市川高校出身の先生は、「看板馬の穴」をスワンSとアルテミスSなどで埋めたいのでしょう | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



今、私が所属している「パーフェクトホースマンズ」は、先週のレースで、

菊花賞
馬連10660円5点的中

富士S
3連複12820円5点的中

室町S
3連複12220円5点的中

ブラジルC
馬連5770円5点的中

といった結果を残しています。

この中で、「菊花賞」で2着のクリンチャー(最終的に18頭立ての10番人気)については、10月18日(水)に、このブログで、「元調教師のIさん」から届いていた、

「宮本博君は、お父さんが厩務員で、伯父さんに、乗り役としてタニノハローモアで1968年のダービーを勝った宮本悳(いさお)さんがおって、悳さんの義理のお兄さんには、元調教師の中尾謙太郎さん(1996年の桜花賞を勝ったファイトガリバーなどを管理)がおる【競馬一家】に生まれたんですわ」

「彼は、お父さんの勧めで15歳の時から馬術を始めとって、京都産業大学の馬術部におった時には、関西の学生ナンバーワンになって、学生の日本代表メンバーに選ばれとりましたな」

「大学を卒業してからの宮本君は、1985年の4月に競馬学校の厩務員課程に入って、その年の7月からは、中尾謙太郎さんの厩舎の厩務員になって、11月からは調教助手になって、調教師の試験に受かった2003年までの18年間、ずっと中尾厩舎に所属しとりましたわ」

「2004年に自分の厩舎を開業した彼は、最初の年こそ8勝止まりやったけど、2005年に15勝を上げると、その後は、毎年2ケタ以上を勝っとって、2009年には、今までで一番の29勝を上げとったし、2010年は、勝ち星こそ前の年より3つ少ない26勝やったけど、賞金は一番多い5億6865万円を稼いどりましたな」

「せやけど、去年までの4年間は、

2013年→17勝・獲得賞金3億5131万円
2014年→20勝・獲得賞金3億9109万円
2015年→20勝・獲得賞金3億9794万円
2016年→18勝・獲得賞金3億8352万円

っちゅう、物足りん数字になっとりましたから、今年の宮本君は「キッチリ巻き返したる」と考えとる筈や」

「そんで今年は、キョウヘイでシンザン記念を勝っとるんやけど、他の馬がそれほど活躍できとらんので、先週までが【9勝・獲得賞金2億9218万円】っちゅう数字で、まだ去年の半分しか勝てとりません」

「それに、彼の厩舎は、マジョラムで勝った9月3日(日)の3歳未勝利から【管理馬が32連敗中】なんで、ワシが宮本君やったら、【とにかく勝ちたい】と考えますわ」

「そんな中、今週は、1着賞金1億1500万円の菊花賞にクリンチャーを登録してきたんやから、【宮本君が勝負を懸けきた】と見るべきやろ」

という報告を紹介していたのですから、このブログを読んでいた方は、菊花賞でクリンチャーを絡めた馬券でオイシイ思いができたでしょう。

でも、先週は飛翼特別と北陸Sを取り損ねてしまいましたから、今週は、全てのレースでいい結果を残せるよう、今まで以上に力を入れて情報を集めていますし、そこで掴んだ情報はこのブログでも紹介しますから、楽しみに待っていてください。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、斎藤誠厩舎が登録している、スワンSのトーキングドラムと、アルテミスSのウラヌスチャームについて、よく私に美味しい情報を教えてくれる、「元調教師のNさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥

千葉県出身の斎藤誠君は、県内では有名な進学校の市川高校を卒業した後、大学には進まないで、1993年に競馬学校の厩務員課程に入って、その後、前田禎(ただし)さんの厩舎で厩務員になると、1997年から2005年までは調教助手をやっていましたね。

斎藤君がいた頃の前田厩舎には、1993年の関屋記念と京王杯AHを勝ったマイスタージンガーや、1998年の毎日杯と京都4歳特別を勝ったミラクルタイムなど、走る馬が何頭もいましたから、彼はその時に、どういう馬がよく走るのかをしっかり学んだのでしょう。

でも、2005年の10月に前田さんが亡くなってしまい、厩舎が解散することになったので、その後は、相沢郁厩舎と清水英克厩舎で腕を磨いて、2006年の2月に調教師の試験に受かると、その年の6月に、35歳の若さで厩舎を開業しています。

最初の年は、「4勝・獲得賞金7697万円」という成績でしたが、2年目の2007年には、サンツェッペリンを使った京成杯で初めて重賞を勝つと、ゴスホークケンを使った朝日杯FSで初めてGIを勝つなど、年末までに、「18勝・獲得賞金4億0316万円」という数字を残していましたね。

そして、一昨年までの3年間は、

2013年→20勝・獲得賞金3億7064万円
2014年→21勝・獲得賞金6億3518万円
2015年→34勝・獲得賞金6億4029万円

という成績を残していました。

中でも一昨年は、開業してから一番の数字を残せたのですから、斎藤君はこのことに満足したのでしょう。

ただ、去年は、2014年のオークス馬ヌーヴォレコルトを海外のレースばかりに使っていたことなどが響いて、「25勝・獲得賞金5億2467万円」と、一昨年の数字を下回ってしまいましたから、今年の斎藤君は、「キッチリ巻き返したい」と考えている筈です。

実際、今年に入ってから先週までは、トーキングドラムで阪急杯を勝つなど、「31勝・獲得賞金6億2627万円」という成績を残していて、一昨年を上回るのは時間の問題ですけど、斎藤君は、先週までの結果に満足しないで、これからも全力を注いでくると私は見ています。

と言うのも、JRAで重賞を3勝して、管理馬の中で一番多い「4億5671万円」の賞金を稼ぐなど、「厩舎の看板馬」だったヌーヴォレコルトが、3月16日(木)に競走馬登録を抹消されて繁殖入りしているのですから。

もちろん、私が斎藤君でしたら、「ヌーヴォレコルトが抜けた穴を他の馬で埋めなければならない」と考えますし、実際、今週は、1着賞金5900万円のスワンSにトーキングドラム、1着賞金2900万円のアルテミスS→ウラヌチャームを登録してきましたので、斎藤君がどう仕上げてくるのか、念入りに確認したいところです。

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斎藤誠厩舎が登録している、スワンSのトーキングドラムと、アルテミスSのウラヌチャームについて、「元調教師のNさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭(のりやす)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一(よういち)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。