佐渡Sを勝って、「落札に要した資金を早急に回収したい」と考えている筈です | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



戸田博文厩舎のメートルダール(牡4歳・父ゼンノロブロイ)は、次走の予定が、8月13日(日)の関屋記念(新潟・芝1600m)ですね。

メートルダールは、前々走の新潟大賞典で勝ち馬のサンデーウィザードからコンマ3秒差の3着と、あと少しのところで、初めての重賞勝ちを逃してしまいましたから、きっと戸田先生は、「関屋記念は必ず勝ちたい」と考えている筈です。

メートルダールは、26日(水)にやった調教で、南ウッドに入れられて、5Fが68秒2、終いの1Fが13秒1という時計を馬なりで出していました。

アサクサゴールド(障害未勝利)をコンマ8秒追い掛けて、最後はコンマ2秒先着していましたし、デキがいい馬ならではの素軽い動きでしたから、これからの調教でもっと良くなってくるでしょうね。

メートルダールを管理している戸田先生は、東京競馬場がある府中市出身でして、お父さんの仕事の関係で、確か中学生の頃に美浦に引っ越して来ていて、江戸崎西高校に進んでから馬術部に入ると、3年生の時に滋賀国体で優勝して、茨城県から表彰されています。

そして、専修大学に進んでからも、馬術部に入って、4年生の時には、「関東学生馬術協会」の幹事長をやっていて、「全日本学生馬術大会」で団体優勝をしていますね。

大学を出てからは、大久保洋吉厩舎(1997年のオークス馬メジロドーベルなどを管理)などの調教助手として経験を積んで、2000年の3月に調教師の試験に受かって、次の年の3月に自分の厩舎を開業しました。

2006年には、キストゥヘヴンを使ったフラワーCで初めての重賞勝ちを飾ると、同じキストゥヘヴンを使った桜花賞で初めてのGI勝ちも飾っていて、その他にも、フェノーメノで2013年と2014年の天皇賞・春を勝つなど、今までに重賞を16勝していますね。

でも、先生の厩舎は、ロワジャルダンで勝った2015年のみやこSから、重賞をご無沙汰していますので、きっと今は、「久々に重賞を勝ちたい」と考えている筈です。

ずっと美浦で働いてきた私にとって、美浦の調教師が活躍することは、自分のことのように嬉しいものですから、戸田厩舎には、これからもどんどん活躍して欲しいと思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、勢司和浩厩舎が佐渡Sに使うシャドウウィザードについて、よく私に美味しい情報を教えてくれる、「馬主のYさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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シャドウウィザードを所有している飯塚知一オーナーの本業は、「JR京浜東北線・大森駅」(東京都大田区)のすぐ近くに本社を構えている、「株式会社シンコー」の代表取締役です。

1941年に創業された同社は、物流に関する様々な業務を手掛けており、現在は、東京競馬場に近い「府中営業所」や、大井競馬場に近い「東京港営業所」など、営業所と事業所を合わせて、全国11ヶ所に拠点を有しております。

また、これらの拠点の中で、「国際物流の要所」となっている「横浜事業所」は、「30トン岸壁クレーン」や、4基の「15トン天井クレーン」を備えており、敷地面積は「2640坪」という広大なものです。

更に同社は、包装資材の輸出入を手掛ける「日本ポリシール工業株式会社」や、包装梱包サービス業を手掛ける「株式会社シンコーロジテム」といった関連会社を有している上、日本企業が中国企業と取引する際の物流をサポートするため、上海に関連会社の「信广(シンコー)包装有限会社」を有しており、現在は200名以上の従業員を雇用しておりますので、代表取締役としてこれらの事業を取り仕切っている飯塚オーナーは、「非常に優秀な経営者」と言えます。

なお、馬主としての飯塚オーナーは、確か1988年からJRAで馬を走らせていて、これまでに100頭以上を所有しており、その中の代表的な存在としては、2004年の根岸Sを制したシャドウスケイプや、2007年の中山金杯と2010年の中京記念を制したシャドウゲイトや、2011年のエプソムCと毎日王冠を制したダークシャドウなどが挙げられるでしょう。

2011年には、ダークシャドウなどの活躍により、6勝を上げ、過去最高となる「2億8777万円」の賞金を獲得しておりましたが、それ以降は、
2012年→「4勝・獲得賞金1億7205万円」
2013年→「11勝・獲得賞金1億7041万円」
2014年→「9勝・獲得賞金1億7928万円」
2015年→「8勝・獲得賞金1億6753万円」
2016年→「8勝・獲得賞金1億3546万円」
と、獲得賞金が2億円を上回れない状況が続いております。

したがって、今年の飯塚オーナーは、「必ず巻き返しを果たしたい」と考えている筈であり、実際、先週までの成績は「5勝・獲得賞金」と、昨年の同時期(7月の4週目まで)の「4勝・獲得賞金5796万円」を大きく上回っておりますが、この結果に満足せず、今後も貪欲に勝利を追求してくることでしょう。

何しろ、飯塚オーナーは、直近の「競走馬セール」に於いて、
□7月10日(月)~11日(火)の「セレクトセール」
2頭を6156万円で落札
□7月18日(火)の「HBAセレクションセール」
1頭を3348万円で落札
と、総額9504万円を投じて計3頭を落札しておりますので(落札金額は全て税込表記)。

もちろん現在は、「落札に要した資金を早急に回収したい」と強く願っている筈であり、本日は、1着賞金1820万円(馬主の取り分は8割の1456万円)の佐渡Sにシャドウウィザードを出走させますので、私が飯塚オーナーの立場であれば、この馬を預けている勢司先生に対して、迷わず「渾身の勝負仕上げ」を依頼するでしょうし、元調教師の方から届いている最終追い切りについての報告が、

「26日(水)、坂路に入れられて、4Fが54秒8、終いの1Fが12秒8という時計を馬なりで出していました。今回は2ヶ月の休み明けですが、動きがキビキビしたものでしたし、追い切られた後もどっしりと落ち着いていましたので、勢司君の狙い通りに仕上がっている筈です」

という内容でした。

これらの理由から、私はこの馬を「大いに注目すべき存在」と考えております。

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シャドウウィザードについて、「馬主のYさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭(のりやす)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一(よういち)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。