年中開いている。
独立記念日の大食い競争で有名な、
ネーサンズというホットドッグ屋。
右頬にあたる雪の粒を顔を伏せ気味にしてよける。
真っ白に曇ったガラス窓の奥に点く蛍光灯のあかりを頼りに。

夏場だと注文するのに15分ほど並ばなきゃならないが、
真冬には近所の老人がポツリ、ポツリ。
ドアを閉め切ってるのに広く見える店内に、
まるで箱火鉢を抱く猫のように、
誰もがコーヒーの紙コップを両手でいたわるように抱いている。

高いところにつけれた箱型テレビ。
笑い声が乾いている。

遊園地に向かうと風は一層冷たく、強くなる。
誰もいない。
見世物小屋は木の戸を閉め、
名物の観覧車もジェット・コースターも凍りついたように佇む。

月まで歩いていけそうな、
長大な、
広大なボード・ウォーク。
風の音に混じり、時々足元から話し声が聞こえてくる。
ホームレスたち。
海を向いたベンチで肩を寄せ合う恋人たちがひと組。

歩く。
どこまでも歩く。
歩いていけそうな気がしていたんだけど。

痛いほどの海風に吹かれ、
水族館前の駅で電車に乗ることにした。
タツノオトシゴが見たいな。



コニー・アイランドはこんな冬景色で定着してしまっている。
色褪せはするだろうが、
この額はいつまでも下ろされないだろうな。



夏が終わる前に行ってみようか。
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扇風機のツマミ

アメリカの扇風機は涼しくない。
空へ飛んでいきそうなほど、音だけは勇ましいのだけれど。

スペース・シャトルを飛ばすくらいだから。
技術がないはずはない。
ただ日本とは涼しさを感じるアンテナが違ってるみたいだ。

これまでの経験で一番効果があったのは。
Vornadoというやつ。
15年前までは1940年台に作られたものを使っていた。

$ニューヨーク狂人日記

今は2010年の製品を使っている。
$ニューヨーク狂人日記



日本とは基本的発想がまったく別のところにある。
風を人に当てるのではなく。
部屋の中に空気の対流を創り出す。
だから眠っている時も実に快適で。
ツマミを<弱>にあわせていても。

それでも最初の数分は<強>にセットしておいた方がいい。
説明書にもそう書いてある。
流れのカタチを作るために。
一度出来上がったカタチはなかなか崩れない。
たこ焼きがいつまでも丸いように。
最初のカタチを創り出すのが肝心なんだ。

<導き水>といったところか。

<導き水>と書きながら。
まったく関係のないことが頭をよぎる。
金曜日に知り合いと喋っていた風景が蘇ってくる。

迎え酒について。
「私もずっとやってこなかったんですよ。
迎え酒、効きますよ。
ぜひ一度試してみてください」

どんなに苦しくても。
どんなに酒を飲みたくなくても。
酒を飲まなければならない。
苦しみから解放されるために。

「ああ、酒なんて。
飲みたくないよ……」

飲みたくなくても飲まなければならない。

酒なんて大嫌いなんだ。
その時だけはね。

日曜日のこと。
山口瞳さんの本を読んでいたら。
偶然ここでも迎え酒に出会う。
ビールが一番いいらしい。
ビールなんて飲みたくないのに。
そんな日には。



迎え酒じゃなくて、導き水へ。

久々にノートと向き合っている。

周りでいろいろなことが起こり。
ひと月ほどノートを開くことがなかった。

今日は別のことを片付けるために。
半分は義務的な気持ちで別のノートを開く。
書くという行為がだんだんなめらかになっていく事を感じている。
指が。
掌が。
腕が。
そして頭が。

自分の中で起こりつつある変化をすくい上げ、
フィードバックされ、
それが増幅されていくのがわかる。
どうやらツマミを<強>にひねっていたらしい。
だんだんと感覚が戻ってくる。


止まらない。

いつものノートに手が伸びていた。



期せずしてひねった扇風機のツマミ。
もうそろそろ<弱>に落としても涼しそうだな。
それとも、あとしばらくは<中>にしておこうか。
いや、<弱>でよさそうだ。

もう十分に涼しい。



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アメリカ人のなり方ーWAAS SAPPWNINGS!!!_Born in East L.A.

