ジェフは急いで、家に帰った。それでも飛行機で1時間はかかる。いつもなら新聞でも読んでいればあっという間の時間が何倍にも感じた。家に戻っても未緒はいない。もちろん、事務所やミランダのところなど、思い当たる所は全て探した。SPの話では、どうやら誰かに連れ去られたのではなく自ら尾行をまいたらしい。未緒には護衛の件は話していなかったのだが、気づいていたようだ。SPは今も未緒の行方を探しているが、手掛かりはない。なすすべもなくジェフは自室で座り込んでいた。


「なぜだ?」


スレイドの件も片付いた。プロジェクトも上手くいっている。ジェーンともぎこちないながら和解した。未緒だってこれから落ち着いて勉強に本腰が入れられるじゃないか。


穏やかな時間が戻ってくるというのになぜいなくなる?


共に仕事をする。

彼女はさりげなく仕事をしやすいように整えてくれる。事務所での未緒の働きぶりを目にするのは楽しい。それだけで難しい交渉が上手くいきそうな気がする。時々、ミランダと一緒になって攻撃されるがそれでさえ楽しい。


共に家に帰る。

夕食後のささやかな時間。判例についての意見のぶつけ合いは刺激的だ。女性と実のある話をするのがこんなに楽しいなんて。それだけでなく、日常の些細なことを話すのも、何も話さないのも落ち着いていられるというのに。


共にやすむ。

女性の...未緒の体温が匂いがこれほど安心できるなんて、僕は今まで知らなかった。眠りに落ちる最後の瞬間に未緒の顔が見たいし、目覚めて一番最初に未緒の顔を見たい。




契約を無期限にすることを未緒だって了承したじゃないか!!!



...。




ふと、頭をよぎる不安。


僕は自分が楽しければ、未緒も楽しいんだと思っていた。もしかして、違ったのか?だから、全てが片付いた今、彼女は出ていこうとしているのか?


どうして?


どうして僕はこんなにも未緒に拘るんだ。どちらかがNOと言ったらそれで関係が終わるのは仕方ないことだろう。まして契約結婚なんだから...。契約は履行されたんだ。僕は遺言通り遺産を受け継いだ。残念ながら彼女の素性を隠す必要はなくなってしまった。ならば、未緒が望むなら解放してやらなければならないんじゃないのか?


絶対にいやだ!


未緒は僕のものだ。僕だけのものだ。他の誰かになんか渡さない。僕のいない場所になんかやらない。どうすれば、無期限の契約を永遠にできるのだろう?



僕はこの契約を永遠にしたいのか?無期限だって同じだろう?何かが心に引っ掛かる。これはなんだ?



ジェフが支離滅裂な思考をどうにかまとめようとしているところへ車の音がした。エンジン音は段々と大きくなり、止まったかと思うと今度は遠のいて行った。ジェフは階段を駆け下りると玄関へ急ぐ。外と中から同時に玄関が開けられた。玄関には未緒が立っていた。途方に暮れた捨てられた子猫のような顔をしているが見たところ、怪我はしていないようだ。


「よかった。無事だったんだね?」

ジェフは未緒をきつく抱きしめた。あまりにもきつく抱きしめられた未緒はジェフを突き放した。

「やめて!」

驚いてジェフは未緒を見たが、「ごめん」と言って一歩後ずさった。未緒は僕が抱きしめることもイヤなのか?今度はジェフが捨てられた子犬のような顔をした。

「いえ、こちらこそごめんなさい。びっくりしてしまって...。」

いまだに玄関の外にいる未緒をジェフは中へ入れリビングへ促した。


未緒がソファーに腰を下ろすとジェフは隣に座った。

「どこへ行っていた?」

「...。」

未緒は黙って俯いてしまった。

「SPをまいてまで、行きたかったのはどこなんだ?僕が心配しないとでも?」

「ごめんなさい...。」


押し黙る未緒にジェフはもうダメなのかと思ってしまう。それでも...。いや、それならばせめて伝えるだけでもしたい。みっともない姿を曝すことになるけれど...。

ジェフは未緒の前に跪き、左手をとった。


「未緒。また契約の変更をしてほしい。」


未緒はジェフの言葉に『その時』がきたのだと覚悟を決めた。未緒が「出ていくわ」と口を開きかけたのをジェフは制した。


「最後まで聞いてくれるかい?その上で、君がやっぱり出ていきたいと言うのなら止めないから。できれば、僕たちの契約を『無期限』から『永遠』にかえたいんだ。これは似ているようで全然違うんだ。」


