ぎこちなかった会話も何回か会ううちに打ち解けたものになりました。最初は警戒していたキョーコですが蓮と話すうちに次第に気を許すようになったのです。今では、蓮が話す陸の話を瞳をキラキラさせて熱心に聞き入ってくれるので、わざわざ蓮は面白い話を仕入れるために陸にあがるようにまでなりました。ただ、蓮がキョーコのことを聞こうとすると悲しげな表情になりそれ以上は聞けなくなってしまうのが気がかりでした。


なぜ、一目見ただけのキョーコにあれほど執着して探そうとしたのか自分でもわかりませんが幾度も会ううちに蓮にとってキョーコは大切な存在になっていきました。キョーコといると全てを受け入れてもらえるような安らぎがあるのです。それと同時に狂おしいほど焦がれる気持ちが湧いてきました。


キョーコが蓮のことを人間だと思っていることに蓮は気づいていましたが、自分も人魚であることを言うのはためらわれました。人間としても人魚としてもどっちつかずな自分は嫌われるのではないかと思ったのです。たくさんの人魚と恋をしてきて尾ひれのないことを人魚が気にしないことをわかっていてもです。人魚の恋は短く移り気です。キョーコとはそんな刹那的な恋で終わりにしたくありませんでした。それにキョーコが自分に恋をしているとは思えなかったのです。キョーコからキスも愛撫も求めてこないからです。初めて蓮は相手に請われるのではなく、自分からキスをしたいと思いましたがキョーコにそのそぶりがないために嫌われるのを恐れてできませんでした。心の中では邪な思いをかかえながらキョーコに会えることだけで満足だと思うしかありませんでした。


「次はいつ会える?」


キョーコは決まって夜が明け始める前に帰ってしまいます。人魚であることを隠している蓮はキョーコとともに海に帰ることはできません。


「次の新月の時に...。」


キョーコの返事はいつも同じです。蓮がキョーコと会えるのは明かりのない新月の時だけです。本当は毎日でも会いたい蓮ですが、キョーコは首を縦には振ってくれません。キョーコは蓮意外の人間を恐れているのです。蓮はキョーコが海に帰っていくのを見送ることしかできません。


キョーコは蓮から十分に見えなくなったのを確認すると伯爵の館のほうへ泳いで行きました。例の岩の囲いを回り込むと目立たない場所に小さな小屋があります。キョーコは周囲を見回して誰もいないのを確認すると海と陸の境界あたりに座り急いで尾ひれを脱ぎました。脱いだ尾ひれを拾い上げると二本の美しい足で立ち小屋に入ります。扉を閉めるとキョーコはそっとため息をつきました。


今日も蓮に会えたと思うと甘酸っぱい気持ちでいっぱいになります。

月に一度の蓮との逢瀬はキョーコの大切な宝物です。蓮に人魚であると嘘をついていることは心苦しいのですが、自分が人魚であるがために蓮が優しくしてくれると思うと真実をつげることはできませんでした。人魚をとらえようとする人間はいますが、蓮はただ話がしたいと言うだけです。屋敷からほとんど出たことのないキョーコにとって、この優しい時間がキョーコにとっては唯一の慰めなのです。


ふと気づくと小屋の中が明るくなりはじめ夜明けが近いことをつげていました。急いで部屋に帰らなければなりません。もう、ベッドに戻る時間はありませんでしたが蓮との時間の方が大切です。夜中に抜け出していたことが知れればお仕置きが待っています。自分だけなら我慢はしますが、病弱な養い親までもがお仕置きをされるのは我慢なりません。まだ裸でいたことに気づき慌ててメイド服を着て長い髪をきっちりと結いあげます。人間でいる時に肌を曝すなど死に値するほど恥ずかしいのですが人魚でいる時は不思議と平気なのです。蓮も特に気にする様子がないので人魚とはそういうものだと思っているのでしょう。人魚に恋をする人間もいると聞いたことはありますが蓮はそうではないようです。いえ、もしかしたら美しい人魚になら恋をするのかもしれませんがキョーコが相手ではそうならないのでしょう。そう思うとキョーコの胸は痛みますが、そのほうがかえってよかったと思えるのも事実です。何しろキョーコは人間であって人間ではない者なのです。蓮にふさわしいとは到底思えません。着替え終わるとキョーコは尾ひれを乾かすために紐にかけ小屋をあとにしました。




☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


この回の前半がコミックスの扉絵のつもりです (^∇^)




やはり、小夜子の捻挫は相当ひどかったらしく現場復帰は次回の受診まで持ち越された。また一週間デスクワークが決定し小夜子は不満顔だ。


「今はスタジオだけだからそんなに負担はないのに…。」


ブツブツという小夜子に社は苦笑いだ。まぁ、自分が小夜子の立場だったら同じことを考えたろうと思うと苦笑する。


「そうか。そんなに仕事がしたいのか。じゃ、御要望にはお応えしないとなぁ。」


ニンマリと笑って社は小夜子と事務所に戻るとこれでもかとデスクワークを渡した。リサーチのまとめ、雑誌のチェック、スケジュールの調整、パーティーの手配…。その他細々としたチームの他の担当俳優の分までおいていった。さすがに山積みの仕事にため息がでる。おそらくこれは普段、社がチーフとして行っている仕事なのだろう。これだけのデスクワークをこなしながら、チームのマネージャーの休日確保のために現場にも出ているのだ。その仕事量をみると、自分が無理矢理チームに入れてもらったことが申し訳なくなる。それならば少しでもチーフの負担を減らしたい。いつかチーフを越えるほどの実力を身につけたい。いや、つけなければいけないと思う。小夜子はテキパキと仕事を片付けて行ったが、終業時間になると誰かしらやってきて小夜子の仕事を取り上げるのだ。キリのいいところであがるからというのだが問答無用で帰らされる。