$ニューヨーク狂人日記

『地球の歩き方』。
この本が出たときは衝撃だった。
ぼくもこの一冊を手に西海岸に。
そしてバスの旅。
ニューヨークへ。

まだ、あの頃は<ロスアンゼルス編>とか<ニューヨーク編>とか、
細分化されておらず分厚い『地球の歩き方 アメリカ』だけ。




<●×の▲■方>
まあ、ハウ・ツー本だけれど、
今はあちこちでそんなタイトルを見かける。
きっと『地球の歩き方』あたりが最初だったんだろう。



アメリカ人になれる。
法的には。
移民の国だから。
移民という混合種を混ぜることで。
活力を維持している国だから。
純血よりも混血のほうが動物は強い。

法的にはなれる。
でも芯的にはどうだろう?

アメリカの芯ってなんだ?
そんな問題も出てくるが、
それはここでは置いておこう。

スポーツ・バーで雄叫びをあげればアメリカ人?
それなら昨今の日本人は優等生だ。
ぼくはスポーツは見ない。

人前でハナミズをかめる。
うん、なれそうだ。

バンパーはぶつけるために車についている。
ニューヨーカーはもしかすると日本人より縦列駐車が上手い。

「すべては金さ」
世界中がアメリカだ。

Super Size Me.
うん、君にもできそうだね。



アメリカ人に必要なのは何か?
他の国の人には欠けていて、この国の人たちだけが。
生まれながらに持っている。
絶対に自分のものにできないのは。

そんな本はないんだろうか?



週末のひまにまかせてYoutubing。
本ではないけれど。
参考になるビデオが。
20年くらい前に見たきりで。
懐かしさもあって。
PLAY


中盤過ぎにアメリカ人になる教室が開かれています。
(オープニングあたりでは、なぜか坂本九が流れている)




こっちも久々に見たんだけど、リック・ダンコが。
若くて、痩せていて。


この人はもう亡くなってしまった。
15年くらい前の来日。
アメリカからホテル宛にFEDEX。
ヘロインを送ってもらって逮捕→強制送還。
アメリカ人とは。
こういうことを。
わずかの疑問さえさしはさまずにできなければなれません。
それをセンスと言おう。

ま、彼はカナダ人だけれどね。



ああ。
アメリカ人にはなれそうもないな。

かといって、まっとうな日本人にも。




WAAS SAPPWNINGS!!!



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No One To Run With _ The Allman Brothers Band

「一番好きなギタリストは?」

訊かれたらすぐに出る。
デュアン・オールマン。

それでも。
「オールマン・ブラザーズ・バンドで一番好きな曲は?」

訊かれたらすぐに出る。
No One To Run With



Everybody wants to know where jimmy has gone
He left town, I doubt if he’s coming back home

Well tony got a job, three kids and a lovely wife
Working at the commerce bank for the rest of his life


Nobody left to run with anymore
Nobody left to do the crazy things we used to do before
Nobody left to run with anymore

I’m gonna hit the road, adios my friend
Go someplace and start all over again

Don’t know where I’m going, like a gypsy out on the road
I’ll go someplace and join a traveling show

Nobody left to run with anymore
Nobody wants to do the crazy things we used to do before
Nobody left to run with anymore

Nobody left to run with anymore
Nobody left to run with anymore

I think jimmy must have had the right idea
Packed his stuff and he got right out of here

I don’t know where he’s at but I’m sure that he’s ok
Now I realize what jimmy was trying to say

Nobody left to run with anymore
Nobody wants to do the crazy things we used to do before
Nobody left to run with anymore

Nobody left to run with anymore
Nobody left to run with anymore



もう20年くらい。
自分に重なるところがかなりある。

そしてまたこの詩が響きだしてる。


I’m gonna hit the road, adios my friend



Go someplace and start all over again









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雨に歩けば

雨の中を歩く。
傘をさすのがめんどうくさくて。

グラブレザーの靴。
靴下のつま先が濡れてきた。
革というのは水を通すのか、通さないのか。
もちろん縫い目から水が染みこんでくるんだろうけど、
革そのものはそうだろう。

