バレンタインデー
数年前、二つ年上の片思いの人にチョコレートをあげた。
その日は、その片思いの人が、わたしと友人のために、合コンをセッティングしてくれた場所だった。
気の弱いわたしは、彼だけに本命チョコをあげるのがはばかられ
合コン相手三人分の、大きなミルクの樽のようなチョコレートをあげた。
まるでアルプスの少女のような印象の白い陶器のボトル。
チロリアンテープが蓋に巻いてあって可愛いそれを、片思いの人は、本当に軽く受け取った。
彼がわたしに気がないことは、この状況をどう見ても明らかだった。
話を聞くと、もう彼には彼女が出来ていた。
彼によく似合うしっかり者の彼女のようだった。
酔った彼は「看護婦だから」と何度も連呼していた。
看護婦さんと付き合うってことは、男性としては自慢なのかも知れない。
カシスサワーを飲みながらぼんやり考えていた。
彼はわたしとは正反対の女性を選んだのだ。
後輩を連れてきたせいか、彼女が出来たばかりだからか、彼はわたしと二人で遊んだ時と態度が全く違っていた。
飲んでカラオケに行って解散した後で、乗った終電が一つ前の駅止まりだった。
一駅歩いていくか。
合コン用の窮屈なイタリア製の靴が痛い。
「乗っていかない?仕事で使ってるんだけど」
ワゴンに乗っている小太りな中年男性が声をかけた。
わたしは振られたショックと、酔いも手伝って、その車に乗せてもらうことにした。
いつもはフィリピンパブのホステスの送り迎えだという。
わたしは残っていた、最後の一つの純白のチョコレートの瓶を、そのおじさんにあげた。にこにこ喜んでくれた。
人のいいおじさんという感じで、
昼はフレンチのコックをしていて、それが本業で、これはアルバイトなんだとしきりに言っていた。
家族は四人で、小学生と中学生の男の子と女の子がいるんだ、と。
わたしは父親に愛された記憶がないから、
優しいパパって、ただそれだけで、おっきくてふわふわのテディベアみたいに見えた。
チョコあげられてよかったなぁ、なんて思っていた。
「彼氏とバレンタインデー過ごした帰り?」
「いえいえ、そんなものいませんよ」
ヤケ気味で車に乗っちゃったけど、こういう小さな一期一会も楽しいものかな、
と丸い顔のおじさんと、窓を流れる夜景を見ていた時、降りる場所にわたしが指定した大通りの前で
「ここ寄って行かない?」
と、ラブホテルの前で徐行した。
「いいです」
「いやぁ、冗談冗談」
一瞬、沈黙が訪れた。
おじさんは優しいパパを演じきることを放棄してしまったんだ。
わたしはワゴンから降りてぺこりと頭を下げて、
最後まで屈託ない女の子を演じきった。
わたしは暗い部屋の明かりを点けて
行きにはま白いチョコの瓶の沢山詰められていた、
からっぽの袋をゴミ箱に捨てた。
疲れてそのままベッドに横たわり目を瞑ると
小学六年生のバレンタインデーに、どうしてもチョコレートをあげられなかった、初恋の男の子のことを思い出した。
色白でそばかすのある睫毛の長い少年。瞳は茶色くアーモンドのよう。
「チョコレート持って来てないよな?」
「・・・・・・うん」
少年は校門まで走っていった。わたしは鞄の中のチョコを出せないでそれを見送った。
そのアングルを瞼を閉じても思い出せる。
校舎の角度、彼の影、校門の景色。
思い出が綺麗なんじゃない、
汚れてしまったんだ、わたしのほうが。
【トラバ企画】バレンタインチョコレートに参加させていただきます。
花と日曜日
フリージアを見ても 涙が出ない
ラベンダーを見ても 近づきたくならない
スズランを見ても 揺らしたくならない
ダリアを見ても 苛立たない
白百合を見ても 怖くない
マリーゴールドを見ても 壊したくならない
向日葵を見ても 燃やしたくならない
とても 平和な 日曜日