「ど...どうして?」

未緒が小さく震える声で聞いた。私は自分の都合のいい解釈をしようとしている?きちんとジェフの言いたいことを確かめないといけない。未緒は自分に言い聞かせる。


「君がいなくなったかもしれないと思って、やっと気づいたんだ。君のいない人生は虚しいだけだ。未緒、愛している。だから『永遠』にそばにいてほしい。僕の本当の妻として...。」


愛しているですって?!ジェフが私を?本当に?未緒は自分の聞いた言葉が信じられずに呆然としていた。愛していると言った時のジェフは決然としていたが、未緒があまりにも長い間呆然として何も言わないものだから、不安になったのだろう。次第にまた捨てられた子犬のようにしょぼくれてしまった。


「何も言ってくれないんだね。それが未緒の答え?わかったよ。君が出ていきたいというなら止めない。契約通り、慰謝料も払う。事務所での働き分もプラスする。これは君が何と言っても受け取ってもらう。それから、次の弁護士事務所もいくつか当たるよ。ここから遠い方がいいかい?それと治療は...。」


ジェフがこの場を早く切り上げたいばっかりに、早口でまくしたてるのを未緒はジェフに抱きつくことで制した。


「まだ、私は何も言ってません。相手に先に手の内を見せては負けてしまいますよ?」

「えっと...未緒?」

未緒はジェフから少し体を離して顔が見えるようにして言った。

「私も愛してます。」

ジェフは未緒の言葉を何度も頭の中で反芻した。みるみるうちにジェフの頬が紅潮していく。

「それじゃあ?!」

「えぇ。契約の変更に同意します。」

ジェフは何度も未緒にキスをした。キスの合間にいろいろなことをしゃべる。未緒は呆れながらも優しく甘いキスを拒めない。夢うつつな状態でうっとりと聞いていた。

「あぁ。今度こそきちんとした結婚式をしよう。」

こめかみの傷にキス

「ドレスはどこに頼もうか?」

右の頬にキス

「そうだ。君のお母さんに挨拶にいかないと。」

額にキス

「お父さんにもね。」

唇にキス

「ベッドにいこう?」


未緒はその言葉を聞いてジェフのキスをどうにか制止した。


「あの...お話があるんですけど。」

キスを止められたジェフはほんの少し眉を寄せて聞き返した。

「なに?大事なこと?」

「はい。あの...。」

自分から話を切り出しておいてなかなか話そうとしない未緒に業を煮やしたジェフは未緒を抱き上げた。そのまま階段をのぼり寝室へむかう。ベッドにおろされてジェフにのしかかられたところで未緒は切羽詰って言った。


「ジェフ、待って。赤ちゃんができたの。」


未緒の言葉にジェフはフリーズした。


「赤ちゃん?」


「そう。赤ちゃん。春には生まれるわ。」


「君と僕の?」


「そう。あなたと私の。」


ようやく意味を理解したのかしばらく固まっていたジェフが、にわかに満面の笑みにかわる。ジェフの喜ぶ顔をみて未緒も胸をなでおろした。


「間違いだといけないから内緒で病院に行って来たの。心配をかけてしまってごめんなさい。それで、本当に赤ちゃんがいることがわかったらわかったで、どうしていいか途方に暮れてしまって、帰りが遅くなってしまったの。あの時はあなたは望まないと思ったものだから...。でも、あなたにも知る権利があると思って帰ってきたのよ。まさか愛していると言われるとは思わなかったわ。」


「嬉しいよ。ここに僕らの赤ちゃんがいるんだね?」

ジェフはおそるおそる未緒のお腹を撫でた。

「そうよ...。」

ジェフは少し考える。

「僕は気を付けてたと思うんだけど...。今となってはどうでもいいことだね。」

「ふふ。私があなたを襲った時の子よ。あの時は必死でそんなこと考え付かなかったから。」

「初めて愛し合った時の子か。確かに君に襲われるなんて思いもしなかったから用意していなかったし、夢中だったからね。翌日には君はいなくなってしまって思い浮かばなかったよ。そうか、あの時の子か...。まっすぐな黒い髪の碧い瞳の女の子がいいな。」

