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 日本はまだまだ大丈夫!

070225
『Heavy 'n Jazz』 / Jaco Pastorius

ジャコが亡くなったのは1987年9月21日。このCDは、その9ヶ月前(1986年12月)にイタリアのローマで行われたライブが収められている。
のっけから、ジミヘンばりに歪ませたサウンドでハーモニックスを連打するジャコ。彼はいったいどこへ行こうとしていたのだろうか?

彼は晩年「俺はジミ・ヘンドリックスの生まれ変わりだ」と言っていたらしく、このライブでも「パープル・ヘイズ」を演ったりしている。

ギターはビレリ・ラグレー
ドラムはフランス人のセルジュ・ブリンゴルフ
iZa(02/22 20:47)
「「ネットイナゴ」がふさわしい」
 ネットにはマスメディアに対する不信が充満している。小紙をはじめこのところメディア各社で相次いだ不祥事は、その傾向にますます拍車をかけた格好だ。
 その一方で、メディア側からの反撃と言うべきか、ネットの「闇」に焦点を当てた記事の増加も目立つ。いくつかの「炎上」や「祭り」は事件として取り上げられ、「匿名 群がる悪意」「ネット右翼」といった見出しが紙面に躍った。
 ただこれらの批判は、ネットでは今ひとつピントの外れたものとしてとらえられているようだ。取材の一面性、結論先にありき臭…反論はさまざまだが、要は悪でも善でもない事件の扱い方が不得手という、メディアの切り口への不満があるのは間違いない。
 硬直した構図に当てはめて描かれる分析は、取り上げた現象が悪意か善意か、右か左かという表層に気を取られ、「祭り」は「集団リンチ」あるいは「美談」に単純化される。原因の分析としては、上滑りしている感は否めない。
 昨年あたりから、「祭り」に群れ集う人々に対して「ネットイナゴ」なる言葉が用いられるようになったが、「ネット右翼」として若者の右傾化に関連付ける議論よりは、よほど適当な表現に思える。イナゴには悪意も善意もない。
 あるのはただ食欲のみだ。ネット界のイナゴも、「祭り」を消費せんとする貪欲(どんよく)な食欲こそ本質だろう。「事件」の枠を超え、こういうある種自然現象的に考える視点があれば、批判もより的を射たものになったかもしれない。
 もっとも、個人的にこうしたイナゴが好きかどうかは、また別の問題だ。かつて食料の強制徴発という悪癖を持った中国大陸の日本軍をくさすのに、「皇軍」をもじった「蝗軍」という言葉があったが、たとえば右方面の祭りで騒ぐイナゴ諸氏には、この称号を進呈してみたい誘惑に駆られるけれど。


「ネットウヨ」よりは的を得た表現だとは思いますが、2ちゃんねらーが「イナゴ」ならマスゴミはさしずめ「蛆虫」といったところか。(-ω-;)
外務大臣会見記録(平成19年2月20日(火曜日)8時46分~於:院内大臣室前)より。

六者会合
(問)六者会合ですが、日朝の作業部会についての調整はどのように進んでいるのでしょうか。

(外務大臣)調整は進んでいます。新聞記者に分からないように。

(問)平壌なり東京なりで開催する形になるのでしょうか。

(外務大臣)場所も知っているけれども言わない。

(問)人選については。

(外務大臣)人選についてもほぼ決まっているけど言わない。

(問)時期については。

(外務大臣)時期もほとんど分かっているけど言わない。

(問)開催に向けてはかなり詰まっているということですか。

(外務大臣)動いています。

(問)北朝鮮側が誠意のある対応をしているということですか。

(外務大臣)どの程度のものを誠意というのかよく分からないので定義が難しい。北朝鮮の話はなかなか話の作り方が難しい。だから言わない。



GJ!ヽ(´ー`)ノ
【YouTube動画】

読売が今日の社説で「国民の知る権利」云々とぬかしてますが、こと外交と国防に関しては「国益」という観点から、公開していい情報とダメな情報との区別があることくらい、判断しろよ!
それができないマスゴミばっかだから、麻生外相がやったように扱われてしまうんだべ。( ̄ー ̄)

