舞踏会の日は雲一つなく晴れ渡っていました。


満月も低い位置にありいつもより大きく、屋敷をこうこうと照らしています。これではいくら遠いとはいえキョーコの顔が見えてしまいます。招かれた貴族たちは使用人の顔など覚えていないでしょうが、使用人たちは違います。人魚の正体がキョーコだと知れてしまったらと思うと恐ろしくてなりません。


キョーコは人間の年で言うと3歳と少しです。ですが姿形は16~17歳くらいになっています。なぜ、人間と違った時間が流れているのかはキョーコにはわかりません。わかるのは人ではないということだけでした。


キョーコは3年前に浜辺にたった一人でいたところを養い親にみつけられたのです。周囲には身元を推測できるようなものは何一つありませんでした。服や産着もなく裸でした。ただ、キョーコのまわりには鱗のようなものがたくさん落ちていましたが魚のそれにしては大きなものでした。子どものいなかった夫婦は喜んでキョーコを連れて帰りました。見つけた時は確かに赤ん坊だったのです。ところが赤ん坊はたった1年で言葉を話し3歳児くらいの大きさになりました。


男親は気味悪がり、キョーコを海へ捨てようとしました。もともと浜辺で拾ったのですから海へ返せばいいと思ったのです。ところが女親は反対しました。すでに我が子と同じように愛していたからです。男は女の目を盗んでキョーコを連れ出しました。海へ投げ入れるとキョーコは沈んでいきました。実際は沈んだのではなく潜っていただけなのですが、男の目には沈んだように見えました。さすがに少しばかり可愛そうにも思い、しばらく男が海を見つめているとキョーコが波間から顔を覗かせました。そしてスイスイと泳いで見せました。本当の親が迎えに来ることを恐れた夫婦はなるべくキョーコを外へ出さないようにしていたのです。ですから海の側で暮らしてはいましたが、その日までキョーコが海で泳ぐことはなかったのです。なぜこうも見事にキョーコが泳げるのかは男にはわかりませんでした。


キョーコがいなくなったことに気づいた女親が男を見つけると男は呆然としていました。視線の先を追うとキョーコが泳いでいます。女も驚きの目で見つめましたが、男と女の驚きの意味は違いました。男はますます気味悪く思い、女は生きていたことに安堵したのです。


やがて男と女の心は離れてしまいました。女はキョーコに危害を加えられるかもしれないと思い二人でコッソリと家を出ました。2歳になるとキョーコは7~8歳に見えました。早すぎる成長のために1か所にとどまることができません。女は日雇いの仕事をしながら小銭を稼ぎました。泳ぎがうまいことから、時折人魚のフリをして木戸銭をとったりもしました。人魚のひれにはキョーコを見つけたときに浜辺に落ちていた鱗のようなものを縫いつけてそれらしく見えるようにしました。とはいえ、足が透けて見えるので見物人は泳ぎの上手な子どもの見世物と思っていました。


そこへ噂を聞きつけた伯爵がやってきたのです。伯爵は養い親とキョーコが見たこともない大金を差出ました。はじめ養い親は不安を覚えましたがお金の誘惑には勝てませんでした。そのお金があれば各地を転々としながらもひもじい思いをさせなくて済みます。養い親は2か月だけ伯爵のもとで人魚のフリをすることにしました。


伯爵は高価な布を用意しました。丈夫で薄く透けません。それで尾ひれを作ると本当に人魚のようでした。さらに例の鱗を縫い付けるとどこからどう見ても人魚に見えました。余興を見せた貴族には本物とも偽物とも言わず曖昧な返事で誤魔化しました。それぞれに思わせておいたほうが楽しめるからです。真偽のほどはわかりませんが貴族たちは大いにこの余興を楽しんだのです。使用人にも極わずかの者だけにしかわからないようにしました。どこから漏れるかわからないからです。


そうこうするうちにキョーコの養い親が病に倒れました。伯爵はここぞとばかりに養い親の面倒を見てやりました。キョーコを引き留めるためです。キョーコは大きな瞳にオレンジの髪、肌理の細やかな肌で美しい子どもでした。伯爵はいずれ大人になったら夜伽を務めさせる気でした。2か月の約束などはなから守る気はありませんでした。


ところがキョーコは1年で大人になってしまったのです。気味が悪く夜伽どころではありません。病の養い親と気味の悪いキョーコは厄介者でしかありません。追い出そうとも思いましたが、人魚の余興の評判が良く手放すのがおしいのも事実でした。それにキョーコは手先が器用で裁縫も料理も上手でした。伯爵は養い親の面倒の見返りに人魚の余興と使用人として働くことを約束させました。


そんな訳でどんなに危険でもキョーコは余興を拒むことができなかったのです。

アタフタと片付けやら何やらしていたら結局、定時から一時間もたってしまっていた。小夜子を呼びにきたスタッフは社に氷漬けにされると戦々恐々としていた。小夜子はもしそんなことになりそうになったら、きちんと説明するから大丈夫だと請け負った。それで許されるとはとても思えないが、援護射撃はないよりあったほうがいいに決まっている。スタッフは遠い目でその時は頼むと乾いた笑いを浮かべた。