12年ほど前。
革ジャンを着て雨の中を歩いた。
いつまでも、いつまでも。
その時のぼくはというと、
濡れネズミ。
Soak and wetというやつ。

革は少しは水を通すんじゃないのか。
だとしたら雨の中を歩けば、
肌という革から雨が染みこんでくる。
肌の下は肉。
水に濡れた肉はどうなる。

だからこそ人は雨を怖れるのか。
ある者は傘を広げ、
ある者は雨宿りをし、
ある者は車から降りようとしない。



雨に歩きそんなことを考える。
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Deja Vu

今朝も。
アサガオが5つ。
深紫、小さな花。
野生化していた近所の花を養子に。

青々と葉を茂らせてはいるものの。
昨年持ち帰った水色の日系2世は。
まだ咲かない。

たとえ咲かなくてもいい。
一所懸命に手を広げてくれれば。

花を愛でるというのは人間のエゴ。
一方通行。

ただ。
無理矢理土地を変えてしまったために、
異国の地で種が途絶えてしまうことが申し訳ない。
3世を夢見ていただろうに。

夏も半分が終わった。



毎朝、アサガオを見ていると。
いつも、どの花も。
そっぽを向いていることに気づく。

同じ方を向いて咲く花たち。
こんなことに去年まで気づいてなかった。
些細なことだが大切なこと。
小学校で習ったかどうか。
習わなければ知ればいい。
知らなかったら気づけばいい。

花はいつも何を見ようとつま先立ちになる。
なぐさめではないけれど。
そっぽを向いてるわけじゃない。
そこにそっぽを見てしまう自分がいるだけで。



ドアを開け朝に出る。
雨上がりの町に。
ヒマワリの根元、戯れるように茂る露草。
やっぱり露草には朝露がよく似合う。
勝手だね。

右足を引きずるようにしポニー・テールのジーさんが先を行く。
マルチーズとチワワを連れた七三分けの男がうつむいて通り過ぎた。
新聞を読みながら、ヘッドホンにあわせテンポを取って歩く黒人男。
水打ちを終え、教会のシャッターを開ける牧師風。
ゴミ回収車の轟音と駐禁を貼り歩く交通警官。
カフェのガラスの向こう側。いつもの場所にはいつもの巨漢。
鳩にえさをやる建具屋の老人。
音をたて、風を起こしながら集まってくる鳩、鳩、鳩。
図書館前、走るオジサンとすれ違い、目だけであいさつ。

駅が近づくにつれ既視感が強くなってくる。

どこかで見た。
どこで見た?
いつか見た。
いつ見た?

現実と夢の渚を漂い歩く。
陸を歩いているのか。
水中を歩いているのか。
わからない。
足はただぬかるみに入るだけなのか。
それとも砂が洗い流されているのか。
わからない。

いつまでこうして歩いているのだろう。
いつまでこうして歩かねばないのだろう。
いや、ほんとうに歩きたくないのか?
果たしていつか陸へ上がるのか。
それとも泳ぎ出すのか。
わからない。

またこの人たちとすれ違う日がくるだろうか。
そのときもやはり歩く足を波が洗っていくのか。
右足を左足が追うのか、
左足を右足が追うのか。
心地良い居心地の悪さにくるまれているのだろうか。
不安と不思議が音をたてているか。

この夢の世界はまた訪れてくるのだろうか。
現実の中で夢を見て安堵するのか。
夢の中で現実を知り震えるのか。

もうすぐ夢は終わる。
また夢を見る事ができるだろうか。
いやこれは夢なのか。



目の醒めゆく自覚の波が高くなってきた。
夢を歩こうか。
現実を漂おうか。

$ニューヨーク狂人日記-So Far
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1994年8月1日

心当たりがない。

紐解けゆく記憶。
記録が記憶に鍬を入れる。

そうだ。
あの日は<本田レストラン>でランチを食べたんだった。
あの町の大きな駐車場の入口辺りに車を駐めて。
何を食べたっけ?

