「エルムSを勝って一気に稼ぎたい」と考えている筈です | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



萱野浩二厩舎のルリハリ(牝2歳・父ダノンシャンティ)は、次走の予定が、9月3日(日)の小倉2歳S(小倉・芝1200m)ですね。

この馬は、7月30日(日)の新潟6R・芝1400mの新馬戦を勝っています。

レースでは、最終コーナーで仕掛けられると、前で粘っていたドリームジャンボを一気に差し切るという味のある勝ち方を見せていました。

ルリハリを管理している萱野先生は、1986年の4月に奥平真治厩舎(メジロラモーヌやメジロライアンなどを管理)で調教助手になって、そこで12年くらい馬のことを学んで、1997年に調教師の試験に受かって、次の年に自分の厩舎を開業しています。

最初の年は、出走させた頭数が少なかったので7勝止まりでしたが、2年目は9勝、3年目は12勝と、少しずつ数字を伸ばして、2002年には、ニシノハナグルマを使ったフローラSで初めての重賞勝ちを飾って、6年目だった2003年には、開業してから一番多い20勝を記録するなど、先週までにJRAで通算263勝を上げていますね。

知っている方もいると思いますが、メジロライアンを担当していた調教助手は、当時、奥平厩舎にいた萱野先生でした。

メジロライアンは、去年の3月17日(木)に29歳で亡くなりましたけど、萱野先生は、「自分にいい経験をさせてくれた馬だ」と言っていましたね。

それに萱野先生は、一昨年、有馬記念を勝ったゴールドアクターなどを管理している中川公成(ただしげ)先生に、自分の厩舎で経験を積ませていましたから、馬を育てるだけでなくて、弟子もしっかり育てているのは素晴らしいことです。

今年の萱野厩舎は、先週までで8勝して、早くも去年の勝ち星に並んでいますけど、特別レースは1回しか勝てていないので、賞金は去年の半分ぐらいですから、「重賞を勝って一気に稼ぎたい」と考えている筈です。

もちろん、さっき書いた通り、次走の予定が小倉2歳Sのルリハリは、気合いを入れて仕上げてくるでしょうね。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の高橋義忠厩舎が、エルムSに登録しているクリノスターオーについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のYさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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高橋義忠君は、2011年に調教師を引退した高橋成忠さんの息子さんですな。

成忠さんは、乗り役時代に、ヒカルポーラで1963年の天皇賞・春と宝塚記念を勝つなど、エエ成績を残しとって、シーエースで桜花賞を勝った1967年には、騎手リーディングになっとったんや。

調教師になってからも、メイショウバトラーを使った2006年のプロキオンS、メイショウサムソンを使った2007年の天皇賞・春と天皇賞・秋など、重賞を16回も勝っとりましたな。

義忠君が、調教師になろうと思うようになったんは、もちろん、親父さんが乗り役や調教師をやっとったからやけど、元々、義忠君は飛行機が好きで、大学では、経済学を学びながらパイロットを目指しとったそうや。

けど、その前に、「色々な世界を見たい」と思って親父さんに相談したら、「海外で馬を見てきたらどうや?」と勧められたんで、イギリスに行っとりましたな。

向こうでは、英語の勉強をしながら、マーク・プレスコット厩舎でたくさん馬のことを教わって、その奥深さに惹かれて「競馬の世界もエエもんやな」と思ったんが、馬の世界に進んだ一番の理由やそうですわ。

日本に戻ってからは、1994年に競馬学校の厩務員課程に入って、次の年の1月から吉岡八郎厩舎の厩務員になって、1996年の6月からは調教助手をやっとりました。

義忠君がおった頃の吉岡厩舎には、1994年の京都大障害・秋を勝ったタイヤンや、1997年の中山大障害・秋と1998年の東京障害特別・秋を勝ったケイティタイガーや、1998年の阪神障害S・秋を勝ったレガシークレストなど、障害の重賞を勝った馬が何頭もいましたな。

そんでもって、1999年の10月からは、高橋成忠厩舎の調教助手になって、調教師の試験に受かった2011年まで、ずっとそこで経験を積んどったし、その頃、親父さんの厩舎には、2001年のシンザン記念と2003年の新潟記念を勝ったダービーレグノや、さっきも書いた、メイショウバトラーやメイショウサムソンがおって、こういう走る馬を何頭も間近で見てきたんですわ。

で、義忠君は、2011年の3月に自分の厩舎を開業したんやけど、決まったんが、その年の1月半ばやったんで、開業するまでの間は、2日に一回は飛行機で北海道に行って馬を集めとりましたな。

その甲斐もあって、義忠君は1年目に、11勝を上げて1億3982万円の賞金を稼いどったし、2014年には、クリノスターオーを使った平安SとシリウスS、サンレイデュークを使った東京ハイジャンプと、重賞を3つも勝って、「31勝・獲得賞金6億2234万円」っちゅう、開業してから一番の成績を残せたんやから、きっと彼は、「今までの経験を活かせた」と喜んだんやろう。

そんで、一昨年の義忠君は、サンレイデュークを使った阪神スプリングジャンプ、クリノスターオーを使ったアンタレスS、シャトーブランシュを使ったマーメイドS、メイショウスザンナを使ったクイーンSと、重賞を4つも勝って、全体で「21勝・獲得賞金5億1177万円」っちゅう成績を残しとりました。

せやけど、去年は、重賞を1つも勝てなくて、「27勝・獲得賞金4億4458万円」っちゅう成績に終わってしもうたんで、今年の義忠君は、「必ず巻き返したい」と考えとるんでしょうな。

けど、メイショウスザンナを使った一昨年のクイーンSから、「重賞で38連敗中」やし、今年は特別レースを2つしか勝てとらんことなどが響いて、先週までの成績は、「9勝・獲得賞金2億3681万円」と、去年のペースを大きく下回っとるんで、間違いなく今は、「このままじゃアカン」と考えとる筈や。

せやから、今の彼は、「賞金の高い特別レースを勝って一気に稼ぎたい」と思っとるんやろうし、実際に今週は、1着賞金3600万円のエルムSにクリノスターオーを賞金の高い特別レースに登録しとりますんで、この馬をメイチに仕上げてくるやろう。

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クリノスターオーについて、「元調教師のYさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

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では、また次回。

小西聖一でした。