師走Sは、「同志社大学OBの管理馬」から目が離せません | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

必見!

「馬主や厩舎OBがブ厚く勝負するガチンコ買い目」は、
下記のリンク先で確認できます(完全無料)。
↓↓↓↓↓
★ ここをクリック ★

・・・・・・・・・・

全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



一昨日、12月5日(木)は、田中博康先生の34歳の誕生日だったんですよ。

埼玉県出身の田中先生は、タイキフォーチュンやサウスヴィグラスなどを育てた高橋祥泰君の厩舎から、2006年に乗り役としてデビューしていて、現役の乗り役なら、北村友一君と田村太雅君と的場勇人君と黛弘人君が同期です。

田中先生は、2年目の2007年に44勝を上げていましたし、シルクメビウスに乗った2009年のユニコーンSと2010年の東海S、クィーンスプマンテに乗った2009年のエリザベス女王杯と、3つ重賞を勝っていて、調教師の試験に受かって一昨年の2月に引退するまでに、通算で129勝を上げていました。

ちなみに先生は、乗り役時代に、何度もフランスで武者修行していて、同じ頃に遠征していた、ヒルノダムールやエイシンヒカリなどの調教を手伝っていたんですよ。

乗り役を引退してからは、高橋祥泰厩舎で技術調教師として勉強しながら、アメリカ、イギリス、フランス、アイルランドなど、海外でも馬のことを勉強していて、フランスでは、ハリケーンランやレイルリンクなど、凱旋門賞を7勝もしているアンドレ・ファーブル厩舎で色々なことを学んでいましたし、池江泰寿厩舎のサトノダイヤモンドが凱旋門賞に挑戦した時は、遠征に帯同していました。

こういう風に、フランスの競馬を肌で感じている田中先生は、一番勝ちたいレースに「凱旋門賞」を挙げています。

そして田中先生は、去年の3月に自分の厩舎を開業していて、年末までに「13勝・獲得賞金1億9419万円」という成績を残していましたし、今年も先週までに、「19勝・獲得賞金2億3723万円」と、順調に勝ち星と賞金を積み重ねているんですよ。

もちろん、今の先生は、「年末までにできる限り多く稼いで、今年をいい形で締めくくりたい」と考えているのでしょうね。

そして今日と明日、田中先生の厩舎は、

■7日(土)

中山2R・2歳未勝利→ニュートンテソーロ
中山5R・2歳新馬→ルヴェルソー
中山8R・3歳上2勝クラス→ボストンテソーロ
中京12R・鳥羽特別→サンノゼテソーロ

■8(日)

中山10R・常総S→コスモカレンドゥラ

と、全部で5頭を使いますので、きっと、「勝って自分の誕生日を祝いたい」、「1つでも多く勝ちたい」という思いで、どの馬もキッチリ仕上げている筈ですから、どんな走りを見せてくれるのか、注目したいところです。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の牧浦充徳厩舎が師走Sに使うノーブルサターンについて、私が前から仲良くしている、「記者のF君」から届いた報告を紹介しておきますね。

・・・・・・・・・・


京都出身の牧浦充徳先生は、競馬とは縁のない家庭に育ったんやけど、中学生の頃から馬術をやっとって、1991年の石川国体で3位に入っとったし、同志社大学に進んでからも馬術を続けとりましたな。

同志社大学を卒業してから、牧浦先生は、1999年の10月に競馬学校の厩務員課程に入って、2000年の4月から加用正厩舎で厩務員をやって、その年の8月から調教助手をやって、2002年から森秀行厩舎で調教助手をやっとったんですわ。

森厩舎におった頃は、2001年のフェブラリーSを勝ったノボトゥルーや、2003年の東京大賞典を勝ったスターキングマンや、2008年の皐月賞を勝ったキャプテントゥーレや、交流重賞を6つも勝ったアグネスジェダイとかを担当しとりましたな。

2009年に34歳の若さで調教師の試験に受かって、その年の6月に自分の厩舎を開業した牧浦先生は、最初の年が4勝やったけど、2年目に9勝を上げると、その後は、ずっと10勝以上をキープしとったし、一昨年までの5年間も、

2013年→14勝・獲得賞金2億2759万円
2014年→12勝・獲得賞金1億8159万円
2015年→14勝・獲得賞金1億8354万円
2016年→14勝・獲得賞金2億1996万円
2017年→29勝・獲得賞金3億8682万円

と、順調に勝ち星と賞金を積み重ねとったんや。

特に、2017年は、勝ち星と賞金の両方で開業してから一番の数字やったし、その年は、ドンフォルティスを使った地方交流の北海道2歳優駿で初めての重賞勝ちを飾ったんやから、先生はかなり嬉しかった筈やで。

そんで、去年は勝ち星が「19」に減ってしもうたんやけど、賞金は「3億8317万円」と、一昨年と同じくらい稼いどったんですわ。

ただ、今年は先週までに「17勝」を上げとるんやけど、賞金が「2億6975万円」と、去年のペースを大きく下回っとるんで、今の牧浦先生は、「年末までにできる限り多く稼がなアカン」と考えとるんでしょうな。

そんな中、今日は、1着賞金が2300万円の師走Sにノーブルサターンを使いますんで、ワシは、「先生がこの馬をメイチに仕上げてくる」と見とったし、4日(水)、最終追い切りを確認したところ、坂路に入れられて、4Fが55秒8、終いの1Fが13秒4ちゅう時計を馬なりで出しとりました。

先行しとったノーブルブレイド(2歳未出走)をコンマ3秒追い掛けて、持ったままでグングン差を詰めると、最後はコンマ2秒先着しとりましたわ。

全体の時計は平凡なもんやったけど、最後まで集中して走れとったし、追い切った後の気合い乗りが抜群やったから、上位に食い込める筈やで。

そうそう、牧浦先生の厩舎は、明日、1着賞金が3600万円のカペラSにヒザクリゲを使いますんで、この馬にも、同じ理由で注目せなアカンやろ。

・・・・・・・・・・

牧浦充徳厩舎が師走Sに使うノーブルサターンについて、「記者のF君」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也(かまたみつや)君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。