国体で優勝している先生が、新潟記念を勝ちたい理由は | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



今日は、デビューが近そうな2歳馬の中から、私が注目している一頭を紹介しておきますね。

それは、矢野英一厩舎のユメノハジマリ(牝・父ストロングリターン、母カカアデンカ)です。

この馬は、6月8日(金)にゲート試験をパスした後、美浦近郊の「松風馬事センター」で放牧されていましたが、8月中旬に帰厩しています。

それから、23日(木)、坂路に入れられて、4Fが54秒6、終いの1Fが11秒6という時計を馬なりで出していました。

かなりキレのあるフットワークで走れていましたし、追い切った後も馬に余力がありましたから、ここまで順調にきているのでしょうね。

知っている方もいると思いますけど、ユメノハジマリを管理している矢野英一先生は、天皇賞・秋を勝ったプレクラスニーや、日経賞を勝ったテンジンショウグンなどを育てて、2014年に調教師を引退した矢野照正さんの息子さんです。

先生は、1989年に高校を卒業した後、調教師になるため、アメリカに留学して、アリゾナ大学の競馬学科で馬のことを勉強していました。

日本に帰ってからは、1996年に競馬学校の厩務員課程に入って、次の年の4月から、阿部新生(にいお)厩舎で厩務員を、その年の10月からは、お父さんの矢野照正厩舎で調教厩務員をやって、1998年の10月からは調教助手をやって、2008年に調教師の試験に受かって、2009年に自分の厩舎を開業していますね。

矢野先生の厩舎は、今年、2歳馬を21頭預かっていますけど、まだ勝ち上がっているのは1頭だけなので、今は、「2歳馬をもっと勝たせたい」と考えている筈ですから、デビューに向けて、ユメノハジマリをキッチリ仕上げてくる筈ですよ。

この馬は、9月の中山開催でデビューする予定です。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、牧光二厩舎が新潟記念に登録しているエンジニアについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のNさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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大学時代の牧光二君は、馬術の世界でかなり有名でした。

何しろ彼は、中央大学の馬術部にいた頃、国体で団体優勝していますし、世界学生選手権にも出場していて、その活躍振りが評価されて、出身地の大分県から「県民栄誉賞」を贈られていましたからね。

1998年の4月に競馬学校の厩務員課程に入った牧君は、その年の10月から、増沢末夫さんの厩舎で厩務員をやって、12月からは、宗像義忠君の厩舎に移って調教助手をやって、そこでは、重賞を7つも勝ったバランスオブゲームを担当していました。

その後、2005年には、大学で馬術部の先輩だった上原博之君の厩舎に移っていますね。

牧君が上原君の厩舎にいた頃は、2004年の皐月賞など、GIを5勝したダイワメジャーや、2005年の新潟2歳Sを勝ったショウナンタキオンや、2008年のオーシャンSなど重賞を3勝したプレミアムボックスなどがいましたから、こうやって、走る馬を間近で見られたことが、牧君にはいい経験になったのでしょう。

それから牧君は、2008年に調教師の試験に受かって、その年の暮れに自分の厩舎を開業していて、最初の年は、レースに使った頭数が少なかったので、1勝も上げられなかったのですが、次の年は11勝、3年目の2010年には、アニメイトバイオを使ったローズSで初めて重賞を勝つなど、全部で17勝を上げていましたし、2011年には、「32勝・獲得賞金4億9307万円」という、今までで一番の成績を残していました。

でも、それからは、

2012年→25勝・獲得賞金3億4262万円
2013年→28勝・獲得賞金4億0136万円
2014年→26勝・獲得賞金3億6870万円
2015年→31勝・獲得賞金3億9648万円
2016年→25勝・獲得賞金3億8593万円
2017年→25勝・獲得賞金4億2868万円

と書けば分かる通り、ずっと2011年の数字を超えていませんので、今年の牧君は、「必ず巻き返したい」と気合いを入れている筈です。

ただ、今年に入ってから先週までは、「12勝・獲得賞金1億9571万円」という成績で、去年のペースを大きく下回っていますから、今の牧君は、「もっと勝って稼がないとマズイ」と思っているのでしょう。

こういった中、今週は、1着賞金が4100万円の新潟記念にエンジニアを登録してきましたので、私が彼でしたら、この馬を全力で仕上げますね。

それに、牧君の厩舎は、アニメイトバイオで2010年のローズSを勝ってから、8年近くも重賞を勝てていませんので、今回は、「久々に重賞を勝ちたい」という思いも込められている筈です。

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牧光二厩舎が新潟記念に登録しているエンジニアについて、「元調教師のNさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

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★ 元JRA調教助手・鎌田光也(みつや)のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。