わたしから 花が消えるたびに
わたしは 痛みから解放される
そして 喪失する
すべての日曜日
夏の日の1993
最近、"夏の日の1993"という歌をテレビで"あの人は今"的に、classのお二人が歌っているのを聴いて、頭からすっかり離れなくなった。
わたしのことを好きでいてくれたN君のこと。
クリスマス当日に、わたしは都合よく彼を呼び出して
恋人たちで溢れかえるデコレーションされた渋谷の街を歩き
大きな赤いリボンのかけられた109を通り
東急ハンズで、アメリカのデザインのアルミケースに入った腕時計をもらった。
居酒屋で向かいに座った彼に煙草を勧められて
ちょっと吸ったわたしの慣れない指先に気づいて
「吸えないんなら無理するな」
と笑った。
その前日のイヴに振られたことも、
話をするとわたしが自分を追い詰めてしまうのが分かっていて
「もうするなよ」
と止めた。
今思えば、わたしの自虐的な話をする悪い癖を途中で止めてくれたのは、
後にも先にも、彼だけだった。
カラオケボックスで、N君は、"夏の日の1993"が好きだと言って歌っていた。
モニターの歌詞を読んで、わたしに歌ってくれているのが分かった。
N君は、いかにも異性を感じさせない雰囲気の
将来マイホームパパになりそうなまじめで優しいタイプだったのだけど、
意外にも、元風俗嬢の女の子と同棲していたことがあったという。
ある夜、その女の子は、泣きながら、彼に風俗嬢だったことを告白した。
彼はそれを受け入れて、それでもそれからも一緒に住んだ。
彼女は、そのうち、傷が癒えた鳥のように他の男性の元に飛び立ってしまった。
その女の子と同棲を始めた時は、彼女が風俗で働いていたことを知らなかったけれど、どこかしら、N君が放っておけないところがあったのだと思う。
N君は情がバケツの水が溢れるように、自分でもコントロールできないくらいに深いから、
女の子の背負っている影とかそういうものにとっても敏感で、
ある意味で、ちょっと意地悪な言い方をすれば
同情が恋心に変わりやすい人だったのかもしれない。
N君の目に、当時のわたしはどう映っていたのだろう?
その過去を隠していた女の子と似たような孤独を感じとっていたのだろうか。
わたしはそれから、N君にあれだけ優しくしてもらったのに、
電話の次の約束もあれこれ言い訳しながら断り、
それから、二度と会うことはなかった。
その元風俗嬢の彼女は、何だったか具体的なことは忘れたのだけれど、洗濯機のかけ方が独特らしくて、わたしは勝手に、
髪のちょっと痛んだ茶髪のロングウェーブの華奢な女の子が、彼と同棲している狭いアパートで
洗濯機の中の洗濯物がぐるぐる回っているのを覗きこむようにぼうっと見つめている
そんな姿を想像してみたりした。
今でも、たまにこうしてN君のことを思い出す時は、それと同時に、
自分で見たかのように、N君のところで羽を休めた女の子が洗濯機をかける姿を想像する。
どこまでも優しく慈しみ自分を受け入れてくれる人、
その人が働きに出ている間の、静かで平和な陽だまりの昼下がり。
過去を捨てた女の子が、汚れたシャツを洗濯機に入れて、まっ白になるまで、ぐるぐる回す。
わたしは彼女と一緒にされているのが
嫌なわけではなかった。なかったんだけど
彼女と同じように、彼で羽を休めたくなかった。
そして、わたしの孤独を見透かす彼が、慈悲深くても、一緒にいるのが辛かった。
自分を見透かせる人と一緒に居るのは、心の奥まで手が届きすぎて、
時に残酷で、痛い。
きっとその女の子も、ただ彼の元で羽を休めたかったからという理由で
飛び立ったのではなかったも知れない。
N君は今も優しく、元気にしているかな。
"いきなり恋してしまったよ"
("夏の日の1993"より)