昔、一時期住んでいた町。
かつては日本人町だったのが、
今は韓国街となってしまった。
昼飯のため、あの頃はよく訪ねていた。

アメリカでの初めての正月。
<安藝>という薄暗い日本食材屋でなぜかナスの辛子漬けを買った。
近所にあった<Star Market>。
ビールを買いに行くといつもギリシャ訛りのおばさんが相手をしてくれる。
人生初めての大雪が嬉しく、駆けまわった。
日曜日のメイン・ストリートで開いているのはベーグル屋だけ。
クラムチャウダーがおいしかったパン屋。
お気に入りのピザ屋。

そんな初々しかった日々を免許センターの雑踏で思い出していた。



この5年間の記録ならほとんどが手元にある。
日記というものがここまで続くとは思っていなかったし、
続けるとまたこれが面白い。
その時の自分が手に取るようにわかる。

それでも20年近くも昔の話となると、
記憶がすっぽりと抜け落ちている。
記録がない。
そんな古い自分と久々に会う。
黒いFORD Taurusのステーション・ワゴンに乗っていた。
当時の日常までが甦ってくる。



事情があり運転免許が必要となり再挑戦。
最後のものはホームレスになる頃には失効していた。
もう、15年近く免許がないわけだ。

まあ、ある意味完璧主義なところがある。
採点をしてくれたネーさんがにっこり手渡す。
少し自信はあったのだけど満点。

必要な点数の身分証明を提示し、
「フラッシュが光るまでそこに立ってなさい」
不機嫌そうに言うオバサン。
視力検査もパス。

番号札を持ち路上試験の手続きを待つ。
待つ。
待つ。



やっと回ってきた順番。
「あ、昔、免許持ってたんだ?」
申請書を見ながらつぶやく係官。
「ちょっと待っててね。。。」
「……」

人差し指と中指をクロスさせながら待つ。
「……」

「ねえ、昔、ニュージャージー州の●×という町に住んでたことある?」
「はい……」
「ニュージャージーの免許も持ってたんだ」
「はい」
「罰金とかみんな払った?」
「はい。そのはずですけど」
「でもね、記録ではニュージャージー州側で何か問題があるらしく、
ニューヨークで試験を受けることができないんだ。
ここんとこをクリアにしない限り。
うちでは詳細まではわかんないんだけどね」
「はぁ……」

ということで渡された電話番号と、ニュージャージー州での免許証番号。
電話をしてみると。
待たされる。
コンピューターが「只今の待ち時間は。。。16分。。。です」

18年前の未払い駐禁が原因で、
とっくの昔に失効しているニュージャージー免許が免停。
駐禁を払って、免停解除の手数料を払わなければニューヨークで免許が取れないらしい。


はじめは
「やれやれ、ニュージャージーまで行かなきゃならないの?」
と思っていたんだけれど便利な世の中です。
すべてオンライン決済。
きれいな体となりました。

筆記試験はその日限りの有効らしく、
来週またあらたに受け直さねばならないとのこと。
また、チマチマ勉強する日がつづく。



それにしても。
面倒くさいことではあったけれど。
18年前の自分と出会えた。
その日、自分が何をしていたか。
今となっては貴重な記録だ。

また8月1日がやってくる。


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スポーツは体に悪い<下>

(昨日の続き)

スポーツにに関しえ言えば、
スポーツをやって体を動かすことが健康に役立ち、
そうしないのは有害だというのも、
自然のなかで走り回っている動物のように体を使って
運動しているのが「自然」であるという自然主義的イデオロギーに過ぎない。

ついでながら言えば、
動物が自然のなかを走り回っているというのも
人間が勝手につくりあげたイメージであって、
ライオンなどは腹が減って獲物を探すとき以外は
いつもだらだらと寝そべっている。



交通機関の発達、
人力を使わない道具類の普及などにより、
われわれは仕事や生活のために汗をかき、
くたくたになるまで体を使うということがほとんどなくなった。

そのためにわれわれは、
肉体が「自然」からますます切り離され、
「不自然」の堕落世界にからめとられてしまう恐怖に囚われるようになったのではなかろうか。

スポーツをほとんどやらない者のひがみかもしれないが、
昨今のスポーツ・ブームは、
スポーツそれ自体が楽しくてやっているというより、
この恐怖からの逃走、
見失われた肉体の「自然」を取り戻そうとする強迫的儀式のように見える。

