キョーコが瞳から大粒の涙を流し始めてやっと久遠が我にかえった。と、同時にキョーコを抱き起こし腕にかかえこむ。
「どうしたの?何があったの?」
「久遠?本物?」
久遠の体温に包まれてようやくキョーコも実物だと認識した。それでも涙はとまらず、久遠にしがみつく。泣き出したキョーコをどうしていいのかわからず、久遠はただキョーコを抱きしめ背中をさすっていた。しばらくして泣き止んだキョーコに優しく声をかける。
「どうしたの、キョーコ?訳を聞かせて?」
「...。」
キョーコは久遠の腕の中で身を固くする。訳なんて言えるわけがない。
「夢なら抱きしめてもらえる...ってどういう意味?」
久遠は抱きしめた腕を少し緩めてキョーコの顔をのぞきこむ。キョーコはまさか現実だと思っていなかったから口にした言葉を久遠にかえされて目を丸くして息をのんだ。
「ねぇ、教えて。それとも俺じゃあ頼りない?」
「そっ、そんなことは...。」
「なら教えて。隠し事はなしだよ。」
隠し事と言われてキョーコはカチンときた。隠し事なら久遠のほうがしているのではないか。結婚の話が進むにつれて態度がよそよそしくなっていくのだから。
「久遠こそ何か隠していない?」
「...何も隠してなんかないよ。」
一瞬ドキリとしたが、どうにか顔に出さずに答えられたと思う。キョーコに隠しているのは大将との約束くらいだ。もうひとつはキョーコへの狂おしいほどの劣情だが、そんなこと敢えて言うことでもないだろう?
「嘘。何か隠してる。」
キッパリと目を見て言われ久遠はつい動揺してしまう。
「キョーコの考えすぎだよ。何を根拠に...。」
「だって、久遠おかしいもの。結婚が嫌なら嫌って言っていいのに。今ならまだ...。」
「それこそ!何を根拠に俺がキョーコと結婚したくないなんて思うんだ?!」
真剣に怒っている久遠に怖いというより、なぜ自分が怒られなければいけないのかとキョーコは無性に腹が立った。
「だって、私とは距離をとるじゃない。アパートにくるのを嫌がるし、自然に距離をとるし目もあわせようとしない。それに...。それに!ギュッもキスもしない!!!」
キョーコの言葉に今度は久遠が目を丸くする。
「俺のこと怖くないの?」
「なんで怖いの?」
「だって、前に俺がキョーコを傷つけたから...。ここで...。」
久遠の言葉にキョーコは眉を顰める。
「怖いと思う相手と結婚しようなんて思わない。指輪を受け取った時点であの約束はなくなったものだと思ってた。確かに私の意思を無視されるのは嫌だけど、それ以前に『触れていい?』なんて聞かれてもいないもの。だから!だから他に女の人がいるんじゃないかって...。」
最後のほうの声は小さくなっていく。
「他の女なんているわけない!俺がどれだけキョーコを傷つけないように我慢したか!」
「我慢なんてしなくて良かったのに。」
恥じらんだ表情でキョーコに上目づかいに見つめられ久遠の心臓を打つ音はありえないくらいに早くなった。
「...キスしてもいいの?」
キョーコは久遠の瞳の奥にくすぶった炎のようなものを見た気がした。抱きしめてはほしい。ほしいけれど『帝王久遠』はやっぱり苦手で気おくれしてしまう。それでも久遠の温もりを離すのは嫌だ。
キョーコは頷くとギュッと瞳を閉じた。
キョーコが無理をしているのはわかった。わかったけれど、嫌がられているのではないこともわかっている。それに久遠はもう限界だった。キョーコが自分の腕の中にいてキスをしていいと言っている...。
未緒やジェフではない、キョーコと久遠として...。
久遠はキョーコの唇にそっと触れるだけのキスをした。何度も何度も触れては離れ、離れては触れる。久遠の右手はキョーコの頬を撫で髪を梳くが左手は優しく腰を支えたままだ。ギュッと閉じられていたキョーコの瞳はいつのまにかただ軽く閉じられるだけになった。久遠の体温と唇だけを感じるだけで何も考えられない。キョーコが力を抜いたのがわかった久遠はその先に進む。触れるだけのキスから唇を軽くはみ始めると本能的にキョーコは口を開いた。久遠がその隙を逃すはずもなく舌をさしいれる。始めは優しく絡めていただけだが徐々に熱を増していった。
