秋葉生白 ブログ 『おかげさま』 -2ページ目

和歌を書くこと

いまさらに

山へかへるな

ほととぎす

こえのかぎりは

我がやどに鳴け

 

古今和歌集の歌はよくできていると思う

せっかく里になれたホトトギスに思いをはせているのである

音や香りや色合いまでが歌から感じられる

抑えるということはなかなか難しいもので

人間は余計なことを言わなくてもよいのに一言多く言ってみたりするものだ

NHKの解説委員の日本語の専門家と以前話をしたときに

自分が質問したことに関しては人は相手の言葉を理解しようと努力するが

相手が一方的に話したことについては人は案外聞いていないものだと言われた

これは的をついた正しい意見であると私は思う

古今和歌集に登場する人々が生きた平安時代だけでなく日本人は恥じらいや謙虚さがあることが長く美徳とされていた

大正の初期の婦人雑誌などを見ると

花見でさえ女性同士で行くものでないと書いてある

現代なら大変なことになるがこれが当たり前の時代であった

日本人の心の回帰を呼び起こし時代の美しさと余韻を理解するためにも

和歌を書くことは素晴らしいと思うのである

 

書の道を歩く

私は昔から表具をされた書や日本画を見るとすぐ先に表具を見る癖がある

これは私のきもの好きが理由かもしれないが

使われている裂の様子を見て絵にうまく合っているかなど考えてしまうのである

花柳章太郎などはさすがで書いた俳句などに見事な間道の定式幕を想像させる縞柄などを使い

軸先に根来風の塗りの軸先などを用いてまるで演舞場の舞台の彼が演じているかのような表具の取り合わせをしている

写真は北野恒富の弟子の中村貞以の作品の一部である

私は若いころからキャバレー王の福富太郎が好きだった

彼は日本画や浮世絵の大コレクターであり心中ものを描いた大正から昭和にかけての日本画の粋な作品を多く所蔵していた

北野恒富の代表作は彼の所有であり彼の美のセンスと私の好みは似ているところがあると思う

品格と美意識と頽廃が入り混じる風情とは面白いものであるがこれを表現することは大変なことである

中村貞以は二歳の頃に両手に大やけどをして手が自由ではなかったが

彼が考えた両手で筆を握って描く合掌書きは彼の並々ならぬ精進を強く感じせてくれるのである

中村貞以の絵を見るたびに己の弱さと努力のなさを強く感じるが

せめて書の道の本筋が少しでも体得できることをいつも思い自分流ながら精進している次第である

 

近藤浩一路と墨

墨の色とは不思議なもので墨に五彩ありというが

それどころか無限の色合いを持つのが墨の力である

同じ墨を用いても微妙な色合いを紙面に醸し出すことが面白い

墨は古墨のものが貴重だが中国の明や清の良い墨を使うことなど大変なことで

現在の日本や中国でもこれらを探すのは困難である

大正や昭和の初期までは中国から良い文房具を日本に売りに来る業者がいた

日本にも文人を代表する長尾雨山のような人もいたし

犬養毅のような政治家でさえも文房具に興味があった

写真は私の好きな日本画家の近藤浩一路の作品の一部である

彼は東京美術学校の西洋画のクラスで藤田嗣治や岡本太郎の父の岡本一平と同級である

彼はアンドレマルローにも称賛される画家であるが彼の底知れない力量が日本ではあまり評価されないのが残念である

国立近代美術館にある鵜飼六題などをじっと見ているといかに彼が墨色の研究をしているかがわかる

彼は明墨の状態の良いものしか使わなかった

墨は私も経験があるが膠が勝負で何百年経っても膠の良いものを使っている墨匠の墨は今も新鮮な趣がある

近藤浩一路の妹は建築家の白井晟一の妻であり昔白井晟一の書の豪華本を手に入れた感動は今も忘れない

近藤浩一路は自分の収集した墨を三井の金庫に保管していた

墨は湿度や温度の状態に敏感であるのでこれは名墨を守るのに大切なのだ

お金や金を金庫に預ける人はいるだろうが書の墨を預けた人はまずいないだろう

本当の芸術家とはそのくらい使う道具にも気を遣うものだということを私はいつも自戒しているのである