読売社説(2007年2月23日1時31分)
「[防衛秘密と報道]「今後も『知る権利』に応えたい」」
 防衛省は、国の安全保障の根幹にかかわる情報を数多く抱えている。厳格な情報管理と服務規律の徹底がなされるのは当然のことだ。
 防衛秘密が外国スパイなどに漏れ出して、国益が損なわれるようなことがあってはならない。
 だからといって、国民が報道で知るべき公共性の高い情報まで、すべて遮断されるようになって良いはずはない。
 防衛省情報本部の1等空佐が読売新聞記者に内部情報を漏らした疑いがあるとして、自衛隊の警務隊が1佐の自宅などを捜索し、任意で事情聴取していた。秘密指定された文書などを外部に漏らした自衛隊法違反容疑だという。
 報道をめぐっての、異例ともいえる防衛省の強権的対応には、「取材・報道の自由」「国民の知る権利」との関係で強い懸念を抱かざるを得ない。
 問題になったのは、2005年5月の朝刊記事だ。日米両国の防衛筋が確認した話として、中国海軍の潜水艦が南シナ海を潜航中、火災とみられる事故を起こして航行不能になり、海南島に向けて曳航(えいこう)されていることなどを報じている。
 防衛庁(当時)は記事に強い不快感を示した。火災の情報が米側からもたらされたものだったためとされる。
 報道から半年後、漏洩(ろうえい)の被疑者不詳のまま警務隊に告発している。1佐の強制捜査が行われたのは約1年後の今年初めだ。この間、継続的に内偵捜査が行われていた。
 情報漏洩といえば、自衛隊はしばしば不祥事を起こしてきた。2000年には海自3佐による在日ロシア大使館武官への情報漏洩事件が発覚した。昨年も自衛隊員らのパソコンから、防衛関係の情報流出が相次いでいる。
 自衛隊法が改正され、秘密漏洩への罰則が強化された。情報流出の抜本対策も昨春、まとめられた。
 防衛省には、米側への信義を重んじ、日米の情報協力体制に揺らぎのないことをアピールする狙いがあったのではないか。“見せしめ”的捜査で内部の引き締めを狙ったとの見方も出ている。
 こうした対応は、取材対象となる公務員らを委縮させ、結果的に記者の取材・報道をも制約してしまう危険性が高い。国民の知る権利も狭められてしまう。
 読売新聞は、今回の取材活動が適正に行われ、法令違反や社会通念を逸脱する行為がなかったことを確認している。
 そして、今後も取材源の秘匿を貫き、知る権利に奉仕するため適正な取材・報道を行っていくつもりである。
 報道機関の使命を再確認したい。
朝日(2007年02月22日06時28分)
「直立不動「いつから北朝鮮に」 亀井静香氏が皮肉」
 「直立不動で忠誠心を求めるなんて、いつから北朝鮮になったんだ」。国民新党の亀井静香代表代行は21日の記者会見で、首相の入室時に起立しない閣僚を批判した自民党の中川秀直幹事長を皮肉った。
 亀井氏は、中川氏の発言について「公然と、今の内閣がおかしい、と言うのと同じ。与党が不信任案を出したんじゃないのか」と述べた。小泉前首相が「支持率は気にするな」などと中川氏らにげきを飛ばしたことについても「PTAの会長さんがあんなことを言っちゃだめだな。小泉さんは支持率で政治をやってきたのに、親心がない」と切り捨てた。


「忠誠心」という言葉は、何も総理に対してだけではなく、政治家というこの国を行方を左右する責任ある職務に対する忠誠心でもあるはず。
その認識がないから、緊張感のない内閣になってしまったことを危惧しての中川幹事長の檄だと思うぞ。オイラは。( ̄ー ̄)
今日は「竹島の日」なので、18:00時点の在京新聞4社のサイトを検索してみました。
引っ掛かったのは産経、読売で各1件ずつ。朝日、毎日は予想通り無視。。。

