エリック・クラプトン 80’s | Get Up And Go !

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クラプトンの近況としては、現在恒例のロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール・コンサートの最中にあります (5月13,15,17日)。クラプトンと言えば、武道館とともにやはりロイヤル・アルバート・ホール! 以前、弾丸ツアーのような形でもいいから、と考えてイギリス行きを計画したこともあるのですが、仕事スケジュールにより断念。でもまだ諦めていないぞと。 あのお勤めをしない限り、クラプトン・ファンとしての金バッジをもらえないのではないかと。 すいません、いきなり余談です。 (,_,*)

今回は4月2日の記事の続きです。< 4/2 記事 → > 80年代のエリック・クラプトンについてを、僕個人の 「80年代クラプトン観」 と共に、大雑把にポイントだけを取りあげてまとめてみました。「あれがない! これも入れとけよ!」 と思われた方は、コメントで披露して頂ければ幸いです。





80年代最初のアルバムは、81年リリースの 『ANOTHER TICKET』。 70年代は、レイドバックと言われる、アメリカのルーツに根差した緩めの音楽を指向していたクラプトンも、80年代を意識してのことなのか、あるいは自然のことなのか、いきなり変化します。

カール・レイドルという、デラニー & ボニー & フレンズの時代から "レイドバック " クラプトンを支えてきたアメリカ人メンバーを、クラプトンは解雇するんですね。 で、すべてイギリス人で揃えたメンバーによって、『ANOTHER TICKET』 を録音します。
アルバート・リー (g)、ゲイリー・ブルッカー (key)、ヘンリー・スピネッッティ (ds)、デイヴ・マーキー (bass)、そして4月の来日公演にもメンバーとして帯同し、現在もクラプトンを支えるひとりであるクリス・ステイトン (key)。

このアルバムは、クラプトンの全作品中でも好きなアルバムのひとつです。70年代の、アメリカン・ミュージックに染まり切ろうとしていたクラプトンも好きなのですが、どこかに借り物のように思える所もあったんですよね。 『ANOTHER TICKET』 には何と言うか、アメリカ人とは違う温度を強く感じるというか。 ギターソロなどにはどこかヒンヤリした感触を覚えるというか。 やはりイギリス人なんですよ。

70年代にアメリカの音楽を十分に吸収したクラプトンが、自らの資質である英国性と折衷させ、イギリスの仲間たちと気兼ねなく作り上げたアルバム。 ブリティシュ・ブルース・マン、エリック・クラプトンらしいアルバムに思えるのですが。




ERIC CLAPTON / Floating Bridge (1981)
1940年代の古いブルース・ナンバー。 ギター・ソロの量が多いのも『ANOTHER TICKETS』 の特徴のひとつです。


80年代は 『ANOTHER TICKETS』 のような音楽で行くのかと思いきや、次の 『MONEY AND CIGARETTES』 では、メンバーの多くがアメリカ人ミュージシャンとなり、音のほうもコマーシャルなものとなります。 この時点ですでに "レイドバック" からはかなり離れた作風になっています。

そして 『BEHIND THE SUN』 (1986)、『AUGUST』 (1986) と、2枚続けてフィル・コリンズがプロデュースを担当。 フィル・コリンズという名前を聞いた時点で凄く違和感がありました。 2枚とも商業的にはまずまず売れたアルバムです。 ですが個人的には、この頃のアルバムは現在でも最も聴かないクラプトンのアルバムです。




ERIC CLAPTON / Foreverman (1986)
クラプトンにとっては初めてのクリップ映像。 葛藤もあったでしょう。でもこの曲は大ヒット。 この曲 (クリップ) でクラプトンを知ったと言う人も実は多いらしい。


アメリカで、映像付きの音楽 「MTV」 がテレビ放送開始となったのが82年。 あっという間にそれは主流となり、また流行りの音楽もカラフルなエレクトロ・ポップ、ダンス・ミュージック、あるいはLAメタルのブームも後に訪れて、クラプトンのようなブルースを根に持つ渋めのロック・ミュージシャンたちは、この時代みんな業界での生存の危機を迎えていたんですね。

大物であるはずのエリック・クラプトンも例外ではなく、レコード会社からは 「もっと売れる曲を作れ」 と、すでに録音されたテープを却下されたりもして。 屈辱であったはずです。 クラプトンのアルバムに TOTO のメンバーなんて、まったく嘘みたいにも思えます。

このあたりのアルバムは、いかにも80年代のサウンドなのですが、クラプトンにしてみたらシンセサイザーに詳しいフィル・コリンズの力を借りて、なんとかこの冬の時代を乗り切ろうと奮闘していたわけです。






1987年12月、エリック・クラプトンのライヴに初めて行きました。 もちろん日本武道館です。70年代から好きであったし、ギターの勉強の教材として随分とコピーさせてもらっていたのに、ちょっと遅いですよね。

「クラプトン、今 酒も抜けてライヴ良くなっているらしいよ」 と友人に誘われて行くことになったのです。 この時のライヴは、ギターも歌も冴えていて本当に良かったんですよ。オープニング・アクトがロバート・クレイ・バンドでしたが、初めて聴く若手ブルースマン、クレイのギターもまた素晴らしかったのです。 因みにこの時のライヴ、すぐ後ろの席に柳ジョージがいて、とても機嫌が良かったのを憶えています (少し酒が入っていたかも)。

クラプトンはクレイのプレイに刺激を受けたようで、それで前座に据えたわけです。 ライヴの最後には共演もし、ソロの交歓もしていました。おそらくこの時期のクラプトンは、ロバート・クレイやスティービー・レイ・ヴォーン等から刺激を受け、再びブルースへの情熱に火が点いたのではないかと思います。インタビューなどでもふたりの名前をよく出していましたからね。




ERIC CLAPTON & ROBERT CLAY / Old Love (1989 TV・Live)
ふたりのギターの掛け合いが素晴らしい! この時代のクラプトン先生はいつもスーツで決めています。 ヴェルサーチが多かったようです。 髪形に関しては賛否あったようですが (^o^;)


ロバート・クレイとは、89年のアルバム 『JOURNEYMAN』 で共演。 それ以後、90年代のクラプトンのライヴでは最重要曲となる 「Old Love」 を、ふたりの共作曲として発表しています。『JOURNEYMAN』には 「職人」 「熟練労働者」 の意味があります。 ここで何かを吹っ切ったのでしょう。 それは作品からも感じられます。 クラプトンにとってもお気に入りのアルバムとかで、4月の武道館公演ではアルバムから3曲演奏されていました。

"A Change Is Gonna Come". 変化は再び訪れたわけです。 そしてあらたな黄金時代となる90年代へ。

つづく ( ^o^)v