
昨日4月1日は 「新元号まつり」 でした。
令和 ー レイワ ー レイラ。 新元号と語感が似ているという理由から、エリック・クラプトンがネット上でトレンドにあがっているのだそうです。
そんなアホみたいなことは置いといて、間もなく来日するクラプトン先生、3月30日に74歳となりました。
通算22回目となる来日公演です。 クラプトンについて少しばかりつっ込んだ内容で記事にしてみたいと思います。 「クラプトン・アプローチ」 というタイトルにはいくつかの意味を込めたつもりですが、それは皆様がそれぞれに意味づけしていただくということで。 アンチの方には、読まないことを薦めます。
ギターと言う楽器に興味を持ち、自分でも弾き始めた中学生時代以来、クラプトンはもうずっと好きです。 他にはロリー・ギャラガーとかジョニー・ウインターとか、やはりブルースを根っこに持つギタリストが好きなんですね。 クラプトンの場合は、その時々の想いを詩にして吐露するように歌うシンガー・ソングライター的な側面も強いわけで、そういった所にも魅かれます。
それに加えて、煙草をギターネックのとこに引っかけカッコつけて弾く姿とか、その時の流行や自分の興味に対して正直に反応してコロコロと髪形やファッションを変えてしまう姿勢であるとか、あるいはズバリ "顔" とかね。 ヴィジュアル的にも魅かれるんですよ。 女性ファンには特にそういう人多いんじゃないですかね。
髪形・服装のコンセプトは様々ですね。 60年代はサイケデリック、70年代はアメリカン・カジュアル。ヴェルサーチやアルマーニで決めていた時代もあるし。 その時々の音楽的興味や心境と連動していたようで、わかりやすい人なんですよね。 ただ、車体の装飾は変わっても、アーティストとしての自分を突き動かす動力部分は、一貫してブルースという音楽であったと思います。
JOHN MAYALL & THE BLUES BREAKERS / Hideaway (1966)
クリーム以前の1966年に、すでにレスポールとマーシャルによる黄金のコンビネーションは完成しています。ここでのクラプトンの演奏には、混じりっ気のない凄さがあります。
クラプトンの音楽の歴史の中でのもっとも大きな変化は、60年代末からのアメリカに渡っての活動時代でしょう。 即興演奏を中心にした、クリームでのエゴのぶつかり合いに嫌気がさしたクラプトンは、69年にクリームを解散させ、スティーヴ・ウィンウッド等とスーパーグループ、ブラインド・フェイスを結成します。
ですが、これも投げ出してデラニー & ボニーのコンサート・ツアーにいちギタリストとして参加してしまいます。 誘われたのに放置されたスティーヴ・ウィンウッドは、目が点の状態であったはずです。

ザ・バンドやデラニー & ボニーのような、アメリカのルーツ・ミュージックを土台にしたゆったりとしたロックに憧れてしまったのだそうです。今まで主役を張っていた人間が 「ボク、脇役のほうがいいんだもんね」 と、バックに徹してのツアー参加です。
イギリス人であるクラプトンにしたら、子供の頃からブルースやカントリーなどを聴いて育ち、それらが血肉化しているアメリカ人ミュージシャンに対してのコンプレックスもあったろうし、それを克服したいという思いもあってのツアー参加であったと思います。
DELANEY & BONIIE with ERIC CLAPTON / Poor Elijah (1969)
生粋のアメリカン・ミュージックに浸かった後、デラニー & ボニーの協力のもと、ソロ・アルバムを制作。 デレク & ドミノスと続き、70年代のレイドバック期に入るわけです。
ところで、僕がクラプトンを聴き始めた70年代半ば頃、すでにクラプトン批判というのを多く聞いたり、読んだりしました。「クリームの頃は良かったけど、今のクラプトンはダメだ」 というやつです。 僕がいつもレコードを買っていた店の店員で10歳ぐらい上のロック兄ちゃんも、クラプトンの話になると「もう一度レスポールを持ってくれないかなぁ。もっと弾きまくってほしいんだよなぁ」 と言っていたのをよく憶えています。
チャーって、以前はクラプトンの崇拝者だったのに、今はかなり批判的でしょ。 やっぱりクリーム時代を基準に置いてしまう所があると思うんですよね。 批判というより 「こう弾いてほしい」 と言う願望もあるわけで、これは理解できます。90年代の 『アンプラグド』 のヒットの後に増殖した、鼻くそみたいなアンチとは質が違うんですよ。
90年代、ブルースセッションに行くと、「俺はクラプトンなんか認めない」 みたいな、偉そうな奴によく出くわしましたよ。クラプトンの目くそほどにもならないヘナチョコなのに、その滑稽さを客観視できないわけです。クラプトンは顔もいいし、ヒガミもあるんじゃないですかね。
ERIC CLAPTON & THE BAND / Fuether On Up The Road (1978)
ロビー・ロバートソンとのギターの対比が面白い!
ところでところで、僕が初めて動くクラプトンを観たのは、高校時代に映画館で観た 『ラスト・ワルツ』 の中でのプレイです。 ギターを毎日必死で練習していた小僧にとっては、淀みなく流れるクラプトンのプレイは衝撃的でした。
レイドバックと言うけど違うんじゃない? 何、このスリリングなプレイは! ってな感じだったでしょうか。 ギターこそレスポールからストラトキャスターに変わり軽い音にはなったけれど、ブルースブレイカーズの 「Hideaway」と変わらないテンションじゃないか! ってね。
憧れのザ・バンドとの共演でもあるし、ハイテンションとなってしまったのか。リラックスした枯れた音楽に憧れていながらも、自らの資質はそことは少し違う所にあるわけで、そこでクラプトンはまた苦悩してしまうんですね。 でもそんなクラプトンを、僕は好きなのですが。
かなり大雑把な、60年代から70年代のクラプトンについて、になってしまいました。 80年代に入ると、クラプトンのスタイルもまた違ってきますが、長くなるので次の機会に。
最後に。 時代はずっと飛んで、2016年のアルバム 『I STILL DO』からの 「I'll Be Alright」 と言う曲を。 古いゴスペル・ソングです。
"私は大丈夫、乗り越えていくだろう" と歌っています。 現在のクラプトンの到達点、というか境地ですかね。
クラプトンもいろいろとありましたからね。
ERIC CLAPTON / I'll Be Alright (2016)
3本線ジャージ! 2016年の来日公演のステージ衣装。 現在のコンセプトは、年金じいさんの部屋着です。