泥棒を追っかけているとき、
われわれが意識しているのは泥棒であり、
肉体は泥棒を追っかけている自分という存在そのものであるが、
スポーツをしているとき、
われわれが意識しているのは自分の肉体であり、
意識の対象として措定された自分の肉体に対するナルチスティックな関心がスポーツを支えている。

ジョギングしている人は、
周囲の世界から関心を引きあげ、
自閉的世界に没入して恍惚としている。

そうでなければ、
集団でならともかく一人で人目の多い都心をあんな格好で走れるわけはない。

ジョギングと違って、
テニスの場合はボールを意識していると言われるかもしれないが、
別にボールに往復運動させることにテニスの目的があるわけではない。
めざされているのはあくまで自分の肉体であり、
太股もあらわなテニス・ウェアがそのことを証明している。



われわれはスポーツによって、
ナルチスティックな幻想にすぎない「健康で若く美しい肉体」をむなしく追い求めている。
スポーツはそのための一種のまじないのような、
つまり多大な効果があると信じられているが実際には無効な手段のひとつであると思われる。

この意味において、
スポーツ・ブームは健康法ブームとつながっている。

わたしは試したことがないからよく知らないが、
健康法にもいろいろあるようである。

以前たしか、紅茶きのこというのがあったが、
どうなったのであろうか。
近頃は自然食品とかヨガとかが健康法としてはやっているようだ。
自然食品とやらがそんなにいいものなら、
化学肥料もなく、
食品加工業も発達していなかった昔は自然食品ばっかりだったはずであるが、
なぜ昔の人の平均寿命は今の人とくらべてあれほど短かったのであろうか。

そのほか、健康法か美容法か知らないが、
シェイプアップ体操とかもはやっているらしい。

これらの健康法の「信者」はまさに宗教のようにそれぞれ自分の健康法を信じており、
宗教の伝導よろしくそれをすすめてくる。

わたしには、それらもやはりスポーツと同じく、
まじないの一種としか思えないのだが、
ついでながら言えば、
売れている薬のかなりの部分はまじないとして使われているのではなかろうか。
強壮剤とか精力剤とかは水に鼻くそをまぜたみたいなものとしか思えない。
水を飲んでいる方がよほどましなのではないか。



とにかく現代は「若さと健康」の幻想的価値が異常なまでにひだいした時代のようである。
その背後には老いの否認、病の否認、死の否認がある。
われわれはあたかもそうした不吉なことは存在しないかのような「明るく楽しい人生」に病的なまでに執着している。



もちろん、スポーツをやるすべての人がこのような幻想に駆り立てられているわけではないであろう。

なかにはスポーツが体に悪いと知りつつ、
それ自体が楽しいのでやっている人もいるかもしれない。
それなら何も言うことはない。

喫煙をはじめ、われわれは体に悪いと知りつつ、
いろいろなことをやっているのだから。

(毎日新聞 昭和57年9月28日)
■■■■■■■■■



なんの根拠もない。
世の中って結構幻想に満ち溢れています。

こんなことを記事にするぼく。
「こいつスポーツ音痴だからひねくれてる」
と思われる方がほとんどでしょう。

すいません。
万能。
とは言いませんが9538能くらいです。
野球、バレーボールなどを除きほぼ万能なんです。
走るのも、跳ぶのも、実は格闘技まで。
人並み以上に、小さなグループならほぼトップクラスで出来ます。
すいません自慢です。

しかし故人は真理をいいます。
「万能は無能に等しい」

たしかに万能ナイフ。
ネギは刻みつらいし、
のこぎりを出してみても本棚が作れるわけでなし。
ワインを抜こうとするとコルクが割れたり。
あんな短い定規でジャイアント馬場さんの身長を測れないし、
毛抜きがついてても鼻毛が抜けない。

ぼくのスポーツもその程度ってことで。

さて、世界中からロンドンに集い、
身体に悪いことをする人たち。
頑張ってください。

ちなみにスポーツ観戦の方は、
誰もがばくち好き。
そう、勝ち負け。
丁か半か。

平和と口にするけれど、
人間というのはやはり好戦的な生き物。
そこには生と死があるから。

ということは。
ぼくは人間ではない。
のかもしれない。
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