カペラSは、元騎手のあの先生が、2012年の賞金を超えるために… | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



今週の月曜日、12月4日は、堀井雅広先生の66歳の誕生日でしたね。

先生は、1973年に宮沢今朝太郎(けさたろう)厩舎から乗り役としてデビューしていました。

その頃は、美浦トレセンができていなかった(78年に開場)ので、中山競馬場で調教をやっていましたね。

それに、まだ寮もなかった時代ですから、美浦トレセンに移るまで、先生は中山の調整ルームに住んでいたそうですよ。

堀井先生は、デビューした1973年に、サンヨウコウに乗った七夕賞で初めての重賞勝ちを飾っていましたし、1976年には、ニッショウに乗った東北記念(現在の七夕賞)で2つ目の重賞を勝つなど、乗り役を引退した1994年までに、全部で181勝していましたね。

それから、1994年に調教師の試験に受かって、次の年に自分の厩舎を開業しました。

開業した1995年には、カネツクロスを使った鳴尾記念を勝っていて、その後、マイネルレコルトを使った2004年の朝日杯FSや、アポロマーベリックを使った2013年の中山大障害や、マルターズアポジーを使った今年の小倉大賞典と関屋記念を勝つなど、今までにJRAで、重賞を17勝、通算で384勝という成績を残しています。

そして明日と明後日は、

□9日(土)
中山8R・3歳上1000万下→ネコビッチ
中京1R・2歳未勝利→サノノバクシン
中京5R・障害オープン→ホーガンブリッジ

□10日(日)
中山2R・2歳未勝利→アイルグレイス

と、4頭を使いますので、きっと堀井先生は、「勝って自分の誕生日を祝いたい」という思いで、どの馬もキッチリ仕上げている筈です。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、小野次郎厩舎がカペラSに出走させるコーリンベリーについて、私が前から仲良くしている、「記者のD君」から届いた報告を紹介しておきますね。

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1986年に騎手候補生となった小野次郎先生は、桜花賞を勝ったブロケードや、天皇賞・秋を勝ったキョウエイプロミスや、宝塚記念を勝ったパーシャンボーイなどを育てていて、2009年に、定年まで9年を残して引退した高松邦男さんの厩舎から、1989年に乗り役としてデビューしていました。

ちなみに、小野先生の同期には、今でも現役で頑張っている田中勝春騎手や、調教師として活躍している角田晃一先生や、栗東の河内洋厩舎で調教助手をやっている小池隆生さんなどがいますね。

乗り役時代の小野先生は、アイオーユーに乗った1995年のカブトヤマ記念と、タイキダイヤに乗った1999年のクリスタルCと、マニックサンデーに乗った2000年のサンスポ賞4歳牝馬特別(現在のフローラS)と、ディープサマーに乗った2005年のクリスタルCと、ユキノサンロイヤルに乗った2005年の日経賞と、重賞を全部で5つ勝っています。

そして小野先生は、乗り役として全部で528勝という実績を残した後、2010年に調教師の試験に受かったので引退して、次の年の3月に自分の厩舎を開業していますね。

最初の年は、「5勝・獲得賞金7277万円」という成績でしたけど、2年目の2012年には、「11勝・獲得賞金1億9649万円」という、勝ち星と賞金のどちらとも、前の年と比べて倍以上の成績を残していました。

でも、それからは、

2013年→5勝・獲得賞金9790万円
2014年→6勝・獲得賞金1億1915万円

という、物足りない数字に終わっていて、一昨年は、コーリンベリーで地方交流G1のJBCスプリントを勝っていますけど、JRAでは「9勝・獲得賞金1億2548万円」という数字でしたし、去年も「8勝・獲得賞金1億3164万円」と、2012年を超えられませんでしたので、今年の小野先生は、「何とか巻き返したい」と考えている筈です。

実際、先週までの成績は、「13勝・獲得賞金1億6087万円」と、勝ち星は今までで一番ですね。

ただ、2012年の賞金を超えるには、あと「3562万円」を稼がないといけませんので、今の先生は、「賞金の高いレースを勝ちたい」と考えているでしょうね。

そして明後日は、1着賞金が3600万円のカペラSにコーリンベリーを使いますし、このレースを勝てば、「JRAでは初めての重賞勝ち」になって、しかも一気に2012年の賞金を超えられます。

ですから、私が小野先生の立場でしたら、お釣りを残さないでメイチに仕上げますし、一昨日、最終追い切りの内容を確認したところ、ダートコースに入れられて、5Fが67秒8、終いの1ハロンが12秒9という時計を馬なりで出していました。

キセキノムスメ(古馬500万下)と併せて、軽快な脚捌きでコンマ2秒先着していましたし、追い切った後もイレ込むことなく落ち着いていたので、小野先生がキッチリ仕上げてきたのでしょうね。

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小野次郎厩舎がカペラSに出走させるコーリンベリーについて、「記者のD君」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

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では、また次回。

小西聖一でした。