その日は集中したい仕事があって小夜子は誰にも邪魔されないように自分のデスクではなく別室のミーティングルームに籠って仕事をしていた。終業時間を30分くらいして慌てた様子のスタッフが駆け込んできた。


「こんなとこにいたんだ!さぁ、帰る用意して!」


小夜子はキョトンとしてスタッフを見上げた。


「どうしたんですか、そんなに慌てて…。もう時間ですか?あと少しで終わりますから、そうしたら帰ります。」


「いや、もう30分も過ぎてるから!しかも、まだやるなんて!お願いだからもう帰って!!」


スタッフの話し方が懇願にかわる。なぜ30分やそこらの残業でこんなに焦っているのかわからない。怪我する前は深夜まで残業することだってあったのだ。


「本当にあと少しなんですよ。また、ひろげるのを考えたら今日終わらせた方が効率いいですから。」


「それなら広げたままでいいから。」


あまりにしつこく言われるので小夜子は諦めて退室するため片付けをはじめた。


「いえ、そんな。明日、この部屋使いますよね。片付けてから帰ります。」


「!」


スタッフは顔面蒼白になって小夜子の手を止めた。


「本当、もうそんなこといいから!一刻も早く帰って。でないと社チーフに氷漬けにされるから!俺が!!」


「氷…漬け…ですか?」


「そうだよ。知らない?チーフのブリザードは凄いよ。みんなチーフに宮津さんを定時に帰すように厳命されてるんだから。」


ブリザードの威力は知らないけれど、なるほどそんな指令が出ているから誰かしら定時に現れていたんだ…。小夜子が早く現場復帰したいのも、社の負担を減らしたいのも、残業を厭わないのも、仕事を与えておかないと現場へ行ってしまうのもよくわかっているのだろう。だからこそ、山ほど仕事を渡しておきながら、定時に帰すよう誰かしらお目付役をつけていたのだ…。なんだか子ども扱いされているようでもあり、小夜子の性格を理解しているともいえる。少しばかりひねくれてしまってはいるが、根が優しいのはよくわかる。


ふと気がつくと、帰れと促しにきたスタッフが頬を染めて惚けている。


「どうかしましたか?」


「…あっ、その、やっぱり…。」


しどろもどろで今度は顔が真っ赤になった。


「どこか具合でも?」


「あー、いや、やっぱり綺麗だなって思っただけだよ。」


「はい?」


何故、ここで突然そんなことを言い出すのかわからなず小夜子は怪訝な顔になる。


「あっ、口説こうとかそんなんじゃなくて。さっきの…はにかんだっていうのかな?凄いかわいかったから。」


はにかんだなんて、そんな顔なんで?何考えてたっけ?小夜子はついさっきの己の思考を辿る…。


チーフ???


その考えにいきあたって今度は小夜子が真っ赤になった。




蓮はあれから魔女の使いがなくても時間をみつけては例の陸へあがりました。オレンジの髪の人魚を探すためです。日によっては海から探すこともありました。近海の人魚達に聞いては見ましたが誰も知りません。1年前に聞いた『人魚を飼う伯爵』というのも気になって岩の囲いも行く度に確認しましたが一度も人魚がいるのは見たことがありません。もう諦めようかと何度も思いましたが、どうしても諦めることができなかったのです。


強い風がいつの間にか雲を全て流してしまい、月が顔を出します。雲はなくなりましたが風はやまず、海は時化ていました。

蓮はおなじみになったルートをたどります。最初に伯爵の岩の囲いを、次に浜辺を町に向かって歩きます。人魚が座っていた岩場の前では立ち止まりしばらく目をこらしてオレンジ色を探します。なんとなく立ち去りがたくてあと少しあと少しだけ待ってみようと思っていたときでした。波間にオレンジ色がチラリと見えたかと思うとすぐに沈んで見えなくなりました。あまりにも会いたいと思っていたために見えた幻かと思えるほど長い時間がたったとき、岩場に人魚が身をのりだしているのが見えました。


「あっ...。」


蓮は思わず声を出してしまいました。強風の中で聞こえるはずもないような小さな声でしたが、人魚も蓮に気づいたようです。お互いにしばし見つめあっていましたが、やがて人魚が顔を背け海に戻ろうとしました。


行ってしまう...と思ったその時、蓮は今度は大きな声で呼びかけました。


「待って!行かないで!」


蓮の懇願とも言える声音に人魚は動きをとめ、もう一度蓮のほうを見ました。悲しげな表情を見せると首を左右に振り、再び海に戻ろうとしました。


ようやく会えた人魚が目の前にいるのです、蓮は必死でした。服が濡れるのもかまわず、海に足を入れました。そのまま人魚のもとへ歩をすすめます。驚いたのは人魚です。時化ている海ではそれ以上すすめば溺れてしまいます。


「来ないで!危ないから!」


蓮は初めて聞いた人魚の声に動きを止めました。


「なら...どこへも行かないで。何もしないから...。ただ話がしたいんだ。」


人魚は岩場に掴まったままじっと蓮を見つめました。本当は人間には近づきたくありません。人魚に危害を加える者もいるからです。長い間、人魚が動かないので焦れた蓮は人魚に向かって歩きはじめました。


「わかった。わかったから動かないで。」


蓮は人魚の承諾を得るとその場で立ち止まりました。


「俺は蓮。君は?」


「私は...キョーコ。」


その日から蓮とキョーコの逢瀬がはじまりました。