菊花賞に漂う、「競馬一家で育ったM先生」の勝負気配 | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

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全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



畠山吉宏厩舎のウインブライト(牡3歳・父ステイゴールド)は、次走の予定が11月12日(日)の福島記念(芝2000m)ですね。

この馬は、今年の初戦だった若竹賞で500万クラスを勝ち上がると、皐月賞トライアルのスプリングSも差し切って勝って、クラシックに向かったんですけど、皐月賞は8着、ダービーは15着という結果でしたね。

それから、夏の間は「コスモヴューファーム」(北海道新冠郡新冠町)に放牧されていて、9月の初めに帰厩して、秋の緒戦は、10月8日(日)の毎日王冠を使ったんですけど、10着に敗れていました。

でも、10着といっても、GI勝ち馬が5頭も出ていて、相手がかなり揃っていましたし、勝ったリアルスティールからコンマ6秒差でしたから、悲観する内容ではなかったと私は思っています。

知っている方もいると思いますが、畠山先生のお祖父さんは、1964年の桜花賞とオークスを勝ったカネケヤキや、1971年のオークスを勝ったカネヒムロや、1978年の有馬記念を勝ったカネミノブなどを出したことで、有名な「青森牧場」を持っていた方です。

子供の頃から、牧場にいる馬を見て育った畠山先生は、最初、「牧場を継ぎたい」と思っていたそうですが、レースを見ている内に、「調教師になりたい」と考えるようになって、高校を卒業してから、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)に進んでいます。

大学に入って、畠山先生は、馬術部ではなく、東京競馬場の乗馬センターで馬に乗り始めたそうで、大学を卒業した後に、乗馬センターの先生のアドバイスで、「日本装蹄師会」の講習を半年ほど受講していました。

私も日本獣医畜産大学の卒業生ですから、先生は私の後輩になりますね。

そして畠山先生は、1986年の11月から1998年の2月までは二本柳一馬厩舎で、1998年の3月から1999年の2月までは根本康広厩舎で、それぞれ調教助手をやって、2000年の3月に自分の厩舎を開業しています。

2014年の先生の厩舎は、「22勝・獲得賞金3億2764万円」という成績を残していたんですが、その後の2年間は、

2015年→8勝・獲得賞金1億9146万円
2016年→14勝・獲得賞金2億0820万円

と成績で伸び悩んでいましたので、今年の先生は、「キッチリ巻き返したい」と強く願っているのでしょう。

実際に、今年に入ってからは、ウインブライトでスプリングS、ローズプリンスダムでレパードSを勝つなど、先週までに、「11勝・獲得賞金2億6609万円」という成績を残していて、もう過去2年の賞金を上回っていますけど、2014年の賞金を上回るには、あと「6155万円」を稼がないといけませんから、今の畠山先生は、「もっとペースを上げたい」と気合いを入れる筈です。

ですから、私は、先生がウインブライトをどう仕上げてくるのかしっかり確認して、福島記念の馬券に活かしたいと思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の宮本博厩舎が菊花賞に登録しているクリンチャーについて、よく私に美味しい情報を教えてくれる、「元調教師のIさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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宮本博君は、お父さんが厩務員で、伯父さんに、乗り役としてタニノハローモアで1968年のダービーを勝った宮本悳(いさお)さんがおって、悳さんの義理のお兄さんには、元調教師の中尾謙太郎さん(1996年の桜花賞を勝ったファイトガリバーなどを管理)がおる「競馬一家」に生まれたんですわ。

彼は、お父さんの勧めで15歳の時から馬術を始めとって、京都産業大学の馬術部におった時には、関西の学生ナンバーワンになって、学生の日本代表メンバーに選ばれとりましたな。

大学を卒業してからの宮本君は、1985年の4月に競馬学校の厩務員課程に入って、その年の7月からは、中尾謙太郎さんの厩舎の厩務員になって、11月からは調教助手になって、調教師の試験に受かった2003年までの18年間、ずっと中尾厩舎に所属しとりましたわ。

2004年に自分の厩舎を開業した彼は、最初の年こそ8勝止まりやったけど、2005年に15勝を上げると、その後は、毎年2ケタ以上を勝っとって、2009年には、今までで一番の29勝を上げとったし、2010年は、勝ち星こそ前の年より3つ少ない26勝やったけど、賞金は一番多い5億6865万円を稼いどりましたな。

せやけど、去年までの4年間は、

2013年→17勝・獲得賞金3億5131万円
2014年→20勝・獲得賞金3億9109万円
2015年→20勝・獲得賞金3億9794万円
2016年→18勝・獲得賞金3億8352万円

っちゅう、物足りん数字になっとりましたから、今年の宮本君は「キッチリ巻き返したる」と考えとる筈や。

そんで今年は、キョウヘイでシンザン記念を勝っとるんやけど、他の馬がそれほど活躍できとらんので、先週までが「9勝・獲得賞金2億9218万円」っちゅう数字で、まだ去年の半分しか勝てとりません。

それに、彼の厩舎は、マジョラムで勝った9月3日(日)の3歳未勝利から「管理馬が32連敗中」なんで、ワシが宮本君やったら、「とにかく勝ちたい」と考えますわ。

そんな中、今週は、1着賞金1億1500万円の菊花賞にクリンチャーを登録してきたんやから、「宮本君が勝負を懸けきた」と見るべきやろ。

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宮本博厩舎が菊花賞に登録しているクリンチャーについて、「元調教師のIさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭(のりやす)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一(よういち)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。