プロキオンSでは、「開業1ヶ月後に重賞を勝った先生が使う馬」に注目です | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



5月23日(土)のメイS(東京・芝1800m)で、勝ち馬のアイスストームからコンマ1秒差の3着だった、大竹正博厩舎のザダル(牡4歳・父トーセンラー)は、次走の予定が8月2日(日)の関越S(新潟・芝1800m)です。

この馬を管理している大竹先生は、母方の姓を名乗っていますので名字が違いますけど、1963年から1999年まで乗り役をやっていて、重賞を36勝、通算970勝という実績を残している大崎昭一君の息子さんで、神奈川県の相模原市にある麻布大学の獣医学部を出ているんですよ。

麻布大学と言えば、現役の調教師では、1999年のオークスを勝ったウメノファイバーなどお馴染みの相沢郁先生や、2009年に美浦で厩舎を開業した伊藤大士先生などが、引退した調教師で言えば、ミスターシービーや、ジェニュインなどを管理していて、2014年に引退した松山康久先生や、マイネルマックスや、ビートブラックなどを管理していて、去年の2月に引退した中村均先生などが通っていたところです。

大学を出た後、大竹先生は、門別にある「白井牧場」で働いていました。

生産と育成の両方をやっているこの牧場は、1998年のフェブラリーSを勝ったグルメフロンティアを生産したことや、1999年の菊花賞など、重賞を7勝したナリタトップロードの育成を手掛けていたことでお馴染みです。

大竹先生がいた頃には、1995年の目黒記念と1996年の日経新春杯を勝ったハギノリアルキングなどが放牧のために来ていました。

それから先生は、1997年の1月に競馬学校の厩務員課程に入って、その年の7月から鈴木清厩舎で厩務員をやって、その後、高橋祥泰厩舎や、萩原清厩舎などで調教助手をやって、2008年に調教師の試験に受かって、次の年に厩舎を開業しています。

そうそう、萩原厩舎にいた時は、2009年のダービーなど、重賞を4つ勝ったロジユニヴァースを担当してたんですよ。

開業した年は、「11勝・獲得賞金1億3155万円」という成績でしたけど、2年目は26勝、3年目は23勝と、順調に勝ち星を積み重ねていましたし、一昨年までの3年間は、

2016年→28勝・獲得賞金4億7138万円
2017年→14勝・獲得賞金3億9353万円
2018年→25勝・獲得賞金7億9792万円

という成績を残していて、特に一昨年は、ブラストワンピースを使った毎日杯と有馬記念を勝つなど、今までで一番の賞金を稼いでいました。

でも去年は、デアレガーロで京都牝馬Sを、ブラストワンピースで札幌記念を勝ちましたけど、他の馬がそれほど活躍できなかったことから、「28勝・獲得賞金5億0816万円」という成績で、一昨年の賞金を大きく下回っていましたから、今年の大竹先生は、「必ず巻き返したい」と考えている筈です。

実際に今年は、ブラストワンピースでアメリカJCCを勝つなど、先週までに13勝を上げて「2億7160万円」の賞金を稼いでいて、去年の同じ時期(7月1週目まで)の「2億5888万円」を上回っていますから、今の先生は、「賞金の高い特別レースを勝って、もっと厩舎に勢いを付けたい」と考えているのでしょう。

そこで、1着賞金が2400万円の関越Sに向けて、大竹先生がザダルをどう仕上げてくるのかをキッチリ確認して、馬券に活かしたいと思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、

5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属

といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の音無秀孝厩舎がプロキオンSに登録しているサンライズノヴァとアードラーについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のYさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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音無秀孝君は、ラグビーボールやエルカーサリバーとかでお馴染みやった田中良平厩舎から、1979年に乗り役としてデビューしとって、1985年のオークスを、28頭立ての21番人気やったノアノハコブネで勝つなど、1993年に引退するまでに、全部で84勝を上げとりましたな。

ちなみに彼は、小さい頃にコックを目指しとって、中学を出てからは、レストランで見習いをやっとったんやけど、そこにおった3年間で競馬が大好きになって、それから乗り役を目指したんや。

乗り役を引退してからの音無君は、田中良平さんの息子の田中章博(のりひろ)厩舎で調教助手をやって、1995年に調教師の試験に受かると、その年の6月に自分の厩舎を開業して、7月には早くも、イナズマタカオーを使った北九州記念で初の重賞勝ちを飾っとりましたな。

それからも、音無厩舎は順調に勝ち星を増やしとって、オレハマッテルゼを使った2006年の高松宮記念で初めてGIを勝つと、オウケンブルースリを使った2008年の菊花賞、カンパニーを使った2009年の天皇賞・秋とマイルCS、ミッキーアイルを使った2014年のNHKマイルCと2016年のマイルCS、ミッキーロケットを使った一昨年の宝塚記念、インディチャンプを使った去年の安田記念とマイルCS、モズスーパーフレアを使った今年の高松宮記念とか、今までに、GIの13勝を入れて重賞を77回も勝っとるんや。

2004年の音無厩舎は、48勝を上げて「10億3187万円」の賞金を稼いどったし、それから2010年まで、ずっと10億円以上を稼いどりました。

中でも、2009年は、「45勝・獲得賞金15億0488万円」っちゅう成績で、「最多賞金獲得調教師賞」を受賞しとったし、2010年は、「52勝・獲得賞金11億5654万円」っちゅう成績で、初めて「調教師リーディング1位」になったんやから、乗り役よりも、調教師として馬を育てる方が向いとるんやろ。

そんで、2011年から2015年までは、勝ち星も賞金のどっちも2010年の数字を超えられなかったんやけど、去年までの4年間は、

2016年→45勝・獲得賞金11億9467万円
2017年→47勝・獲得賞金12億2770万円
2018年→45勝・獲得賞金13億2507万円
2019年→43勝・獲得賞金13億1710万円

と、立て続けにエエ成績を残しとりました。

けど、今年は先週までが「16勝・獲得賞金6億0767万円」っちゅう成績で、去年の同じ時期(7月1週目まで)の「20勝・獲得賞金6億2848万円」を下回っとるんやから、今の音無君は、「賞金の高いレースを勝って一気に稼がなアカン」と考えとる筈ですわ。

そんな中、今週は、1着賞金が3600万円のプロキオンSにサンライズノヴァとアードラー(今の時点では除外対象)を登録してきましたんで、どっちの馬も「勝負懸かり」とワシは見とります。

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音無秀孝厩舎がプロキオンSに登録しているサンライズノヴァとアードラーについて、「元調教師のYさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也(かまたみつや)君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。