京王杯SCでは、「中央大学・法学部OBの管理馬」から目が離せません | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



国枝栄厩舎のボスジラ(牡4歳・父ディープインパクト)は、次走の予定が5月31日(日)の目黒記念(東京・芝2500m)です。

この馬は、前走の阪神大賞典(芝・3000m)で、勝ち馬のユーキャンスマイルからコンマ6秒差の8着に負けてしまいましたけど、その前は、2勝クラスのグッドラックH(中山・芝2500m)と3勝クラスの早春S(東京・芝2400m)を連勝しています。

ボスジラを管理している国枝先生は、岐阜県本巣郡の北方町出身で、近くに笠松競馬場があったことから、競馬に興味を持つようになって、地元の本巣高校に通っていた頃、「この世界で働きたい」と思ったそうです。

高校を出てからの先生は、東京農工大学農学部の獣医学科に入って、もちろん、この頃には馬術部に入っていましたし、卒業してからは、大学の2年先輩で、当時、八木沢勝美厩舎で調教助手をやっていて、今は調教師をやっている高橋裕先生の紹介で、山崎彰義厩舎の調教助手になったんですよ。

山崎さんと言えば、1987年の新潟大賞典をセッテジュノーで勝つなど、通算で247勝を上げています。

国枝先生は、山崎厩舎の調教助手になってから、ずっとそこで腕を磨いて、1989年に調教師の試験に受かって、1990年に自分の厩舎を開業しました。

最初の年は、使った回数が少なかったので8勝止まりでしたけど、2年目は9勝、3年目と4年目は15勝と、順調に勝ち星を伸ばしていましたし、開業9年目だった1998年には、ブラックホークを使ったダービー卿CTで、初めて重賞を勝っています。

それに、国枝先生の厩舎は、2010年にアパパネで、一昨年にアーモンドアイで、それぞれ牝馬三冠を勝つなど、厩舎を開業してから今までに、GIを16勝、重賞を51勝もしていますし、去年は、アーモンドアイを使ったドバイターフで初めての海外G1勝ちを飾っているんですよ。

そして、去年までの3年間も、

2017年→48勝・獲得賞金8億8056万円
2018年→45勝・獲得賞金16億0611万円
2019年→44勝・獲得賞金12億4822万円

という形で順調に勝ち星と賞金を積み重ねていました。

でも、今年は、サトノフラッグで弥生賞を勝っていますけど、先週までに稼いだ賞金は「3億3372万円」と、去年のペースを大きく下回っていますから、きっと今の先生は、「早く巻き返したい」と考えている筈ですよ。

そこで、1着賞金が5700万円の目黒記念に向けて、国枝先生がボスジラをどう仕上げてくるのかをキッチリ確認して、馬券に活かしたいと私は思っています。

ただその前に、先生の厩舎は、今週のヴィクトリアマイルにアーモンドアイを、来週の平安Sにハヤヤッコとオークスにマジックキャッスルを、再来週のダービーにサトノフラッグを使う予定ですから、もちろん、この馬達からも目が離せません。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、

5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属

といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、上原博之厩舎が京王杯SCに登録している、ショウナンライズとセイウンコウセイについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のOさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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上原博之君は、土浦第三高校に通っていた頃、お父さんの勧めで馬術を始めて、高校の時に、国体で準優勝、東日本大会で優勝という素晴らしい実績を残していましたし、馬術の推薦で中央大学の法学部に進んだ後も、全日本学生選手権で3位に入るなど、素晴らしい実績を残していました。

しかも、大学に通っていた最後の年には、馬のことを勉強するため、イギリスとドイツで半年くらい暮らしていたんですよ。

大学を卒業した後は、一度、乗馬のインストラクターになりましたけど、その後、1980年から柄崎義信厩舎の調教助手をやって、1983年から和田正道厩舎の調教助手をやって、1993年に調教師の試験に受かると、次の年に自分の厩舎を開業しました。

そして、最初の年に13勝を上げると、次の年には、ノーブルグラスを使った札幌スプリントSで初めて重賞を勝っていましたし、それからも、ダイワメジャーを使った2004年の皐月賞や、セイウンコウセイを使った2017年の高松宮記念などを勝っていて、今までに、GIの6勝を含めて重賞を28勝、JRA通算で449勝を上げています。

2006年の上原君は、ダイワメジャーで天皇賞・秋とマイルCSを勝つなど、全部で18勝を上げて、今までで一番多い「7億1971万円」の賞金を稼いでいました。

でも、その後は、一度もこの数字を超えていなくて、去年までの5年間も、

2015年→18勝・獲得賞金2億7777万円
2016年→21勝・獲得賞金3億3755万円
2017年→20勝・獲得賞金4億9640万円
2018年→12勝・獲得賞金3億3365万円
2019年→18勝・獲得賞金3億7218万円

と書けば分かる通り、成績が伸び悩んでいましたので、今年の上原君は、「キッチリ巻き返したい」と考えている筈です。

実際、今年に入ってから先週までの成績は、ガロアクリークを使ったスプリングSを勝つなど、「9勝・獲得賞金2億4268万円」と去年のペースを大きく上回っていますけど、まだ2006年の3割くらいしか稼げていませんので、きっと今の彼は、「賞金の高いレースを勝って、もっと厩舎に勢いを付けたい」と考えているのでしょう。

こういった中、今週は、1着賞金が5900万円の京王杯SCにショウナンライズとセイウンコウセイを登録していますので、私が彼でしたら、どちらの馬も全力で仕上げますね。

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上原博之厩舎が京王杯SCに登録している、ショウナンライズとセイウンコウセイについて、「元調教師のOさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也(かまたみつや)君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。