秋葉生白 ブログ 『おかげさま』 -3ページ目

三輪田米山の書に感じること

三輪田米山の万葉集の歌の一部である

池大雅 良寛 米山の三人の書はすごい

品格という点で三人は抜きんでている

例えばこの写真で言えば一文字目の満は偏と旁の間の大胆さと動きが微妙によくこれは次の行の一字目の難も同じで

ゆっくりした動きの中に温かさがある

スピードをつけて書くことが格好いいと思う人がいるがこれは間違いで

ゆったりとしたリズムでおおらかに筆を運ぶことが大事である

自信がなく恐る恐る書くと逆に線は流れていて軽く重厚さに欠け速く書くようになる

格好よく書くなど意味のない言葉で正確に海の波のごとくおおらかに書けばよいのである

昔のひとは胆力があったのでその点書に優れたものが多い

これから書を学ぶ人は人の目よりも自分の心に注意していただきたい

政治家では吉田茂の書はすぐれており

彼が外交で活躍した偉大さと書の力強さは共に相通じるものがあると痛感する

 

 

 

子供と書道

毎年地元の小学校に書道を教えている

この風景は筆を立てて書くことの大切さを教えている

書の本質を少しでも解れば子供は納得する

一人ひとり個性が違うのだから先生の言うことは基本の指導と道具の扱いかたぐらいで

自由に書くことが大切である

半紙からはみ出ようが墨を紙の上に垂らそうが関係ない

むしろそれが個性であり面白いのである

巨匠黒澤明が小学生の頃画用紙に色鉛筆で描いた絵を唾で直した

先生はその汚いところが良いと二重丸をつけた

これが真の指導である

彼はそのことがうれしくなり絵に夢中になり

黒沢明の絵コンテが生まれる理由になり世界のクロサワと呼ばれるようになったのである

子供の才能は無限でありその才能を伸ばすことが指導者の役割である

草間弥生やロッカクアヤコの才能を見れば純粋ほど偉大なものはなく

自由に好きにとらわれずに表現することこそ偉大なことが良く解るのである

書の著眼

私の書の生徒におけいこをする際に気が付くことは

案外生徒は先生の手本を忠実に見ないで書いてしまうことである

これは創作ならまだしも古典の臨書となるとはなはだ困ることになる

古典の名品の良いところを忠実に学ぶことが臨書の真髄なのだからよく手本を理解して書いてもらいたい

ところがこれが案外難しいようでどうしても自分流に書いてしまうのである

大工さんが家を建てる時に骨組みを適当に作られては困るように手本に同化するように先ずは文字の構築を勉強していただきたい

初学の人には特にこのポイントが必要で上の写真を見てもらうと

AとBではBの方が中の線が長く感じるが実は二本とも同じであり

両脇の矢印の方向だけで大きさが違うように見えるのである

つまり書の線は錯覚しやすいもので自分ではよく見ていても実は間違っていることが多いのである

10センチの真ん中は5センチだが書の文字の構築とはそういうものでなく

少しずれて真ん中に見えたりするものである

つまり著眼することが第一であることを忘れないでほしいと書を学ぶ方にお願いしたい

これが肝心である