とらわれた天使の歌声 -13ページ目

ゼノ話 その5


とらわれた天使の歌声


EP4話に戻ります。


ソフィアは何故特攻を選んだのか?


単純に考えてみると

現状劣勢の戦局を打破するため ですね。


すなわち、ソラリス軍のメルカバーの投入、及びシェバトの裏切りにより圧倒的不利な状況に陥ったニサンを救うためということになります。


しかしこれをもうちょっと深く考えてみると「とどのつまり(接触者たる)ラカンを守るため」と言えるのではないでしょうか。言いかえればこれはすなわち「接触者に対する対存在の本来的行動」といえるでしょうね。


しかしまあ、これだけで済ましてしまうと、なーんだそうなんかーってな味もそっけもない事になっちゃうわけですがそれじゃあやっぱりおもしろくない。


では、ソフィア自身の「こころの内」ははたしてどうだったんでしょう。



ニサン正教内の権力闘争の犠牲者、望まざるままに大教母として祭りあげられたソフィア。


自らが望みもしないのに人々は彼女を(ある意味)神とあがめるわけで、彼女の本当の気持ちとは裏腹に本来的には彼女のパーソナルとは相反する立場に追いやられていくという彼女には耐えがたい苦しみ。そしてまた、自分を守るために血肉を洗う醜い権力争いの中でたくさんの親しい人達が犠牲になっていくを目の当たりにしたソフィアがとった行動は自分の心を「モノクロームにする」ということでした。


でも、しばらくしてカレルレンやラカンを始め、「仲間」たちとの出会いがあって、その出会いが彼女をその苦しみから解放するとともに彼女を本来的な「大教母」としての器にふさわしい姿に成長させていくわけです。


そして彼女はここでようやく、彼女本来の「こころの色」を取り戻しますが、それは以前あった「こころの姿」ではなく、彼女の中に「本来の私(わたくし)としてのソフィアのこころ」と「ニサンの長たる大教母としてのソフィアのこころ」という二面的乖離性を生み出していくことになります。そしてその結果、彼女はその「ふたつのこころ」の狭間の中でまた新たなる苦しみを味わうことになります。


そんな中、ソフィア自身が救いを求めたのはやはりラカンなのでしょう。


彼女が本当に望んでいたのはおそらくは「本来的な彼女自身のこころの姿でありたい」ということだと思います。


アシェラ修道院にいたころの、ラカンと初めて出会った頃のこころの姿。ですね。


ラカンと一緒にあれば「あの頃の自分」でいることができる・・・だからこそソフィアはラカンに救いを求めたわけで・・・


いかんせんラカン自身は彼女のこころをあの頃の姿に戻すことはできなかったのでした。


その理由は明白ですね。


ラカンはソフィアの事を「大教母ソフィア」としか見れなかったから。いや、見る「勇気」がなかったから。


ラカンに同情するわけじゃないですけど、男の立場からすりゃ仕方ないといえば仕方ない。でも、情けないっちゃあ情けないともいえなくはありません。まあ、ネガティブを絵に描いたような彼(これは歴代の接触者のパーソナルなのですけど)なら仕方ないのでしょうが彼自身はあとで「とんでもなく」後悔するわけです。


思うに、ラカンと二人きりの時なんか、ソフィアはおそらくラカンに「大胆」にせまったんじゃあないでしょうか。


ある意味、彼女は本当に「必死」でしたでしょうからね。


それはいやがおうなく彼女のを取り囲む「事象」がどんどん本来的な彼女の「対存在として役割」(それと大教母としての役割)を果たすべく変異していくわけで、彼女のまわりの状況は彼女が本当に望んでいた方向とは反対の方向へ向かいつつどんどん彼女をとりこんでいくように・・・そういう風に物語は進んでいってしまいますから。


そんな時空の流れの中で、彼女自身、少しでも本来的な自分の姿に忠実にありたい、すなわち彼女自身の自分の気持ちに素直でありたい、というそういった強い「想い(願い)」がラカンに対する彼女の行動を大胆にさせたと想像しても決して違和感はないと思います(まあ、それは逆にラカン自身をますます追い込むことになるんでしょうけど)


まあ、こういった妄想はゼノギアスというコアな物語の真骨頂ですかね。



そんなこんなで、いろいろあるわけですが結局最後、彼女は「あきらめ」ます。


それは決して「失望」じゃないでしょう。


自分は思います。


彼女自身はラカンを本当に愛していたのでしょうから・・・


ラカンの気持ちを思ってこその決断。なのでしょう。



そして彼女は再びこころの色をモノクロームに染め、ひとり、メルカバーへと向かいます。



彼女が特攻をえらんだもうひとつの理由・・・それは彼女の中の「すべて」をリセットしたかったから。



そう考えるとなんか、切ないですね。