ジェフは未緒をアガサやミランダ、ジェーンにマデリンにまで頼んで後ろ髪をひかれる思いで飛行機に飛び乗った。本当は身重の未緒を残していきたくはないが飛行機に乗せるのもためらわれ一人で出かけることにしたのだ。
シンガポールでは未緒の母に会った。ここにも記者が来ていたらしくあからさまに嫌な顔をされた。結婚の報告をすると好きにすればいいと言われた。結婚式には行けないと丁重に断られてしまった。
シンガポールからそのまま日本に向かう。知り合いの弁護士を通して未緒の父に面会の許可をとってもらっていた。彼は記事で見たような威圧的な雰囲気は消え失せ頼りないただの寂しい男に見えた。意外にも彼はジェフとの結婚を喜んでくれ娘を頼むとしきりに頭を下げた。結婚式と孫の写真を送ることを約束して別れた。
アメリカに戻り、未緒に報告すると複雑な表情をした。何か思うところはありそうだが上手く言葉にできないようだった。無理に言葉にしなくてもいいんだというと安堵の表情を見せた。
結婚式は身内のみで行うことになった。身重の未緒を気遣ったというのが一番の理由だが、本当に祝福してほしい人だけ来てくれればそれでいいと思ったら、そこに落ち着いたのだ。ただ、女性陣はテーブルクロスに至るまで妥協を許さなかった。その最たるものはウェディングドレスで花婿は見てはいけないと式まで絶対に見せてもらえなかった。未緒は女性陣の勢いに気圧されていたが、皆がしてくれるので楽だと笑ってされるがままにされていた。
式の当日は気持ちよく晴れ渡っていた。
最初の結婚披露パーティーは遺産を手に入れるための偽物だった。でも、今日は違う。本当の結婚式だ。ジェフは柄にもなく緊張していた。既に書類上は正式に結婚している。二人の愛を疑ってはいない。疑ってはいないが、それでも未緒が誓いの言葉を言ってくれるまで落ち着かなかった。昨夜は花嫁は式まで花婿と会ってはいけないとジェーンに連れ去られた。お腹に子どもまでいるのに、なんだかおかしかった。
未緒とジェーンは嫁姑というより、年の離れた姉妹のような感じに見える。昨夜、未緒がジェーンから何を聞かされたのか気になる所だが、ジェーンはそれほど僕の子どもの頃の話を知らないはずだから心配はいらないはず...だ。僕の覚えている限り、親戚に暴露されて恥ずかしい思いをするようなエピソードはないはず...だ。まぁ、いい。あったとしても未緒は笑って受け流してくれるだろう。
そんなどうでもいいことを考えながら、祭壇の前で未緒を待つ緊張を少しでもやわらげようとしていたが、オルガンの音が鳴った途端に否が応でも緊張が高まる。ゴクリと喉を鳴らして扉を見つめる。落ち着け、オルガンが鳴ったということは未緒があの扉の向こうにいるということなんだ。まさか、こんな日にいなくなったりしないだろう?
教会の扉が開く。
スマイリーが未緒をエスコートして静々と歩き始めた。未緒の顔はベールで隠されて見ることができない。未緒がゆっくりと一歩ずつ近づいてくるのをジェフは瞬きもせず、食い入るように見つめた。スマイリーから未緒を渡され手をとったところで漸くジェフは安堵した。牧師の声で祭壇に向き直る。
牧師の声は聞こえてはいた。聞こえてはいたが、隣に立つ未緒が気になって仕方ない。ベール越しに俯いているため、表情はわからない。ジェフが誓いの言葉を告げると、次は未緒の番だ。牧師が未緒に問いかけると未緒が答えるまでしばらく間があった。凛とした声で決然と告げるのを聞いて、やっと気持ちが落ち着いた。それとともに喜びが湧き上がってくる。これで本当に夫婦になれたのだ。
未緒も緊張していた。ジェフの誓いの言葉はゆるぎなく響いた。ジェフの愛を疑ってはいないけれど、本当に自分なんかでいいのだろうか。今も心のどこかにわだかまっている思いがある。母は式への出席を拒否した。母にも疎まれた子ども...。自分の考えがネガティブなものに傾いていくのに気づき苦い笑いがもれる。やめよう、前向きに生きると決めたではないか。全てを疑って誰も愛さないと決めたのは愛されたいと願ってもそれが叶わなかったからだ。愛しても愛されないことに傷つくのを恐れたからに他ならない。私はもう子どもではない。誰かを信じ、愛した責任はとれるはずだ。自分が信じた者に裏切られたら裏切りを責めることはあっても自分が信じたことを責任転嫁するのはやめよう。私はジェフが裏切ることは無いと信じているし、愛されていると思っている。それでも未来は誰にもわからない。人間だから、心変わりもあるかもしれない。あるかわからない裏切りを恐れるよりも心から信頼し、愛した人と未来を築けるチャンスに賭けたい。そう簡単に心変わりなんかさせるものですか!未緒は誓いの言葉を口にした。それは神様にジェフと生涯、幸せに添い遂げてみせると宣戦布告をした瞬間だった。
誓いの言葉が終わると、牧師が二人を向かい合わせ、指輪の交換になった。ジェフは、最初に適当に選んだ指輪ではなく新しいものを用意しようとしたが未緒は最初のものでいいと言い張った。最初の指輪も決して安物ではなかったが、ジェフの気持ちが違う。ジェフの気持ちは嬉しかったが、未緒は偽りの結婚だったとしても忘れたくなかった。辛いこともあったが、あの契約が今につながっていると思うとこの結婚指輪は愛おしく思える。ジェフに一生懸命説明したら、それもそうかと笑って同じ指輪にすることになった。
指輪の交換が終わり、牧師が結婚の成立を告げ誓いのキスを促した。ジェフが未緒のベールをあげるとジェフは驚いた顔をした。未緒のこめかみに傷がないのだ。あんなに治療を嫌がっていたのに?昨日会ったときには確かに傷はあったのに?ジェフが驚いて固まっているのを見て未緒は不敵な笑みをみせた。牧師がキスを促すので未緒はジェフの手を軽く引っ張って引き寄せると背伸びをして自分からキスをした。前代未聞の花嫁からのキスに牧師も列席者も目を丸くした。未緒は周囲の反応をものともせず、牧師に目配せをして続きを促した。