産経(2007/02/22 12:18)
「島根県で2度目の「竹島の日」 澄田知事、成果強調」
 日本固有の領土である竹島(島根県隠岐の島町)の領有権確立を目指し、島根県議会が条例を制定して2度目の「竹島の日」となる22日、澄田信義知事は領土問題の早期解決を求める談話を発表。県庁で啓発ビデオが放映され、竹島をアピールした。
 澄田知事は「条例が大きな輪となり、竹島問題への関心が飛躍的に高まった」と成果を強調。「領土問題は外交努力により平和的に解決されるべきもの。政府は竹島問題の啓発活動を所管する組織を設置し、領土権確立に向けた交渉を粘り強く行うことを切に願う」と国に要望した。
 啓発ビデオは午前9時から県庁の県民室で放映され、県庁に足を運んだ人たちが見ていた。ビデオは竹島周辺で漁をしていた隠岐諸島の漁師の声やこれまでの県の活動をまとめたもので、23日も流される。
 県庁近くの県立博物館では竹島関連の古文書や地図などが展示され、今春オープン予定の竹島資料室が午後から臨時開設された。24日まで入館できる。
 また、県外の政治結社が街宣車を松江市内に繰り出すとの情報があり、県警は警戒にあたった。24日にはメーンの記念行事が市内で行われる。


読売(2007年2月22日)
「「がいな島もう一度見たい」 きょう2回目竹島の日」
アシカ猟で戦前渡る 隠岐・吉山さん回想
 県が竹島の県編入(1905年2月22日)を記念して制定した「竹島の日」が22日、2回目を迎える。日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島(トクト))は韓国が実効支配し、島の様子を知る人は少ない。戦前に盛んだったアシカ猟で竹島に渡った唯一の生き残りである、隠岐の島町蛸木の漁師、吉山武さん(96)は「がいな(大きな)島やった。もう一度見たい」と、島への思いを語る。
 竹島は隠岐諸島の北西約160キロにあり、東島、西島と多くの岩礁からなる。明治期には「リャンコ島」と呼ばれ、1900年前後から、動物園などに売るためのアシカ猟が行われた。
 吉山さんは17歳のころから漁を始め、1934年5月末~6月中旬にアシカ猟の親方に雇われ、隠岐の漁師8人で竹島に渡った。
 島では東島の小屋で寝泊まりし、西島でアシカ猟やアワビ、ワカメの採取を行った。一行には、雇われた韓国・済州島の海女4人と船頭も加わったが、「言葉が分からず、話はしなかった」と述懐する。
 吉山さんはアワビやワカメを採取したが、しけた日はアシカ猟にも携わったという。長男の高重さん(69)は、吉山さんから「鉛を加工した弾丸でアシカを狙ったが、角度が悪ければ滑った。それぐらい油脂がすごかった」と思い出話を聞いたという。
 吉山さんは竹島が韓国に実効支配されていることについて、「こっちの島に戻ればいい」と願う。そして、「漁をしたいとは思わないが、思い出にもう一度見てみたい」と、しみじみと語った。



ちなみに、商標登録が拒否されていた「竹島ものがたり」ですが、1月29日に一転して認められていたとのこと。

産経・大阪朝刊(2007.01.30)
「土産「竹島ものがたり」商標登録 特許庁、一転認める」
 日本固有の領土・竹島(島根県隠岐の島町)を冠したまんじゅう「竹島ものがたり」をめぐり、「日韓両国に無用の混乱を招く」として商標登録を認めていなかった特許庁が、一転して登録を認めていたことが29日、わかった。
 出願者の反論を前に、自ら調べをやり直すことは異例で、同庁は「調査不足だった」と審査の不備を認めている。
 申請したのは東京の菓子みやげ問屋「大藤」で昨年12月下旬、日韓両国に混乱を招くため商標登録できないとする拒絶理由通知書を特許庁から受け取っていた。
 通知に対する反論の意見書は1月末が提出期限で、同社が反論の準備を進めていたところ、29日までに登録を認める「登録査定」が送られてきた。
 登録査定には「拒絶の理由を発見しない」として、「登録すべきものと認める」と当初と異なる内容が書かれていた。
西日本新聞朝刊(2007年02月21日05時22分)
「「オイ」「ワイ」禁止 武雄市長 「配偶者呼称」条例制定構想  男性の意識改革促す」
 男女共同参画社会の実現には、まず男性の意識改革が不可欠と、佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長が20日、女性配偶者を「オイ」「ワイ(方言でおまえの意味)」など名前なしで呼ぶことを禁止する「オイ・ワイ禁止条例」制定を発案した。今後、市民の意見も聞いた上で、6月議会にも提案するという。
 同日、樋渡市長は市内の女性団体リーダーとの会合に出席。夫から名前で呼ばれたことがあるかどうかを尋ねたところ、「はい」と答えた人は、いなかった。
 これを受け、市長は「女性を『オイ』とか『ワイ』とか言わず、きちんと名前で呼ぶことで男性の意識も変わるし、家庭の中も和んでくる」と指摘。「罰則を規定するというものではなく、精神的支柱という意味で条例を制定したい」と語った。
 参加者からは賛同の声が続出。女性を「産む機械」に例えた柳沢伯夫厚生労働相の発言を取り上げて「あれも『男の本音』が出た結果。身近なところから変えていくことも重要」との意見も出た。


