テレビユー福島賞では、「競走馬取引の仲介」などを手掛けているオーナーの持ち馬に注目です | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

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全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



昨日、7月10日(金)は、「美浦トレセン」で厩舎を構えている奥村武先生にとって,44歳の誕生日だったんですよ。

奥村先生は、東京都の板橋区出身で、周りに競馬関係者がいなかったそうですが、13歳の時、オグリキャップとホーリックスが叩き合った1989年のジャパンCを見て、競馬に興味を持ったそうです。

次の年のダービー(勝ち馬はアイネスフウジン)は、お母さんと一緒に見ていたそうで、その時、心の底から競馬が好きになって、中学2年生の頃には、騎手を目指していたそうですが、身長が伸びてしまったため、騎手になることを諦めたそうですよ。

その後は、1999年に芝浦工業大学の工学部金属工学科を卒業してから、「やっぱり馬に関わりたい」と思って、育成牧場の「ディアレストクラブ」で働いて、2001年の10月、競馬学校の厩務員課程に入って、次の年の4月から高橋義博厩舎で厩務員をやって、2003年の2月から国枝栄厩舎で調教助手をやっていました。

奥村先生が国枝厩舎にいた時には、2010年の牝馬三冠など、GIを5つも勝ったアパパネを担当していて、先生自身、「その時の経験は自分にとって大きな財産だ」と言っていましたし、「国枝先生の教えはすごく勉強になった」とも言っていましたよ。

三度目の挑戦だった2013年に調教師の試験に受かった奥村先生は、次の年の3月に自分の厩舎を開業していて、それから年末までは、「8勝・獲得賞金1億3762万円」という成績でしたが、その後は、2015年と2016年が16勝、2017年は、ライジングリーズンを使ったフェアリーSで初めて重賞を勝つなど、全部で22勝を上げていたんですよ。

そして一昨年は、「25勝・獲得賞金3億8236万円」という、勝ち星と賞金のどっちも開業してから一番の数字を残していて、他の年も入れたら、先週までにJRAで通算106勝を上げています。

そして今日と明日、奥村先生の厩舎は、

■11日(土)

福島9R・郡山特別→アメージングサンとクルージーン

■12日(日)

福島4R・3歳未勝利→ブランブランブラン
福島5R・2歳新馬→ホウオウハイエスト
福島6R・2歳新馬→ショウナンラスボス
福島10R・天の川賞→エイムアンドエンド
函館8R・3歳上1勝クラス→ラストプライドワン

と、全部で7頭を使いますので、きっとどの馬も、「勝って自分の誕生日を祝いたい」という思いでキッチリ仕上げている筈ですから、どんな走りを見せてくれるのか、注目したいところです。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、

5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属

といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、藤沢和雄厩舎がテレビユー福島賞に使う、多田信尊(のぶたか)オーナーの持ち馬クラヴィスオレアについて、よく私に美味しい情報を教えてくれる、「競走馬エージェントのAさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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多田信尊オーナーは、競走馬取引の仲介などを手掛けている、「グローブエクワインマネージメント有限会社」の代表取締役です。

多田オーナーは、タイキシャトルやタイキブリザードでお馴染みの一口馬主クラブ・「大樹ファーム」で、レーシングマネージャーをやっていたことがあって、海外の競馬関係者に顔が利くことから、今まで何度も日本馬の海外遠征をサポートしています。

タイキシャトルが1998年のジャック・ル・マロワ賞に挑戦した時や、エルコンドルパサーが1999年の凱旋門賞に挑戦した時や、ダンスインザムードが2004年のアメリカンオークスに挑戦した時なども、色々な形でサポートしていましたね。

そうそう、多田オーナーは、「競走馬セール」で落札した馬を、その後、他の馬主さんに譲っていることが多くて、主な例としては、山本英俊オーナーの所有馬になった、

■ペルーサ(父ゼンノロブロイ、母アルゼンチンスター)
2007年のセレクトセールで落札(1億0500万円)

■モンドシャルナ(父ネオユニヴァース、母ウインドインハーヘア)
2011年のセレクトセールで落札(2億6250万円)

■ラストグルーヴ(父ディープインパクト、母エアグルーヴ)
2011年のセレクトセールで落札(3億7800万円)

■キミノナハセンター(父ディープインパクト、母グレイトサンライズ)
2012年のセレクトセールで落札(1億5750万円)

などが挙げられます(落札価格は全て税込表記)。

さっき書いた通り、多田オーナーの本業は、私と同じ「競走馬取引の仲介」、つまり「エージェント業務」ですから、「セレクトセール」などで落札した馬を他の馬主さんに譲る場合は、セールで落札した価格よりも高く取り引きして、その差額を「仲介の利益」にしている筈です。

当然、自分の持ち馬が活躍すれば、他の馬主さん達に「馬を見る目がある」という印象を与えられて、そうなればもちろん、落札した馬が高く売れることになります。

そういった中で、今日は、1着賞金1820万円(馬主の取り分は8割の1456万円)のテレビユー福島賞にクラヴィスオレアを出走させますので、私が多田オーナーでしたら、この馬を預けている藤沢和雄先生に対して、迷わずメイチの勝負仕上げをお願いしますね。

実際、私のところに届いている最終追い切りについての報告が、

「8日(水)、レースでも乗る木幡育也君が坂路に入れて、4Fが56秒1、終いの1Fが12秒5という時計を出していて、コンマ3秒先行していたラボーナ(古馬2勝クラス)を追い掛けて、最後はキッチリ同入に持ち込んでいました。完全に馬なりだったので、全体の時計は平凡なものでしたけど、動きそのものはとてもスムーズでしたから、デキの良さには太鼓判を押せるでしょう」

という内容でしたから、いいレースが期待できる筈です。

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多田信尊オーナーがテレビユー福島賞に使うクラヴィスオレアについて、「競走馬エージェントのAさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也(かまたみつや)君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。