阿武隈Sで、「私の頼もしい仲間」が注目しているのは | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

★☆★☆ 競馬ファンの皆様に特大朗報! ☆★☆★

毎週に渡り好結果を残している「パーフェクトホースマンズ」の実力を、
「完全無料」で体験する絶好のチャンス!

「LINE@の友だち追加」を済ませれば、
「超高額の払戻金が見込める、関係者のガチンコ買い目」
を完全無料で取得できます!

「友だち追加」は、下のリンクをクリックするか、

友だち追加

LINEアプリを起動

「友だち検索」

ID
@ph.koushiki
で検索

「友だち追加」をタップ

の手順で行えますので、どうぞお見逃しなく!

・・・・・・・・・・

全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



前走のパラダイスS(東京・芝1400m)で「初のオープン勝ち」を飾っている、上原博之厩舎のショウナンライズ(牡6歳・父ダイワメジャー)は、次走の予定が8月25日(日)の朱鷺S(新潟・芝1400m)です。

この馬を管理している上原先生は、土浦第三高校に通っていた時に、お父さんの勧めで馬術を始めて、高校の時に、国体で準優勝、東日本大会で優勝という素晴らしい実績を残していましたし、馬術の推薦で中央大学の法学部に進んだ後も、全日本学生選手権で3位に入るなど、素晴らしい実績を残していました。

しかも、大学に通っていた最後の年には、馬のことを勉強するため、イギリスとドイツで半年くらい暮らしていたんですよ。

大学を卒業した後は、一度、乗馬のインストラクターになりましたけど、その後、柄崎義信厩舎と和田正道厩舎で調教助手をやって、1993年に調教師の試験に受かると、次の年に自分の厩舎を開業しました。

それからは、最初の年に13勝を上げていましたし、次の年には、ノーブルグラスを使った札幌スプリントSで初めて重賞を勝って、その後も、ダイワメジャーを使った2004年の皐月賞や、セイウンコウセイを使った一昨年の高松宮記念などを勝っていて、今までに、GIの6勝を含めて重賞を27勝、JRA通算で429勝を上げています。

2006年には、ダイワメジャーで天皇賞・秋とマイルCSを勝つなど、全部で18勝を上げて、今までで一番多い「7億1971万円」の賞金を稼いでいました。

そして、その後も順調に実績を積み重ねていて、今年は、先週までに7勝を上げて、「1億9461万円」の賞金を稼いでいて、「12勝・獲得賞金3億3365万円」だった去年のペースを上回っています。

もちろん、今の上原先生は、「賞金の高いレースを勝って、もっと厩舎に勢いを付けたい」と考えている筈ですから、1着賞金が2500万円の朱鷺Sに向けて、ショウナンライズをどう仕上げてくるのか、注目したいところです。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、国枝栄厩舎が阿武隈Sに使うサトノキングダムについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のMさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥

国枝栄君は、東京農工大学農学部の獣医学科を卒業していますね。

大学生の時、馬術部に入っていて、その繋がりで、八木沢勝美厩舎で調教助手をやっていた2つ年上の高橋裕君(現在は調教師)を知っていたので、卒業した後は、高橋君の紹介で、山崎彰義厩舎の調教助手になりました。

山崎さんと言えば、1987年の新潟大賞典をセッテジュノーで勝つなど、通算で247勝を上げていますね。

国枝君は、山崎厩舎の調教助手になってから、ずっとそこで腕を磨いて、1989年に調教師の試験に受かって、1990年に自分の厩舎を開業しました。

最初の年は、使った回数が少なかったので8勝止まりでしたけど、2年目は9勝、3年目と4年目は15勝と、順調に勝ち星を伸ばしていましたし、開業9年目だった1998年には、ブラックホークを使ったダービー卿CTで、初めて重賞を勝っています。

それからも、2004年には、44勝を上げて「9億4393万円」の賞金を稼いでいましたし、2007年には、41勝を上げて、「11億7307万円」の賞金を稼いでいましたね。

しかも、2010年に国枝君は、アパパネで牝馬三冠を勝っていますし、これを含めて、厩舎を開業してから先週までに、GIを15勝、重賞を47勝もしています。

それに、彼の厩舎は、2016年までの5年間、

2012年→41勝・獲得賞金6億8110万円
2013年→37勝・獲得賞金8億0044万円
2014年→35勝・獲得賞金6億0733万円
2015年→31勝・獲得賞金6億1444万円
2016年→34勝・獲得賞金6億3196万円

という形で順調に実績を積み重ねていましたし、一昨年は、今までで一番多い「48勝」を上げていました。

でも、一昨年はGIに2回しか馬を使えなかったことなどから、賞金は「8億8056万円」と、2007年を大きく下回っていましたので、去年の国枝君は、「必ず巻き返したい」と考えていた筈ですし、実際に去年は、アーモンドアイで牝馬三冠とジャパンCを勝つなど、45勝を上げて、「16億0611万円」という、今までで一番の賞金を稼いでいましたね。

ただ、今年はアーモンドアイでドバイターフを勝っていますけど、JRAでは、先週までの獲得賞金が「5億1409万円」と、去年のペースを大きく下回っていますから、今の彼は、「賞金の高いレースを勝って、もっとペースを上げたい」と考えているのでしょう。

こういった中、今日は、1着賞金が1820万円の阿武隈Sにサトノキングダムを使いますので、私が国枝君でしたら、お釣りを残さずメイチに仕上げますし、実際にどう仕上げてくるのかを確認しようと思って、3日(水)、最終追い切りの様子をジックリ見たところ、北馬場のダートコースに入れられて、5Fが67秒0、終いの1Fが12秒0という時計を馬なりで出していました。

先行していたロジチャリス(障害未勝利)を1秒6追い掛ける形で、最後はコンマ1秒先着していましたね。

大きなフットワークで走れていましたし、追い切った後の気合い乗りが抜群でしたから、国枝君の狙い通りに仕上がっているのでしょう。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥

国枝栄厩舎が阿武隈Sに使うサトノキングダムについて、「元調教師のMさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也(かまたみつや)君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。