こんなことをお上が押し付けるようになっては、日本の文化は崩壊したと言っても過言ではありません。ヽ(;´Д`)ノ
『自分の感受性くらい』/茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



鈍器で頭をガツン!とブン殴られた感じです。

自分で認識しないまま逃げていたこと、恐くて目を逸らしてきたことに対し、キッパリと「ばかものよ」と。
まるで親父に言われたような愛情に溢れた言葉に、思わず涙ぐんでしまいました。。。

こういう親に読ませてみたいものです。理解できるか不安ですが。。。
北海道新聞(2007/02/20 07:16)
「紋別の4歳男児、池転落死 市、両親に2475万円賠償へ」
 【紋別】紋別市オホーツク森林公園で二○○六年七月、市内の男児(4つ)が池に転落、水死した事故で、市は池の周囲に柵が無かったのは安全性への配慮が欠けていたとして、男児の両親に二千四百七十五万円の損害賠償を支払う方針を固めた。
 男児は、友達数人と池の近くで遊んでいて池に転落。男児の家族も公園にいたが、池から離れた場所にいた。友達の知らせを受け母親らが男児を救出、病院に運ばれたが間もなく死亡した。



今日は「竹島の日」です!(・ω・)ノ
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ITmedia News(2007年02月20日 07時35分 更新)
コンピュータなしで1日を――3月24日は「シャットダウンデー」
1日をコンピュータなしで生活できるか「実験」してみよう、との試みが行われている。

 コンピュータなしで1日を過ごせますか――3月24日を「シャットダウンデー」と名づけ、可能かどうかの「実験」をしてみよう、との試みが行われている。


 公式Webサイト上には、シャットダウンデーまでのカウントダウンが表示されているほか、コンピュータなしの1日が「可能」か「不可能」かの投票を受け付けており、現時点では「可能」が優勢。当日、代わりに何をするか、といった投票者によるコメントも掲載されている。

コンピューターよりも、「1日テレビをみないで過ごせますか」という運動をやって欲しいねぇ。
オイラは楽勝ですが。(^o^)v


※いよいよ明日です!
『竹島プロジェクト2007』
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西尾幹二氏の新刊『江戸のダイナミズム―古代と近代の架け橋』(略して”江戸のダイナ”)について、メルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(2007.2.19;第1713号)
に書評が掲載された。


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 哲学、文献学ばかりか国語上の大論争を提議する大作の登場
  日本の保守論壇、本格的国学解析に久しぶりに揺れる
                       宮崎正弘(評)
 
西尾幹二著 『江戸のダイナミズム 古代と近代の架け橋』
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 ▼ 西尾幹二氏の白刃は鞘に収まらない

そこら中に屯する右顧左眄の学者、通説を吠えるだけの講釈師、偏執的学説に固執する徒らを片っ端から切り捨ててゆく西尾氏の白刃(はくじん)は鞘に収まらない。抜き身のままである。
激甚な思想書としてこの本を通読した後の印象である。