「まだ、どっちかわからないわよ?」

「金髪の黒い瞳の男の子でもいいよ?」

「さっきから、とっても具体的ね?」

「ふふふ、前に思ったんだ。でも、君と僕の子ならどんな子でもいいよ。」

「前から?」

ジェフの言うことは良くわからないけれど、ジェフが愛おしそうにまだ平らな未緒のお腹を撫でるのを見て未緒は幸せな気持ちでいっぱいになった。



MICの緊急役員会が召集された。もちろんスレイドも来ていたが、終始苦虫を噛み潰した顔をしていた。ウィル側が51%の株を手にしていることで旧役員陣はだんまりを決め込んでいる。


「そういうわけで、経営陣の刷新をはかりますので、皆様方には撤退を願います。」

ザワザワとした雰囲気が会議室内に広がった。

「撤退って...。我々はクビということか?!」

役員の一人が怒鳴り声をあげた。

「そういう言い方もできるかもしれませんね。」

ウィルがこともなげに言うのに彼は怒りを込めて言い返した。

「ここまで、頑張って会社を盛り立ててきた我々を放り出すというのか!」

「そう、盛り立てて、盛り下げた。最近の業績不振では、近いうちに会社がなくなるのは目に見えていたでしょう?」

そこで一同は黙ってしまった。やがて、一人、二人と会議室を出ていき残されたのはウィルとジェフ、スレイドの3人になった。


「...会社はどうなるんだ?」

スレイドが重い口を開いたがその瞳はうつろでどこを見ているのかはわからない。

「どうにか残そうかと思いましたが、難しそうなので解体します。」

ウィルがきっぱりと言った。

「そうか...。で、社員は?」

「希望退職を募ると同時に残りたい者は残します。それが各部署を切り売りする最重要事項です。そのためなら多少買い値が安くてもいいと思っています。会社を存続させるより社員の雇用をとりましたが、異存はありますか?」

「いや。それでいい。礼を言うよ。」

重い腰をあげて会議室を出ていこうとしたスレイドにジェフが話しかけた。

「あなたが社員をないがしろにする発言をしなくてほっとしましたよ。それから礼なら未緒にお願いします。彼女が社員が不当な扱いを受けるのを嫌がったので...。それとは別に僕はあなたの仕打ちを忘れませんよ?」

ジェフの言葉にスレイドの目の焦点がやっと合った。

「ジェファーソンが亡くなった後に、僕が『トンプソン』の跡を継ぎたいって言ったら先代ジェフに言われたんだ。跡はブルームに継がせるからダメだってね。どこの馬の骨かもわからない、まだ子どもに継がせるって言うんだ。だから、先代を見返してやるつもりで会社を大きくしてきたのに、このザマだ。まぁ、結局、お前が正当な後継ぎだったなんて笑えるけどな。未緒には謝っておいてくれ。お前と結婚したというだけで彼女に非はないんだから。」


スレイドが会議室を出ていくとウィルがジェフに聞いた。

「あれで、謝ったことにするのか?」

「そうですね。物足りませんが、そうするしかないでしょう。でないと未緒に文句をいわれそうだ。」

「ふむ。やっぱり、尻に敷かれてるんだな?」

「何か?」

「イヤ、なんでもない。気にするな。」

「えぇ、今のは聞かなかったことにします。」

男二人は誰もいなくなった会議室でお互いの顔を見て笑った。


ジェフの携帯が鳴った。

発信元は未緒につけていたSPからだった。未緒に何かあったのだろうか。嫌な予感がしてジェフは慌てて電話に出た。青くなったジェフを見てウィルもただ事ではないことを悟る。


「未緒がいなくなった...。」




☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


うちの未緒はよくいなくなりますね...。












『本郷』のスキャンダルが出きったところで、ジェーンがインタビューを受けることになった。表向きは『コンラッドCEOの妻の役割』というテーマで経済界の番組だった。しかし、ジェフのことに触れずにはいられない。というよりも、その為のインタビューだった。インタビュアーも質問も編集も全て押さえてある。ジェーンは政治家についているイメージコンサルタントから話し方、視線の配り方、ボディランゲージを学んだ。その甲斐あってものの見事に美談に仕上げられていた。見方によってはやらせと言われても仕方ないほどだったが、語った内容に嘘はない。頭の固い年寄の中には眉を顰める者もいたが、概ね温かく受け入れられた。ウィルがジェフを息子と言ったことと誹謗中傷には断固とした措置をとると宣言したのも効いてはいたのだが...。『コンラッド』を敵に回す勇気のある者はそうはいない。


