テイエムオーシャンの主戦だった先生が、函館記念を勝ちたいのは… | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



今日は、デビューが早そうな2歳馬の中から、私が注目している一頭を紹介しておきますね。

それは、大和田成厩舎のルメッサージュ(牝・父ヨハネスブルグ、母チアズメッセージ)です。

この馬は、2004年の京都牝馬Sを勝ったチアズメッセージがお母さんで、一昨年の目黒記念を勝ったクリプトグラムが半兄にいる血統なんですよ。

ルメッサージュは、5月10日(木)に入厩して、5月17日(木)、ゲート試験に合格した後、一旦、「ノーザンファーム天栄」(福島県岩瀬郡天栄村)に放牧されていましたけど、6月22日(金)、美浦トレセンに帰ってきました。

7月4日(水)には、嘉藤貴行君が坂路で強めに追って、4Fが53秒6、終いの1Fが12秒6という時計を出していましたし、今日も坂路に入れられて、4Fが54秒5、終いの1Fが12秒8という時計を出しています。

馬体重が400キロちょっとしかない馬ですが、しっかり乗り込めていますし、追い切った後も元気一杯なので、ここまで順調にきているのでしょうね。

大和田成先生は、1983年のオールカマーを勝ったスイートカーソンや、1989年の関屋記念を勝ったミスターブランディや、1994年の福島記念を勝ったシルクグレイッシュなどを育てて、2009年に調教師を引退した大和田稔さんの息子さんですね。

成先生は、私の母校・日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業した後、社台ファームで2年半ほど働いて、2001年の7月に競馬学校の厩務員課程に入りました。

競馬学校を出た後は、2001年の10月から本郷一彦厩舎で厩務員をやって、それから、浅野洋一郎厩舎や加藤征弘厩舎や柴田政人厩舎で調教助手をやって経験を積んで、2011年に調教師の試験に受かって、その年の5月に、初めにいた本郷さんの厩舎を引き継ぐ形で自分の厩舎を開業しています。

成先生の厩舎は、今、オープン馬が1頭もいませんので、きっと、「活躍馬が出てきて欲しい」と考えている筈ですから、お母さんもお兄さんも重賞を勝っているルメッサージュには、かなり期待しているでしょうね。

ちなみに、この馬は、7月21日(土)の新馬戦(福島・芝1200m)でデビューする予定です。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきましょう。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の本田優厩舎が函館記念に登録しているエテルナミノルについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のSさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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本田優君は、1980年に、星川薫さんの厩舎から乗り役としてデビューしとりました。

星川さんは、1994年のフェブラリーSを勝ったチアズアトムや、1995年のシンザン記念を勝っとって、同じ年のマイルCSで2着やったメイショウテゾロとかを管理しとったことでお馴染みですな。

乗り役やった頃の本田君は、デビュー2年目やった1981年に、ロビンソンシチーに乗った京都記念で初めて重賞を勝っとったし、1986年には、ゴールドシチーに乗った阪神3歳Sで初めてGIを勝っとりました。

それからも、リキアイノーザンに乗った1989年の中山牝馬Sや、レインボークイーンに乗った1996年のクイーンSや、テイエムオーシャンに乗った2001年の桜花賞と秋華賞や、カワカミプリンセスに乗った2006年のオークスと秋華賞とか、6つのGIを入れて重賞を27回も勝っとったし、全部で757勝っちゅう成績を残しとりましたな。

そんで、調教師の試験に受かった2007年に乗り役を引退して、その年の3月に自分の厩舎を開業しとって、最初の年は4勝止まりやったけど、次の年に、バトルブレーヴを使った小倉サマージャンプで初めて重賞を勝つなど、「16勝・獲得賞金2億8219万円」っちゅう成績を残すと、その後も順調に勝ち星を積み重ねとって、2012年には、「35勝・獲得賞金5億9610万円」っちゅう成績を残しとりました。

せやけど、その後の3年間は、

2013年→18勝・獲得賞金3億6011万円
2014年→27勝・獲得賞金3億9379万円
2015年→28勝・獲得賞金4億1884万円

と、2012年の数字を超えられなかったんで、一昨年の本田君は、「必ず巻き返したい」と考えとった筈ですわ。

実際、一昨年は、今までで一番の37勝を上げて、「6億0345万円」の賞金を稼いどったし、去年は、レーヌミノルを使った桜花賞で初めてのGI勝ちを飾るなど、29勝を上げて、今までで一番多い「6億5661万円」の賞金を稼いだんやから、ワシの見込みは正しかったんやろう。

ただ、今年に入ってから先週までは、「11勝・獲得賞金1億7924万円」っちゅう成績で、まだ去年の3割も稼げとらんので、今の彼は、「賞金の高い特別レースを勝って、もっとペースを上げなアカン」と考えとる筈や。

そんな中、今週、本田君は、1着賞金が4100万円の函館記念にエテルナミノルを登録しとりますんで、実際に彼がどう仕上げてくるんか、これからの動きを、最後の最後までキッチリ確認せなアカンやろ。

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本田優厩舎が函館記念に登録しているエテルナミノルについて、「元調教師のSさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

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★ 元JRA調教助手・鎌田光也(みつや)のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。