インターフォンがなったのでモニターを覗くとスーパーの袋を顔の高さに持ち上げテヘッと笑うキョーコがいた。久遠は急いでホールの施錠を解くと玄関のドアフォンが鳴るのを待ちきれず、外へ飛び出す。ちょうど上がってきたエレベーターのドアが開き中からキョーコが降りてきた。
「きちゃった。」
先ほどみたモニターと同じようにキョーコはテヘッと笑う。小首を傾げる様はなんとも可愛らしい。
「どうしたの?」
「ん?久遠が予定より早く帰ってこれそうってメールくれたから買い物してきたの。久しぶりにご飯作ろうかと思って。」
「そうなんだ。今日、会えると思ってなかったから嬉しい...けど、キッチン用品がないから、今日は外に食べに行かない?」
思いがけず、キョーコの顔を見られたことは素直に嬉しい。嬉しいけれど、二人きりの密室は非常にマズイ。久遠はどうにか外出できないか、苦しい言い訳を探した。
「大丈夫よ。調理道具がないのは知ってたから、最低限の物は買ってきたの。」
「えっ?!そういえば、ここまでどうやって来たの?」
手回しのいいキョーコに驚いたものの、それと同時に重いキッチン用品をここまでどうやって持ってきたのか、いや、どうやって来たのかが心配された。
久遠は『久遠』に戻ってすぐに借りたスタジオタイプのアパートメントにそのまま住んでいた。車があれば便利な立地にあったが、鉄道はないしバスもあまりない地域だ。タクシーで来たのならまだいいが、まさか遠いバス停から荷物を抱えて歩いてきたなんてことはないと思いたい。もう、夜も21時を過ぎている。本当はタクシーにも乗ってほしくない。久遠はキョーコの振る舞いにあからさまに不機嫌になった。
「大丈夫。ジュリ(アン)に送ってもらったから。」
「それでも俺がいなかったらどうしてたの?早く帰れそうとは言ったけど帰ってきたとは言ってないよね。来るなら来るって言ってくれれば迎えに行ったのに。」
「いなかったら、ジュリと引き返すか一緒に待ってたわよ。ジュリも久遠がインターフォンに出るまでちゃんと横にいてくれてたし...。ごめんなさい、迷惑だった?何かこの後に予定でもあった?驚かそうと思っただけなの...。」
伏し目がちにキョーコに見つめられて、久遠はドギマギしてしまう。警護のプロのジュリがいたと言うなら久遠が文句をつけるような危険なことはないだろう。ホールに入ってしまえばそこから部屋までは監視カメラがついている。もともと住人は身元がはっきりしていないと入居できないアパートだ。危険らしい箇所といえば、玄関ホールのドアが開いた隙に一緒に入ろうとする人間がいるかどうかくらいだが、ドアが閉まるまでジュリが一緒にいないわけがない。もしかしたら、キョーコがエレベーターに乗り、久遠の部屋に到達する時間くらいは計算してさらに数分は外にいたかもしれない。
「迷惑なんてあるわけないよ。ただ、本当に危ないことはしてほしくないんだ。ジュリがいたなら心配ないね。ジュリも寄ればよかったのに。」
「これからボブのところに行くんだって。久遠によろしくって言ってたわ。」
「あぁ、それなら仕方ないか。」
密室に二人きりは避けられそうもない。久遠は仕方なくキョーコを部屋へとあげた。キョーコはキッチンに直行すると袋から調理道具を取り出し、いそいそと食事の準備を始めた。
「久遠はコーヒーでも飲んでる?」
いつもならば久遠も野菜を洗うとかピーラーを使って皮をむくとか簡単なことは手伝っていたが、このアパートのキッチンは二人で使うには狭すぎる。そう長くは住まないと思っていたからとりあえず借りたアパートだ。お湯がわかせればそれでいいくらいでキッチンはどうでもいいと思っていた。
「えっと、とりあえずテーブルを片付けるよ。」
見ると、キッチン前のテーブルは鍵やら小銭やらが乗っているし、足元に靴が何足か転がっている。ソファーのほうのテーブルも台本やらの本が置いてある。キョーコはこの部屋には2回しか入ったことはないがその時より物が増えている気がする。
「くすっ。敦賀さんはこんな風に出しっぱなしにはしてなかったわね?」
キョーコは料理の手をとめずに言った。
「これが普通だよ。『彼』は品行方正な優等生だったからね。」
「これが普通なら、誰も入らない私生活まで『敦賀蓮』を演じてたなんて凄すぎて真似できません。」
「そんなこと真似しなくていいよ。キョーコはキョーコでいて。」
しゃべりながらも久遠は手早く片付けていく。といっても収納はあまりないので本は壁際につみあげられ、靴は玄関の横に並べられる。小銭や鍵はベッド脇のパーテンションの後ろに消えた。雑然と並べられているのになんとなくかっこよく、様になってみえるのは部屋の広さゆえか主の雰囲気のせいなのか...。
二人きりは緊張するけれど、久しぶりのキョーコの食事は美味しかった。食事のお礼にとお茶は久遠が淹れた。コーヒーを持ってソファーに行くとキョーコが微妙な位置に座っている。決して真ん中には座っていない。けれど端でもない。いつか社長宅で放り込まれた部屋のようにラブチェアというほど小さなソファーではないがそれでも久遠が座るにはスペースが狭い。密着とは言わないが今の久遠には辛い距離だ。ほんのちょっと頭を傾ければキスできる距離...。
久遠は大将の顔を思い浮かべながら、キョーコの隣に座った。キョーコの唇を意識しなければ会話自体はいつも楽しい。ただ、久遠が意識し過ぎなのか今日はキョーコが久遠の顔をのぞきこんだり、ちょっとしたときに腕や手に触れる回数が多い気がする。そのたびに久遠はドキリとしていた。
ふと時計を見るとそろそろ0時になる頃だった。やっと甘い拷問から解放されそうだ。久遠はキョーコを送っていきいつものように玄関のカギを開けると室内はまだ真っ暗だった。
「まだ、ジュリは帰ってないみたいだね。」
「泊まってくるかもって言ってたから。」
「そう、一人で大丈夫?」
「...えぇ、大丈夫よ。送ってくれてありがとう。コーヒーでも飲んでく?」
「あぁ、今日はこんな時間だしやめとくよ。」
一通り室内を見て異常がないか確認すると久遠は玄関へ向かった。いつも通りキョーコがカギをかけるのを確認するために外に出ると振り向いてドアを見る。
「じゃあ、またね。ちゃんとカギをかけてね。」
「えぇ。今日はありがとう...。」
挨拶はしたもののいつまでもキョーコはドアをしめようとしない。
「どうしたの?」
キョーコは何やら思案顔で一歩久遠に近づいた。久遠はふいに近づかれて、思い切りキョーコの顔を直視してしまい(正確には唇)慌てて視線を逸らす。そんな久遠を見てキョーコは内心でため息をつきながら「なんでもないの。気を付けて帰ってね。」と言って玄関を閉めた。
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ジュリアンはルームメイトです。秘密のデートからの登場人物になります。
男性ですがおつきあいするのも男性です。要人警護のプロフェッショナルです。
そしてキョーコに「きちゃった」を言わせたかっただけの回...。