シリウスSで、1着賞金3600万円を狙うM厩舎の勝負気配 | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

★☆★☆ 競馬ファンの皆様に特大朗報! ☆★☆★

「LINEの公式アカウント」を開設しました。

今なら、

「開設記念スペシャルキャンペーン」

として、「友だち追加」で、超高額の払戻金が見込める「関係者のガチンコ買い目」を完全無料で取得できます。

「友だち追加」は、下のリンクをクリックするか、

友だち追加

下のQRコードを読み込むか、

qr

LINEアプリを起動

「友だち検索」

ID
@ph.koushiki
で検索

「友だち追加」をタップ

の手順で行えますので、どうぞお見逃しなく!

・・・・・・・・・・

全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



少し先の話になりますが、国枝栄厩舎のタンタアレグリア(牡5歳・父ゼンノロブロイ)は、次走の予定が11月26日(日)のジャパンC(東京・芝2400m)ですね。

今年、この馬は、1月のアメリカJCCで初めての重賞勝ちを飾っていましたけど、その後は、足元に不安が出て、しばらく休んでいました。

でも、8ヶ月振りで臨んだ前走のオールカマーでは、勝ったルージュバックからコンマ1秒差の3着に入って、力のあるところを見せてくれましたね。

皆さんもよく知っていると思いますが、タンタアレグリアを管理している国枝先生が、東京農工大学農学部の獣医学科を卒業してから、山崎彰義厩舎(1987年の新潟大賞典をセッテジュノーで勝つなど、JRAで通算247勝)の調教助手になったのは、美浦トレセンができた1978年でした。

それから先生は、ずっと山崎厩舎で調教助手をやって、1989年に調教師の試験に受かって、次の年に自分の厩舎を開業しています。

1998年には、ブラックホークを使ったダービー卿CTで初めての重賞勝ちを飾っていましたし、1999年には、同じブラックホークを使ったスプリンターズSで、初めての重賞勝ちを飾っていましたね。

2007年には、「41勝・獲得賞金11億7307万円」という、開業してから一番の成績を残していました。

それに、2010年に国枝先生は、アパパネで牝馬3冠を勝っていますし、これを含めて、厩舎を開業してから先週までに、GIの11勝を含めて重賞を39勝していて、JRAで通算789勝を上げていますね。

そして、今年は先週までに、「38勝・獲得賞金6億7183万円」という素晴らしい成績を残していますが、国枝先生の厩舎は、アダノンプラチナで2014年の朝日杯FSを勝ってから、もう3年近くもGIを勝てていませんので、きっと今は、「久々にGIを勝ちたい」と考えているのでしょうし、さっき書いた通り、タンタアレグリアは、次走の予定がジャパンCですから、きっと国枝先生は、気合いを入れて仕上げてくるのでしょう。

もちろん、私は、レースまでに先生がこの馬をどう仕上げてくるのかをしっかり確認して、ジャパンCの馬券に活かしたいと思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の松永昌博厩舎がシリウスSに出走させるモルトベーネについて、私が前から仲良くしている、「記者のF君」から届いた報告を紹介しておきますね。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥

松永昌博先生が、乗り役やった時に、バンブーメモリーで勝った1989年のスワンSや、オースミシャダイで勝った1990年の阪神大賞典や、ナイスネイチャで勝った1991年の京都新聞杯と鳴尾記念など、2002年に引退するまでに、重賞を23勝しとって、全部で544勝を上げとるのは、ワシよりも皆さんのほうがよく知っとる筈です。

乗り役を引退した後の先生は、義理のお父さんの松永善晴先生の厩舎で調教助手として経験を積んで、2005年に調教師の試験に受かって、次の年に厩舎を開業しとりますな。

最初の年は、「7勝・獲得賞金1億1276万円」っちゅう成績やったけど、次の年には、「19勝・獲得賞金2億8294万円」と大きく成績を伸ばしとって、2008年は「26勝」、2009年は「25勝」、2010年は「25勝」、2011年は「22勝」と、ずっと「20勝以上」をキープしとりました。

そん中でも2011年は、エイシンアポロンを使ったマイルCSで初めてGIを勝つなど、重賞を4勝して、今までで一番多い「8億0718万円」の賞金を稼いどったんやから、先生にとってホンマにエエ年やったんでしょうな。

そんで2013年は、「33勝」っちゅう、今までで一番の勝ち星を上げとるんですわ。

けど、その年の賞金は「6億0460万円」と、2011年より2億円以上も少なかったんで、きっと、それから松永先生は、「2011年のように多くの賞金を稼ぎたい」と考えとったんでしょうな。

けど、去年までの3年間は、

2014年→21勝・獲得賞金4億9696万円
2015年→19勝・獲得賞金4億5568万円
2016年→19勝・獲得賞金4億2464万円

っちゅう形で、勝ち星と賞金のどっちも2013年を下回っとります。

せやから、今年の松永先生は、「キッチリ巻き返したる」と考えとる筈やけど、実際、モルトベーネでアンタレスSを勝っているものの、他の馬がそれほど活躍できてらんから、先週までの成績は「17勝・獲得賞金3億2968万円」っちゅう数字で、去年の同じ時期(9月4週目まで)の「16勝・獲得賞金3億2839万円」とほぼ同じペースなんやから、きっと今は、「もっとペースを上げなアカン」と考えとる筈ですわ。

こういう風に勝ち星と賞金が伸び悩んどるのは、さっき書いた通りで、今年はモルトベーネでアンタレスSを勝って、それを含めて先週までで、17勝を上げとるんやけど、2着が15回と、取りこぼしが多いことですな。

そんで今日は、1着賞金3600万円のシリウスSにモルトベーネを使うんで、きっと松永先生が、「ここを勝って、厩舎に勢いを付けたる」っちゅう思いで勝負を懸けてくるとワシは見とったし、一昨日の最終追い切りでは、レースでも乗るデムーロ騎手が坂路に入れて、4Fが56秒0、終いの1Fが12秒5っちゅう時計を馬なりで出しとりました。

全体の時計は地味なもんやったけど、脚捌きが軽快やったし、今回は5ヶ月の休み明けやけど、馬体の張りと毛ヅヤの良さも目立っとりましたから、前走のアンタレスSを勝った時と同じように、松永先生がキッチリ仕上げてきたんやろ。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥

松永昌博厩舎がシリウスSに出走させるモルトベーネについて、「記者のF君」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭(のりやす)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一(よういち)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。