本書を読み始めたのは国電のなか、思わず引き込まれてしまい、あやうく目的地の駅を乗り過ごすところだった。
導入部分が意想に反して難解ではなく、怪しくもなく、語りかけるようなイントロは変調の講談風、すぐにとけ込めるのは筆者の凄惨なほどの筆力の冴えによるものだろう。
 多くの読者同様に(ト勝手に想像するのだが)、本書の題名、副題、カバーの惹句をみたとき、私の脳裏に去来したのは小林秀雄『本居宣長』だっだ。
 小林秀雄の『本居宣長』は、書き出しこそ「鎌倉の駅頭にたってふと松坂へ行こうと思った」から風の旅人のようにふらりと宣長に縁の深い場所へ詣でる歴史の旅が始まるのだが、それからが難解極まりなく、じつは私は小林秀雄の『本居宣長』を二回読んで、ちっとも咀嚼出来ず(つまり国学前史に遡っての素養がないと小林本は難しく、あれは「オカルト的」というのが負け惜しみ的な感想だった)、挙げ句に読後感といえば「山桜花」。
 むしろ松坂の宣長旧居跡を見学したおりにライバル上田秋成の「敷島の大和心となんのかの胡乱なこともまた桜花」という狂歌が、やけに印象に残った。
 ともかく西尾幹二氏の新刊もきっと難しいに違いないという名状しがたい先入観があった。
 
 早々と入手した本書だったのに、導入部を読んだ後、面白そうという熱い期待感を脇に、仕事に追われてページをあける時間がなく、ついには中国取材に八日間ほどいくので、旅先のホテルで読み繋ぐことに決めて鞄のなかに仕舞ったのだった。

 もうすこし脱線がつづく。
 いつ取材に行っても新鮮なおどろきが連続する中国。
 一月下旬から二月にかけて、華南の地を廻った。香港からいきなりマカオへ渡り、孫文の故郷でもある中山から、華僑の故郷・江門、開平、それから仏山経由で広州へ入り、恵州から深セン、最後に香港へ舞い戻って帰国。八泊・九都市。
 華南の各地は爆発的な経済発展、あらゆる場所が普請中である。
 ふと脈絡もなく、江戸と、いまの広東のダイナミズムには、なにか共通性があるだろうか、と考えた。

 広東の繁栄、建築ブームの醍醐味、超満員のレストラン、庶民の生活の向上など。その経済という物理的側面の凄まじいダイナミズムに遭遇しながらの旅行中、本書のなかに演繹されるダイナミズムのほうも、すこしづつ読み進めて、最後は広東省の恵州から深センへ向かう長距離バスのなか。恵州・西湖はかつて蘇東波が感嘆して多くの詩をのこした風光明媚な景勝地である。
 その西湖の湖畔の柳の下で読み続け、最後のページは珠海デルタ地帯を突っ走るバスの中。一方では左右の景色はにょきにょきと林立する摩天楼やら、迅速な開発が進んだ工業団地、マンション群、瞠目するべきショッピング・アーケードのまばゆさ。
(嗚呼、それにしても“脱中華文明”の中国の都会には、なんと美がないことか!)
 そうした繁栄のぶっきらぼうな景色を眺めながら本書を読み進めると、対照的な静けさをもつ、この『江戸のダイナミズム』が醸し出す美しい日本の力強さは、時空を超越し、思考の空間がいとも簡単にタイム・スリップするのだ。

 こんな記述が中国と日本を比較してある。
 それは儒教を発見した西洋人のくだりである。加地伸行氏が「沈黙の宗教」と比喩した、この中国特有の道徳律は、布教活動がないために西洋人は長い間、存在すること自体に気が付かなかったと西尾氏はいう。

 「孔子は宇宙の開闢という神話的哲学的テーマに口を閉ざして」いるため、西洋人は、見逃していた。ただし大航海時代の冒険者らは、世界のおいたちに関して、「孔子が語らなくても、中国には特異な考え方が存在する」事実に気が付く。それは「キリスト教の神による創造の思想によく似た思想は存在しないことをあらためて確認する」(368p)。