『本郷』のスキャンダルもジェーンのスキャンダルも落ち着きをみせ、記者たちはそれぞれの家の前からいなくなり、ほぼ今まで通りの生活を送れるようになった。やや落ち目と見られていたトンプソンファンドも『コンラッド』との繋がりが取りざたされてから今まで以上に盛況になった。


「これで、記者のほうは落ち着きますね。」

未緒は事務所に送られてきたたくさんの申請書類を見てため息をついた。

「こちらは、とんでもないことになってますけど...。」

「はは。なるべく早くスタッフを増やすよ。」

のほほんと答えるジェフに未緒は本気なのかしら?と怪しんだがお願いするだけに留めた。

「えぇ、お願いします。」



ミランダが突然、歓喜の声をあげた。

「ジェフ!!やったわ。これでMICの株を51%押さえたわ!」


『本郷』のスキャンダルの出所はスレイドだった。例の男のいう『ご令嬢』の正体がスレイドだったのだ。本人から直接聞いたわけではないから、その真意はわからないがジェフが離婚すれば遺産がもらえると淡い期待を抱いたのだろう。ジェフとミランダが喜ぶのをよそに未緒は胸に重いものを感じていた。ウィルがコンラッドの関連会社に買わせた株が38%、ジェフの持ち株が7%、マデリンの持ち株が2%、ミランダが買った株が4%、合わせて51%、これでMICの経営権はジェフ側のものになった。ジェフが喜びいさんでウィルに連絡をいれ、近く、緊急役員会が召集されることになった。



「ジェフ、お話があるんですけど...。」

いつも通り、夕食を終えてリビングでコーヒーを飲んでいると未緒が口を開いた。

「珍しいね。改まって何?」

ジェフはコーヒーをすすりながら未緒を見た。

「あの...。MICですけど、どうなるんです?」

「どうって?」

「その...。会社は解体されるんでしょうか?」

「う~ん。経営はウィルの専門だから彼にまかせるけど、採算の取れないところは閉鎖かもしれないな。」

「そうすると、社員の解雇は免れませんよね?」

未緒の言わんとするところを察したジェフは口元を緩めた。

「解雇は反対?」

「だって、社員は悪くないでしょう?」

「君が弁護士になりたい理由を忘れてたよ。」

「弱い立場の者が泣き寝入りするのは嫌なんです。」

未緒はジェフをキッと睨みつけた。

「わかった。なるべく解雇しないようにウィルに言ってみよう。ただし、経営陣はだめだ。僕たちが介入しなくても遅かれ早かれMICは終わってた。」

「それは仕方ありません。経営の責任を誰かがとるべきです。」

ジェフは皮肉な笑みを浮かべて続ける。

「経営とは別にスレイドは許せない。君に非がないことで君を追い詰めて傷つけた。ウィルもジェーンを傷つけられて怒りが頂点に達しているから同じ思いだろう。まぁ、結果的にウィルは疑惑が晴れて良かったのかもしれないが...。」


自分の生い立ちを使ってジェフを貶めようとしたスレイドは未緒だって許せない。だが未緒は人の良さそうなアビゲイルの顔を思い浮かべた。夫に付き従う古き良き時代の妻...。

「アビゲイルは...?彼女はどうなるんです?」

ジェフは苦痛に顔をゆがめた。ジェフにだってわかっている、アビゲイルに罪はない。どんなことになっても離婚はしないだろう。

「...わかったよ。それなりに暮らせるようにはしよう。」

未緒は少し怖くなった。ジェフはどこまでスレイドを追い詰める気だったのだろう。

「それなりとは?」

ジェフは目を回したフリをして言った。

「今の家で暮らせる。月に1回くらいはパーティーに行ける。年に1回くらいは海外旅行ができる。孫に誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントを買ってやれる。そんな感じでどうだい?ただ、それも全て未緒、君にスレイドが謝罪することが条件だ。本当は謝罪だけでは気が済まないんだが...。君が許すというなら仕方ない。」

ジェフは本当は徹底的にスレイドを痛めつけたかった。未緒を傷つけたことはもちろん許せなかったし、何より未緒が自分の傍からいなくなってしまっていたかもしれないと思うと恐ろしかった。ジェフのほの暗い瞳の色に気づいたのか未緒が口を開く。

「大丈夫、私は傷ついてなんかいません。あなたが庇ってくれて嬉しかった...。独りじゃないって思えたんです。」

ジェフは答える代わりに未緒の肩を抱き寄せ優しいキスをした。