七色遠景 -11ページ目

父の目線


この間から父のデジタルカメラを使っている。
親が亡くなってから、自分の写真がいっぱい撮ってあったとか、自分の映像が映っていたとか
カメラやビデオにまつわるいい話は見かけるけれど、父は生きている上に、わたしと数年来顔を合わせていないので、そんな感動的な話はまったくない。
それまで使っているデジカメが壊れたと電話で母に言ったら、
母経由で、荷物と一緒に送られて来た。
最近のデジカメは操作が簡単と勧められて買ったものの、
ビデオの時間予約も出来ない父のこと、使いこなせなくて諦めたものらしい。
それでも撮るだけは出来たようで
カメラに映っていたのは、父のよく知る世界。
すべて父の目線の
故郷の市役所、堂々と撮ったと思われる故郷の街角を歩く人たち、
許可は取ったのか疑わしい、ラーメン屋の頑固そうなおじさんが店の中から睨みつけている顔、
もうずっと会っていない、父の唯一の友達の実家の老いた猫。
懐かしくて、不思議な光景。
そこには、わたしはいない。母もいない。
同じ光景のまったく別の世界がある。そんなSF小説を思い出す。
父だけが歩く街。父だけが住んでいる家。
その世界はパラレルで、それぞれに秩序があり、わたしの住む瓜二つの世界と決して交わることはなく、わたしはそこに行けなくて、老いた猫だけが行ったり来たり出来る、なんて。


わたしが日帰りの京都で、そのデジカメ初の出番で、慣れないながらも写真を撮って、小さなモニターで友達にプレビュー画面を見せる時に、ボタンを連打しすぎてその写真まで遡ってしまった。
大手の電器店のお兄さん。派手な店内にスーツ姿。
ちょっとすっきりした感じのイケメン風。
父が電器店で、店員にひとつひとつ教わりながら、撮影の練習をしてみたのだろう。
「これ誰よ?」
と男友達に突っ込まれて、わたしは
「お父さんが撮ったの…」
と、上擦った声で答えた。
普段、父親の話もしないのに、唐突なのが物凄く嘘くさい。
ラーメン屋のおじさんの写真なら、見られてもよかったのに。

拡散


もうしばらく傍にいて
この漆黒の川を渡るまで
何も囚われず 何も見せ合わず
澱が淀むように その上辺が透明に拡がるように
あなたは何もしなくていい
今まで通りで
そうそのままでいいから

わたしに失うものなどもう何もないはずなのに
少しずつポケットの小銭が歩くたびに響くように
何かがちょっとだけ重たいの
重たくて でも不幸なんじゃない
未来もない 現在すらない
過去ももちろんない
何もないはずなのに
何かがちょっとだけ重なるの
重なって でも実感はない
あなたの背中に乗せた
わたしの少し焼けた手の甲を見た 白い朝に
わたし自身が
強くなったのか
弱くなったのか
まだ今は解らない
微熱もすっかり下がって 
青白く冷たい頬を鏡で見て
除湿だけの効きの悪いクーラーの下で
素足を投げ出して
携帯電話を開いて閉じて また眠る

青い鳥


また 青い鳥でないことを
見破られました

羽根の隅々まで青い嘘を塗って
また 違う家の周りを飛んでみます
きっと不憫に思った
あなたのように優しい人が
わたしを部屋の中に入れて
手厚いもてなしをしてくれるでしょう
木の実と寝床の巣と懐かしい温もりをくれるでしょう
その代わり
わたしから希望を望むでしょう
でも わたしは希望をあげられません
実は青い鳥ではないのです


あなたの目の前で鳴いてみせても
部屋の中を旋回しても
羽根をたたんで寄り添っても
あなたの希望にはなり得ませんでした
あなたはただ 部屋の窓から遠くを見ていました


そしてまた
わたしを拾った誰かに
家の外に放られて
宛てもなく飛んでいきます
青い羽根の色は
雨に流され溶けてゆきます
汚い羽根があらわになってゆきます
雨は嘘っぽい水色です
絵の具で塗ったような
誇張された水色の雫になります
あなたは
そんな わかりやすい水色が好きだったのです

また 青い鳥になれませんでした

赤頭巾ちゃん気をつけて


生意気なあの子と喧嘩した後
ちょっと気まずい沈黙が訪れて、一人でシャワーを浴びて
赤い(正確にはピンクの)バスタオルを頭に乗せて髪を乾かすわたしに
「赤頭巾ちゃんだ」
と、無邪気に笑って彼は言った。
まだ大学生だった彼とはよく口論になった。
「モラトリアムだね」
「うんそうモラトリアム」
また反論するかと思ったら、さらりと言った。
モラトリアムという言葉があるおかげで、彼は心に抱えたものに名前が付いて、
すっきりしているようだった。
それでもわたしはすっきりせずに、別れてしまったのだけど。
「年上って感じがしない。もっと包容力があってもいい」
女性に包容力を求めるのが、今時の子なんだなあと思う。
物分かりのいい年上の女を演じるのには無理がある。
彼から見れば、わたしの年齢はもう迷ったりせず、
人生に降りかかるさまざまな事柄を達観しなければならないらしい。
"大人の女"より"モラトリアムな少年"のほうが得な役だ。
替わってほしいくらい。
モラトリアムという言葉が許される年齢がある。
わたしの抱えたものにどんな言葉が当てはまるのかと思うけど、
下手にこれっていう言葉がないほうが、面白いかもしれない。

それからバスタオルを被った自分の姿を不意に鏡で見る度に、何となく彼のことを思い出すけれど、
携帯メールだけで別れ、胸が痛むような感傷がないのは、
今時のドライな恋に、わたしのほうが巻き込まれてしまった気がする。
少し怖い。


サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」から、こういう青春小説にはまった時期がありました。わたしの学生時代。



著者: 庄司 薫
タイトル: 赤頭巾ちゃん気をつけて


向かいのビルの壁とこのビルの壁
垂直
その間の通りの坂はダーツの矢のように人が並ぶのに
平行は無視して垂直
距離感がなくなる遠い壁が
窓に張り付く
手を伸ばせば掌ごと壁につくような
向かいのビルの窓ガラスもゲームのブロック
並べて崩す並べて崩す
壁だらけ向かいのビルの窓から
一本の草が伸びる
こちらに向かって伸びる
太陽なんてないのに
蔓が伸びてきて伸びてきて

するするとするすると

天じゃないのに
こっちは天じゃないのに
わたしの部屋の窓に張り付いて
蕾が花弁をガラス窓に押し付けるようにくしゃくしゃに窓に張り付く

窓ガラスのこちら側のわたしの体まで伸びてきて

するするとするすると

寸前で
花は 止まって咲く