 そして。
 東西交流の歴史上、マルコ・ポーロとならぶアテオ・リッチ(イエズス会宣教師)が登場、かれが「中国の哲学や宗教の中心が儒教であることを発見」するのである。
 というのも従来の西洋からの観察者は表向きの寺院や僧侶に関心を抱くけれど、「毎日の勤行や葬送など、仏教の活動であって、政治と密着し、日常性格の内部に食い込んでいる儒教がキリスト教に対抗しうる国家宗教であることを西洋人が理解するまでには、それなりの時間の経過と、知性の出現を待たねばな」らなかったからである。
 なぜなら儒教には、
「祭祀や僧侶がいない上、掟も戒律もなく、高位聖職者もいない」。古代より中国の信仰は「天」にあるが、これをリッチは「キリスト教が布教していく上で、儒教と折り合いをつける唯一の接点は『上帝』信仰にあると考える」に至ったのである。

 私は広州の町中で、キリスト教の教会がたくさんあるのを見た。いや中国沿海部のいたるところで、キリスト教の教会を観察してきた。
華僑の故郷の江門、開平から、奥地の豪邸群が残る田舎町で、偶然みたのも西洋式の結婚式だった。
 とくに華南から華中にかけて、アヘン戦争前後から、いかに中国人がやすやすとキリストに改宗できたのか。長い間、疑問だった。
(そうか。そういうことか)と妙に得心できる。あれは改宗ではなかった。
 同一軌上の信仰だった。「天」の信仰があまねく拡がっている中国(かの無神論者毛沢東の詩ですら「天」がでてくるように)では、キリスト教は受け入れやすく、日本では古事記日本書紀の神話が、戦後はなかば否定されたかにみえても、古代の神話が日本人の見えない生活の中で、まさに神道は布教しなくとも、脈々と生きて現代人に繋がっており、キリスト教がなぜ拡がらないか、分かるようではないか。
 
実際に中国のホテルで時間ができると『江戸のダイナミズム』を少しずつ読み継ぎ、西尾氏が提示する知的世界の広さを中国的な空間の中で描いていた。
本居宣長もニーチェも、いやプラトンやソクラテスさえも同時代人のように親しみを感じながら読めるのも、奇妙な体験だった。

 ▼「平成の本居宣長」とは?

前置きが長くなった。
本書は近年の読書界を震撼させる爆弾を抱えた傑作である。
(ダイナミズムという表題にはダイナマイトも含まれている?)
哲学的論争と文献学的論争と、国語学的論争を多層に輻輳させながらも、くわえて場面はソクラテスからニーチェ、ヤスパースへ飛んだかと思いきや、平田篤胤、北畠親房、山鹿素行。縦横無尽に登場する人々の思考の多様さ。
『諸君!』に足かけ四年に亘って連載され、さらに加筆、索引、注の作成に二年を費やされ、「平成の本居宣長」と銘打たれての上梓だが、その労苦を思わざるを得ない。

 本書の構成は第一部と第二部に別れ、第一部は議論の前提となる「文献学」に多くが費やされる。
 登場する人物は「儒学者系列」は藤原せいか、林羅山、中江藤樹、山崎闇斉、山鹿素行、熊沢蕃山とつづき、同時に「国学系列」の契沖、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、上田秋成、新井白石など。
 ここで儒学と国学が二大潮流として登場し、巧みな筆裁きで整理され、その江戸における思想対立、思想の深化などの対比がなされるのは当然にしても、本書はそこから、いきなり世界史的パースペクティブを拓くのである。
同時代の中国の学者(黄宗義から康有為)から西欧の学者、思想家(ヴィーコ、グリム兄弟、ニーシェ、ブルクハルトなど)が飛び出してくる。私たちは世界史の視野から思想の遼乱をながめることができる。
 
 戦後歴史教科書は「江戸」が反文明的で暗く、西欧に遅れており、文化度もひくいなどと教えた。
 近年、それは逆であって江戸時代の日本は世界に抜きんでた文明と文化、そして経済力を誇ったことが、あらゆる方面で立証されている。葛飾北斎や写楽が、西欧の画家にどれほど深甚な影響をあたえたか。

 武家政治も随分とあしざまに言われたが、近年は武士道が見直されてきた。
 西欧や中国のように暴君が独裁をふるう政治ではなく、日本の武士社会では、主君が「暴君や暗愚の殿様で出てきたときに、これを排除するために『主君押し込め』の構造があった」(中略)
「江戸、大坂の巨大市場が成立し、徳川幕府の安定政権の下で貨幣経済が整備され、何よりも自前の貨幣鋳造が行われました。金銀銅の大産出国であった我が国は、銅の貨幣を中国、東南アジアその他に輸出するほどでした。かつて宋銭を輸入することで経済圏を中国に奪われていた日中の立場は逆転し、日本の銅銭に中国の経済が依存するようになっていました」と、西尾氏の視座は経済学の考察にもおよんでいる。

