「2019年に向けて、私が注目している馬」・その6 | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



さて、1月5日(土)からは、「2019年の新春開催」が始まりますね。

そこで、12月29日(土)から、「2019年に向けて、私が注目している馬」を紹介していますし、今回、私が「注目馬」としてご紹介するのは、堀宣行厩舎のサトノジェネシス(牡3歳・父ディープインパクト)です。

この馬は、2016年の菊花賞と有馬記念を勝ったサトノダイヤモンドの全弟で、10月20日(土)の新馬戦では、直線で伸び切れず3着に負けてしまいました。

でも、11月17日(土)の未勝利戦では、ゲートの出が悪くて後ろからの競馬でしたが、徐々にポジションを上げていって、直線で仕掛けると楽に突き抜ける強い内容で勝ち上がっています。

新馬戦の時と同じく、未勝利戦の時も、パドックでカリカリするところを見せていたように、まだ子供っぽい部分がありますので、その点が解消されれば、もっと良くなる筈ですよ。

ちなみに、次走の予定は、1月27日(日)のセントポーリア賞になっていて、この先、大きなレースに使うためには、本賞金を加算しないといけませんから、今の堀先生は、セントポーリア賞を「絶対に取りこぼせないレース」と考えているのでしょう。

そこで、レースに向けて、先生がサトノジェネシスをどう仕上げてくるのか、注目したいと思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そうそう、昨日までのブログで何度も書いていることですが、念のために改めてお伝えしておきますと、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭(のりやす)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一(よういち)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也(みつや)のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。