函館スプリントSに込められている「地元馬主」の思惑 | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



昨日、東京の5R・2歳新馬戦(ダート1400m)では、高木登厩舎のマイネルユキツバキ(牡・父アイルハヴアナザー、母カメリアビジュ)が勝ちましたね。

レースでは、直線で一気に伸びて先頭に立つと、逃げたコスモジョーカー(2着)を4馬身も突き離す勝ちっぷりでしたから、この内容は、高木先生にとって、先の期待を膨らませるものだった筈です。

「馬主さんの孫」として育った高木先生は、小さい頃から馬と関わる機会が多くて、大学までは馬術をやっていました。

大学を卒業してからは、1988年に競馬学校の厩務員課程に入って、それから、伊藤正徳厩舎で厩務員をやって、その後は、山崎彰義厩舎と加藤征弘厩舎と浅野洋一郎厩舎で調教助手をやって経験を積んでいますね。

2006年に調教師の試験に受かると、次の年に自分の厩舎を開業しています。

そして、2014年に、マイネルフロストを使った毎日杯で初めての重賞勝ちを飾って、その後、ウインマーレライを使ったラジオNIKKEI賞で2つ目の重賞勝ちを飾って、スノードラゴンを使ったスプリンターズSで初めてのGI勝ちを飾っていて、去年は、サウンドトゥルーを使ったチャンピオンズCで、4つ目のJRA重賞勝ちを飾っているのは、皆さんもよく知っているでしょう。

それに、サウンドトゥルーを使った一昨年の東京大賞典や、ホワイトフーガを使った一昨年と去年のJBCレディスクラシックなど、地方でも重賞を勝っています。

そして、去年の高木先生は20勝を上げていましたけど、2歳の新馬戦は1つも勝っていなかったのですから、「今年は早めに新馬戦を勝ちたい」と考えて、昨日のマイネルユキツバキは、全力で仕上げていたのでしょうね。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の飯田祐史厩舎が函館スプリントSに使うホッコーサラスターについて、よく私に美味しい情報を教えてくれる、「馬主のNさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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法人馬主の「北幸商事株式会社」は、少し前まで、矢部道晃(みちあき)オーナーの名義で馬を走らせておりました。

したがって、ここでは、「北幸商事株式会社」を「矢部オーナー」と表記致します。

こちらも皆様がよくご存知の通り、矢部オーナーの本業は、「JR北海道・苫小牧駅」から1キロほどの場所にある、茶色い3階建ての矢部ビル(自社ビル)に本社を構えている、「北海土建工業株式会社」の代表取締役社長です。

矢部オーナーは、2013年の11月27日(水)に亡くなられた矢部幸一オーナーのご子息でして、幸一オーナーと言えば、生前、本業であった「北海土建工業株式会社」の取締役会長を務める傍ら、「社団法人・室蘭建設業協会」と「社団法人・苫小牧建設協会」の副会長や、「苫小牧商工会議所・建設部」の会長といった要職を務めておりましたので、「胆振・日高地区に於ける建設業界の重鎮」であったのは間違いありません。

ご子息の道晃オーナーは、日本大学経済学部の産業経営学科を卒業した後、1993年、「北海土建工業株式会社」に入社し、その後、2007年に代表取締役副社長となり、2009年には代表取締役社長に就任しました。

その後、同社は積極的に事業を推し進め、最近では、「樽前山の火山砂防工事」、「厚幌ダムの道路工事」、「安平川の改修工事」、「日高自動車道の改良工事」といった公共事業を多く手掛けるなど、順調に業績を伸ばしているようですから、お父様と同じく、道晃オーナーも「優秀な経営手腕者」と言えるでしょう。

なお、JRAの馬主として、「ホッコー」の冠名で馬を走らせていたお父様の幸一オーナーは、ダートの重賞戦線で長く活躍したホッコータルマエを筆頭に、2002年の京都ジャンプSを制したホッコーアンバーや、2009年の新潟記念を制したホッコーパドゥシャなどを所有しておりましたが、亡くなられてからは、道晃オーナーが全ての馬を引き継いでおります。

2014年の道晃オーナーは、ホッコータルマエが地方交流G1の川崎記念と東京大賞典を制した上、チャンピオンズCで「JRAでは初のGI勝利」を飾るなど、JRAで「2億9352万円」、地方で「1億4070万円」、合計で「4億3422万円」の賞金を獲得しておりました。

ただ、一昨年と去年は、
2015年→JRA:7854万円・地方:1億6768万円・計2億4622万円
2016年→JRA:6043万円・地方:1億3963万円・計2億0006万円
という「右肩下がり」の状況となっており、2年続けて2014年の数字を2億円近くも下回っております。

そのため、今年の矢部オーナーは、「キッチリ巻き返したい」と考えている筈ですが、実際、今年に入ってから先週までは、JRAで「1勝・獲得賞金が1410万円」、地方で「2勝・獲得賞金284万円」という数字に留まっているのです。

また、JRAと地方で合計10億7870万円の賞金を稼いだホッコータルマエは、昨年の11月に引退しておりますので、現在の道晃オーナーは、「その分を他の馬で穴埋めしたい」と強く願っているのでしょう。

そして今週は、1着賞金3900万円(馬主の取り分は8割の3120万円)の函館スプリントSにホッコーサラスターを出走させますので、私が道晃オーナーであれば、「何が何でもここを勝ちたい」と考え、この馬を預けている飯田先生に対して、渾身の勝負仕上げを指示するでしょう。

実際、元調教師の方から届いている最終追い切りについての報告が、

「14日(水)、レースでも乗る池添君が函館のダートコースに入れて、5Fが71秒4、終いの1Fが13秒3っちゅう時計を出しとりました。馬なりやったけど、動きがキビキビしたもんやったし、追い切った後もどっしりと落ち着いとったんで、力を出し切れる状態に仕上がっとるんやろ」

という内容でしたので、好レースが期待できると私は考えております。

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ホッコーサラスターについて、「馬主のNさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭(のりやす)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一(よういち)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。