 こうした何気ない挿入も、従来の概念を徹底的に破壊する。
 田中英道氏によれば、江戸の遙か以前、シナ大陸におくった遣唐使、遣隋使のことばかりを日本の歴史教科書が力説してきたが、じつは中国から日本に留学にきた「遣日使」のほうが数も多く、しかも多くの学僧が“日本のほうが良い国”として帰らなかったという。

 ▼重大命題は「いまの価値観」で当時を推し量る愚

 西尾氏はこうも言われる。
「いかに江戸時代は躍進する時代であったか、もはやことさらに言い立てるまでもないが」、従来の「歴史教科書の記述と歴史教育学会の意識は、いまの知識の先端のレベルからいかに遅れていることか。古くさい情報、黴の生えたようなマルクス主義の理念にまだ囚われているせいではないか」と激しく固定観念を批判する。
 乱麻を断つ白刃。
 まして江戸と明治のあいだに「断層」はなかった、と西尾さんは結語、江戸時代は厳密な封建社会でもなかったのではないか、と問いかけて下記の重大な「命題」がでてくる仕組みになっている。

 「江戸時代を暗い前近代として否定的に描出することも、明るい初期近代として肯定的に評価することも、われわれの現在の立場や価値観を江戸時代に投げかけて、現在からみての一つの光景を作り出している結果といえないこともありません。しかしほんとうに江戸時代を生きていた当時のひとびととは、いまのわれわれの立場や価値観を知る由もありません(中略)。江戸時代の歴史を知るには、あくまでも完結した一つの閉鎖状態の人間の生き方をそれ自体として知るようにつとめ、明暗いずれにせよ現在のわれわれの立場や価値観の投影によって固定的評価に陥らぬように気を付けるべきです」

 さて細かな話を飛ばして、江戸の安定期に、なぜ本居宣長がでてきたのか。
それまでの体制御用、官製の儒学を乗り越えて、自立する思想家、国学の巨星がどういう時代背景から飛び出したかが、さらりと語られる。
 宣長論が本書の肯綮である。
 日本の神道は「自然なかたちで習合する思想」なれど、自立して闘う理論が弱かった。
「本格的に思想家として自己防衛したのは本居宣長一人であった」

 「宣長が『遠い山』と言った、肉眼ではよく見えない日本人の魂の問題は、ますます現代人の知性の限界からかけ離れて、どんどん果てしなく遠くへ逃げ去っていくように思えます。そういう時代にいまわれわれはあるといえないでしょうか。日本人の魂の問題を守ろうとした宣長の守勢的、防衛的姿勢は、日本人の主張のいわば逆説的スタイルとして、いよいよ必要とされる時代になっている」(227p)

 本書の冒頭部分には長い文献学の説明がなされていることは述べたが、何故といぶかしむ読者がきっと多いだろう。これは後半の謎解きへと結節してゆくために読み落とせない前提なのである。
 キリストにせよ、儒教なるものにせよ、いったいイエスや孔子は本当のところ、何を教え、どういう中身を生徒らに喋ったのか。
それはソクラテス同様にテキストが残っておらず、弟子達が孔子の教えとして数百年の歳月をかけて解釈をひろげていく裡に、大きく解釈の異なる流派がうまれ、儒学は侃々諤々の学問的論争と発展し(その実、学閥・セクト間の闘争でもあるのだが)、体制御用や反政府的な学閥がうまれ、集散離合し、主導権争いが産まれ、権力に近づき、あるいは疎外され、弾圧され、希有の運命をともにした。

