手ぬぐいに遊ぶ
いつもお話するのだが書とは決して紙だけに書くものではない
それは書の原点が獣骨や青銅や石に刻したものが起源だからである
写真の花は手ぬぐいに私の花の文字を染めたものである
これも書である
私は若いころから愛知芸大の学長だった木版画の磯見輝夫さんの作品が好きだった
この理由を今考えてみると一度版にしたものは直接肉筆で書いたものよりも優しくソフトな感じがするので
部屋に飾るにはちょうど良いのである
また拓本好きの私にはたまらない魅力を感じるのである
ご縁のあった湯島羽黒洞には多くの肉筆の浮世絵が飾ってあった
横に木村荘八の木版が何気なく飾ってあり荘八のセンスに心を奪われたことが思い出される
版画は木版にしろ石版にしろ銅版にしろ一度作品をシルクで包んだような品格が表現できる
つまり手ぬぐいの花の文字は布や染料を通すことにより柔らかさができ日常の楽しさが増すのである
今半本店の手ぬぐいも私が同じくデザインしたものだが面白かった
手ぬぐいを木の額に入れて飾るのも楽しいものである
古書の思い出
書の稽古中大切なことは参考文献をすぐ生徒に見せることができるかにある
例えば唐の時代の法帖を書家により比較すると同じ時代でもこれだけ違うのかと面白さが湧くのである
書の造形と陶器の造形が似ていたりするのを説明するだけでもこれまた楽しいものである
昔は神保町の古書店をよく訪れたものだ
何時間も歩いてミロンガに最後に立ち寄ったり李白もあったので李朝の楽しさに時間を忘れたものである
一誠堂などに立ち寄ると山本書店に行くことを忘れてしまい膨大な古書に心を奪われたものである
高橋箒庵の近世道具移動史をようやく手に入れ大切に家までたどり着いた思い出はいまも忘れない
座辺に拓本や法帖を置いて偉大なる東洋の文化に身近に接することは最高の悦びである