見逃し厳禁!栗東から届いた日経新春杯と京成杯とフェアリーSのお宝情報 | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

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全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



畠山吉宏厩舎のウインブライト(牡5歳・父ステイゴールド)は、次走の予定が2月24日(日)の中山記念です。

皆さんもよく知っている通り、この馬は、一昨年はスプリングSと福島記念を勝っていましたし、去年は中山記念を勝っていて、今年の初戦だった中山金杯では、スタートを決めて中団に構えてレースを運んで、4コーナーを過ぎた辺りから追い上げて、最後の直線で外に持ち出されると鋭く伸びて、先に抜け出していたステイフーリッシュを差し切って勝っています。

乗っていた松岡君は、レースの後、

「いつもより後ろからの競馬になりましたが、キッチリ折り合えましたし、直線はいい脚を使って伸びてくれました」

と話していましたよ。

ウインブライトを管理している畠山先生のお祖父さんは、1964年の桜花賞とオークスを勝ったカネケヤキや、1971年のオークスを勝ったカネヒムロや、1978年の有馬記念を勝ったカネミノブなどを出したことで、有名な「青森牧場」を持っていた方です。

子供の頃から、牧場にいる馬を見て育った畠山先生は、最初、「牧場を継ぎたい」と思っていたそうですが、レースを見ている内に、「調教師になりたい」と考えるようになって、高校を卒業してから、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)に進んでいます。

大学に入って、畠山先生は、馬術部ではなく、東京競馬場の乗馬センターで馬に乗り始めたそうで、大学を卒業した後に、乗馬センターの先生のアドバイスで、「日本装蹄師会」の講習を半年ほど受講していました。

私も日本獣医畜産大学の卒業生ですから、先生は私の後輩になりますね。

そして畠山先生は、1986年の11月から1998年の2月までは二本柳一馬さんの厩舎で、1998年の3月から1999年の2月までは根本康広君の厩舎で、それぞれ調教助手をやって、2000年の3月に自分の厩舎を開業しました。

2004年には、マイネルデュプレを使った共同通信杯で初めて重賞を勝っていて、その後、マイネルホウオウを使った2013年のNHKマイルCで初めてGIを勝っていましたし、その後も、先ほど書いた通り、ウインブライトで一昨年のスプリングSと福島記念と去年の中山記念と今年の中山金杯を勝つなど、今までにJRAで重賞を8勝しています。

でも、先生の厩舎は、一昨年のローズプリンスダムを使ったレパードSから、ウインブライト以外の馬で重賞を勝てていませんので、きっと今は、「ウインブライトでもっと稼ぎたい」と考えている筈ですよ。

ですから、畠山先生が中山記念に向けて、この馬をどう仕上げてくるのかをキッチリ確認して、馬券に活かしたいと思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の斉藤崇史(たかし)厩舎が登録している、日経新春杯のダッシングブレイズ、京成杯のヒンドゥタイムズ、フェアリーSのレーヴドカナロアについて、私の頼もしい仲間の一人で、JRAで乗り役と調教助手をやっていた鎌田光也君から届いた報告を紹介しておきますね。

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神奈川県出身の斉藤崇史先生は、中学生の時に、同級生の影響で競馬が好きになって、高校生の時に、調教師を目指すことを決めたそうですな。

そんで、日本獣医畜産大(今の日本獣医生命科学大)に通って、四年生の時には、もっと馬のことを勉強するために、半年くらいアイルランドに留学しとって、卒業した後は、2年ほどノーザンファームで働いて、それから2007年に競馬学校の厩務員課程に入っとりました。

次の年に競馬学校を出てからは、その年の2月から松永幹夫厩舎の厩務員を、7月からは調教助手をやっとりましたな。

斉藤先生は、厩舎に入ってから1年くらいの時、レッドディザイアの担当になって、この馬が、2009年の秋華賞を勝っとるし、ドバイとアメリカに遠征した時も一緒に行くっちゅうエエ経験をしとったんですわ。

それから、2015年に調教師の試験に受かった先生は、2016年の3月に自分の厩舎を開業しとって、最初の年に「8勝・獲得賞金1億4086万円」っちゅう成績を残すと、一昨年は、「17勝・獲得賞金2億9929万円」と大きく数字を伸ばしとって、去年は、「25勝・獲得賞金3億9086万円」っちゅう、今までで一番の数字を残しとりました。

けど、斉藤先生は、この数字に満足せんで、今年も全力で勝ちにくると見とるんや。

っちゅうのも、先生の厩舎は、去年、2着が22回、3着が21回と、取りこぼしとったレースが多いんで、「今年はどのレースもキッチリ勝たなアカン」と考えとる筈やから。

そんな中、今週は、1着賞金が5700万円の日経新春杯にダッシングブレイズ、3800万円の京成杯にヒンドゥタイムズ、3500万円のフェアリーSにレーヴドカナロアを登録しとるんで、「揃って勝負懸かり」と見とったから、実際、最終追い切りを確認したところ、ワシの見込み通り、エエ動きやったんで、先生が気合いを入れて仕上げてきたんでしょうな。

それに、斉藤先生の厩舎は、去年、ノーヴァレンダを使った交流G1の全日本2歳優駿を勝っとるんやけど、JRAではまだ重賞を勝てとらんのやから、日経新春杯のダッシングブレイズと京成杯のヒンドゥタイムズとフェアリーSのレーヴドカナロアには、「ここで初めての重賞勝ちを」っちゅう思いも込められとるんでしょうな。

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栗東の斉藤崇史厩舎が登録している、日経新春杯のダッシングブレイズ、京成杯のヒンドゥタイムズ、フェアリーSのレーヴドカナロアについて、JRAで乗り役と調教助手をやっていた鎌田光也君から届いたから届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭(のりやす)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一(よういち)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也(みつや)のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。