 ▼『聖書』、『大学』『中庸』は、誰が書いたのか

 キリスト教にしても本当は誰が聖書を書いたのか。しかも聖書の原文はギリシア語で書かれているのである。
マルコ伝とロカ伝と、ほかに幾多の伝説が習合された聖書も、しかし、ローマ、ヴィザンチンに別れ、いや東方教会も流布した先の土地の伝統や習俗が加味されて、たとえばアルメニア正教、グルジア正教、ロシア正教となり、西欧では魔女狩り、ルターの宗教改革、英国国教会派、ピューリタン、プロテスタント。そしてモルモン教まで。
そして二千年もの歳月の間に英語、スペイン語、ロシア語の聖典が現れ、聖書は日本語にもなった。
それらは原文にある(筈の)、本当のイエスの教えからほど遠いものではないのか?
だからこそ文献学がきわめて重要であり、学問の出発点であると、本書では何回も力説される。

 この箇所を読みながら、じつは本書にまったく出てこないイスラムを思った。
 コーランは、いまでもアラビア語で読まなければ正当なイスラム教徒とは認められない。原語に忠実でなければ解釈が分かれるからであり、そのためイスラム教徒のなかでも高僧をめざす人々はインドネシアであれ、フィリピンであれ、アラビア語を習得し、コーランを学ぶのである。
翻訳に頼ろうとしないほどの苛烈熱烈な原義への欲求は西蔵法師が仏典の原典をもとめてチベットへ危険をかえりみずに冒険したように。

 西尾氏は文中にさりげなく次の文言を挿入している。
 「不思議に思えるのは、日本の儒教や仏教に文献学的意識が永い間殆ど認められない点です。江戸時代も中期、荻生租来(そらい)が古文辞学を唱えるまで、経学を孔子以前に遡って考え直すというテキストへの懐疑が日本の文化風土の中に一度でもあったと考える」のは難しいだろう、と。

 本書に展開される具体的議論は、読者それぞれが熟読しなければ、次のステップにいけないが、ここで網羅的な紹介をおこなうつもりはない。
 本居宣長と上田秋成の論戦の箇所は面白く、また赤穂浪士をめぐっての官学と民間の儒者らの論争も、今日的で意義深く、またそれらの記述を通じて、西尾さんが新井白石にやや冷たく、荻生祖来を高く買っていることもわかる。
 それは次のような記述からも。

 「悪しき官制アカデミズムの独裁者のような林羅山とその一統の権勢。君臣関係を主人と奴隷との関係と見て絶対の忠誠心を朱子学の魂とする山崎闇斉とその門人六千人の社会的圧力。朱子学の理念と武士道という思想的に相違するものを一元化し時代に都合のいいイデオローグを演ずる室鳩巣。いつの世にも外来思想と日本の知識人との関係はかくのごとし」。

だが、「新井白石と荻生租来はやはり群を抜いた例外」であった。
白石は将軍のブレーンであり、国際情勢に理解のある学者だが、じつは朱子学をさんざん学び、それに染まらずに却って距離をおいて日本歴史の研究に没頭した。山崎闇斉のように朱子学の徒は手ぬぐいも赤く、という徹底した“唐かぶれ”ではなく、冷静なまつりごとを確立するために、朱子学の科学的合理的なところを抽出して江戸幕藩体制の安定に用いた。
対照的に萩生租来は日本史に興味がなく、中国の学者以上に中国学を知っていたが、やはり儒学の熱気(というより狂気)にはおぼれず、巷の熱狂的情緒を押し切って、法治のためには赤穂浪士に切腹を迫ったように感情論には組みしなかった。君臣の序列のなかに「個」を主張した。
つまりは中国と日本は儒教をめぐって、こうも違うのである。

こうして新井白石と荻生租来に割かれたページはきっと本居宣長より多いだろうと思われるのだが、朱子学が江戸の御用学問となった一方で、江戸の革命の哲学となった大塩平八郎の陽明学が、この本で論じされないのは何故だろう。
いや、抜き身のままの西尾さんの白刃(はくじん)は、それこそ陽明学という鞘を求めているのではないか。
 本書は小林秀雄『本居宣長』以来の大作であることの間違いはなく、本書のカバーに添えられた「平成の本居宣長」という惹句はそういう意味でもあるだろう。
(『江戸のダイナミズム 古代と近代の架け橋』は文藝春秋発行。2900円)。

 (注 言うまでもありませんが、荻生租来の「租」と「来」は行人扁)
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