アーティスト: class, 松本一起, 富田素弘
タイトル: 夏の日の1993~2003 up to date session~
こぶたの町
その草原はとてもひろかったけれど
ひとりぼっちのこぶたは さびしかった
鳥や虫とはおはなしが出来ないから
おはなしが出来るおともだちがほしかった
こぶたはある夜
いちばん星に
ちいさなひづめの手をあわせ
ひとりぼっちじゃなくなりますように
とお願いした
すると
世界じゅうのうまれたてのこぶたが
ひろい草原にあつまった
あおい草原は見る見るうちに
こぶたのピンク色でいっぱいになった
ぎっしりぎっしり
ぶひぶひぶひぶひ
まるでピンクの波のよう
こぶたのおともだちはいっぱい出来たけれど
こぶたはそれでもさびしかった
こぶたはママに会いたいと
ぶうぶうぶうぶう泣いていた
こぶたはある夜
いちばん星に
ちいさなひづめの手をあわせ
はなればなれになったママに会えますように
とお願いした
すると
世界じゅうのママぶたが
おおきな森にあつまった
今度は森の中がぶただらけになった
ぎっしりぎっしり
ぶひぶひぶひぶひ
まるでピンクの海のよう
こぶたはママを探そうにも
ぎっしり並んだぶたたちにうずもれた
こぶたはぶうぶう泣くけれど
みんながぶうぶう泣きすぎて
ママには声がとどかない
その時 こぶたは思い出した
ママはアネモネの花が好きだった
こぶたは
ぶた一ぴきいない山まで
ひとりですこしずつのぼって
赤いアネモネの花をさがした
もしもアネモネの花を見つけて
頭に飾れば
きっとママが
ぎっしりぎっしりのぶたの波から
探し出してくれるから
けれどアネモネの花は見つからなかった
こぶたがあきらめかけたとき
まっ赤なアネモネの咲くお花畑を
遠くに見つけた
そのそばに揺れる なつかしいピンクのすがた
こぶたのママはほほえんだ
こぶたもほほえんだ
ママはこぶたがアネモネを
きっと探すと知っていて
先にアネモネのもとで
いくつもの夜を過ごしていた
こぶたはこぶたのママと
おおきなひづめの手とちいさなひづめの手をつなぎ
アネモネの花束を抱えて
草原に帰った
あんなにぎっしりだったぶたたちの波は
いつのまにか なくなって
たくさんの赤れんがの家が並んでいた
そこには
めぐりあったぶたのおやこたちが作った
ぶたの町が出来ていた
こぶたはママといっしょに
庭にたくさんアネモネの花の咲く
おうちを作った
こぶたはとってもしあわせだから
いちばん星に
ちいさなひづめの手をあわせ
ありがとう
とささやいて
ママといっしょに眠った
月夜の窓辺の
アネモネの花は
ほほえむようにちいさく揺れた
いつもお世話になっている
「笑いの絶えない育児をしよう」のモネっち へ送ります。
白い時間
過ぎた時だけが
なにもないわたしを背中から抱きしめる
この世界には終わりがあるの
と問うたなら
もう終わっているよ
と答えた
この世界は白いまま
あれからずっと白いまま
この手に掬えるものは すべて過去の泉
掌の体温に溶けて白い砂になる
暗闇に臥して見る夢は いつも天然色
現実はいつもモノクロ
白い時間はいつまでも
白い世界にわたしを閉じ込めて
色付きの世界に
帰してくれない
今日も白い太陽 白い人の群れ 白い嘘
今夜もまた煌びやかな夢だけで生きる
万華鏡模様の熱帯魚
夢という水槽の中
回想だけは古びたビデオテープ
擦り切れて画面はノイズだらけ
色つきの世界は もうビデオでしか観られない
不意に訪れる 胸を掻き毟るような回想ですら
白い今は
もう 何の痛みもない
白い時間はいつまでも
白い世界にわたしを閉じ込めて
色付きの世界に
帰してくれない
今日も白い月 白い街角 白い劣情
今夜もまた煌びやかな夢だけで生きる
万華鏡模様の熱帯魚
夢という水槽の中
小さな寝息