左手に重みがかかったことでようやくキスをやめ、久遠は腕の中のキョーコをみた。キョーコはくったりとして目を回している。
「キョーコ?」
「...息が...。」
どうやらどこで息継ぎをしていいかわからなかったキョーコが酸欠になったようだ。やりすぎたなと思うものの、そんなところもカワイイと思えてしまう。キスも何もかも自分が教えるんだと思うと何とも言えない喜びが湧いてくる。
「もう大丈夫?」
キョーコは金魚のように口をパクパクしていたがしばらくして落ち着いてきた。
「うん、平気。でも初心者なんだから手加減して!」
久遠はもう一度キョーコにキスをして耳元で「愛しているよ」と囁いた。キョーコは真っ赤になりながら「私も...。」と返す。一瞬、大将との約束なんてどうでもいいと思ってしまったがそれはキョーコのためにならない気がしてグッと我慢した。一度きつく抱きしめると、キョーコをベッドから立たせる。
「食事、作ってくれるんでしょ?」
「あっ、うん、そうだけど...久遠、何か隠してるでしょ?」
久遠の辛そうな表情を見てしまったキョーコは心配顔で聞いた。怒るでもなく問い詰めるでもないキョーコに久遠は本当のことを話そうと決心した。
「うん。話すから、とりあえずソファーにでも...。」
久遠がコーヒーを淹れてテーブルに置くとキョーコの横に座った。
「本当は今すぐにでもキョーコと愛し合いたいんだ。」
「?!」
驚くキョーコに久遠は苦笑する。
「でも、キョーコはそういう俺は怖いのかと思ってたから、ゆっくり慣れてもらおうかと思ってたんだ。なのに、キョーコが俺を誘惑するように無防備に近づいてくるから...。キョーコにそんな気はないんだろうけど、どうしていいかわからなくて...。ごめん、俺おかしな態度だったね。歯止めがきかなくなりそうで怖かったんだ。」
久遠の言葉にキョーコが全身を突然真っ赤にした。
「どうしたの、キョーコ?」
まさかキョーコのかわいい誘惑に久遠が気付いていたなんて恥ずかしすぎて声も出ない。いや、気づいたというのはおかしいのかもしれない。キョーコが無意識にやっていたことだと思っているのだから。何も答えないキョーコに『愛し合う』が刺激が強すぎたのかと思って久遠はそのまま話し続けた。
「俺たちは婚約してるし、キョーコが怖くないって言うならいいかと思ってしまったけど。でも、約束したんだ。」
「約束?」
「うん。大将とね、ちゃんとバージンロードを歩かせるって。それが約束できるなら教会でエスコートをしてくれるって。」
「?」
ピンときていないキョーコに久遠はもう一度言いなおした。
「だから、ちゃんとバージンのまま歩けるならって言ったんだ。」
「そっ、そんな約束いつのまに!」
「話のなりゆきだよ。ご挨拶に伺ったときにキョーコと女将さんが皿を下げにいったろう?あの時に教会でのエスコートを頼んだんだ。人前は苦手なのかな、それと娘をとられて癪に障ったんだろうな。嫌だって最初は断られたんだ。キョーコが喜ぶと思ってどうしてもお願いしますって言ったら、バージンでもないのにっておっしゃるから...。つい、言っちゃったんだ。まだバージンですって。そしたら、結婚式が終わるまでちゃんとバージンでいられるならエスコートしてやるって...。」
さっきから聞いていれば「バージン」と連呼され、父とも思っている大将とそんな話をしていたなんて破廉恥すぎる。キョーコはまた顔を赤くしたが、それはどうみても怒りのためだった。
「怒った?」
「当たり前でしょ!私のいないところでそんな破廉恥な話をしていたなんて!」
「でも、エスコートは大将にしてもらいたかったでしょ?俺もここまで待ったならちゃんとバージンロードを歩かせてあげたかったし。でも、あぁいうのを蛇の生殺しっていうんだろうね。あと3か月持つかな?」
「もう、知らない!!」