「あっ、タクシー呼ぶからちょっと待っててくれる?」

「そんな!もう松葉杖にも慣れましたし電車で帰りますから。」

「それこそとんでもない!仕事中の怪我だから経費で落としていいって言われてるんだから、タクシー使いなよ。昨日だって使ったろう?」

「昨日は総務の方が同じ方向に用事があるっていうからご一緒しただけです。その前も誰かしら同じ方向でしたから…。」

そこまで考えて気づいてしまった。偶然でなかったことに…。

「みなさん、気づかってくださってたんですね。今頃気づくなんて…。」

「やだな。いいんだよ、全然。みんなの方が同乗できて助かったんだから。」

「まさか、タクシーもチーフの指示ですか?」

「まぁ…ね。ホント気にしない!宮津さんじゃなくても同じ立場ならうちの会社だとみんなタクシー使わせてもらえるから。そんなに気になるなら治ったらバリバリ働いてくれればいんだからさ。」

「はい…。わかりました。」


これ以上は何を言っても聞いてもらえないだろう。みんなに気をつかわれた分は、治ったら取り返そう…。そう思って小夜子は大人しくタクシーに乗った。相乗りするようなスタッフはいずひとりでタクシーに乗りマンションまで帰る。親切な運転手で部屋まで送ろうかと言われたが、スロープがあるので大丈夫だと断って運転手を帰した。

スロープを上がろうとしたところで松葉杖が滑り支えきれずにバランスを失った。小夜子はすんでのところでスロープの手すりに掴まり事なきを得る。少し捻挫した足に体重をかけてしまったが痛みはない。どちらかというと慌てて掴んだ拍子に手すりにぶつけた腕のほうが痛い。松葉杖にはだいぶ慣れたし、このスロープは何度も上り下りしている。急いで駆け上がったわけでもないのになぜ滑ってしまったのか。

気がそれていた…といえば思い当たる節がないわけではない。先程の自分の反応を考えていたのだ。見て見ぬ振りをしたい気持ちと認めてしまってもいいのじゃないかと思う気持ち…。そんなことを考えている時点で既に答えはでている。小夜子は深く息を吸って吐いた。いつまでもここで手すりに掴まっていても埒があかない。松葉杖を拾って立ち上がろうとするとスロープが濡れていた。これが滑った原因かと苦笑いがもれる。今日は雨は降っていない。マンションの管理は行き届いているほうだ。子どもがいたずらでもしたのかと思ったがよく見るとただの水ではないようだ。油?それこそなぜだかわからないが、真相が知れれば案外たいしたことはないものだ。小夜子はそれ以上はあまり考えずに部屋へ戻った。物陰に潜んでいた者には気づかずに…。



「どうかした?」

あれから二週間たち、小夜子は現場復帰した。松葉杖もなくなり今はテーピングだけで歩くことができるようになった。スマホを手に怪訝な顔をしていた小夜子に蓮が声をかけたのだ。

「いえ、最近迷惑メールが多くて。中には脅迫めいたものまであって…。アドレスをかえるといっても仕事関係のもありますし、どうしたものかと。」

「脅迫って、どんなの?」


今度は蓮が怪訝な顔で小夜子のスマホを覗き込んだ。

「どんなって…。こんな感じです。」

ほとんどが振り込め詐欺的なものやアダルト系だったが、確かに脅迫めいたメールもあった。ただのチェーンメールにも見えるが…。

小夜子はため息をつくと、その場を明るくするべく笑って言った。

「まぁ、放っておくしかありませんね。こちらが返信しなければいいことですし。」
「社さんか社長に言ったほうがいいんじゃないか?」
「この程度のことで?大丈夫です。相手が知ってるのはメアドだけで住所や名前を知ってるわけじゃないんですから。」
「でも…。」
「わかりました。これ以上酷くなるなら報告します。さっ、そろそろ移動しないと。」
「あ、あぁ。」
蓮はどうにも不安が拭えなかったが撮影が再開されウヤムヤになってしまった。


蓮がまたしても帰国している間、小夜子は事務仕事を片付けていた。足はすっかり完治している。怪我が治るまでの間にかけた迷惑を返そうといつもの倍も働いていた。小夜子の背中からはバリバリといった効果音が聞こえるのではないかと思うほどだった。実際は迷惑なんて全くもってかかっていない。それどころか小夜子が事務仕事をサポートしてくれたおかげでいつもより楽ができたくらいだ。迷惑がかかったといえば社くらいで、その社だって小夜子のおかげでいつもよりも事務の負担は減っていた。元々、現場が好きなのだ。しかも蓮の現場で、小夜子には申し訳ないが昔に戻ったようで楽しかったのだ。


そんなことは知らない小夜子は肩をたたかれて顔をあげた。見ると他のチームのチーフだった。とはいえ、社よりも10歳は年上だろうか。社は現役チーフのなかで最も年少だ。

「宮津さん、もうやめたら?随分遅いよ。」

「えっ?」

時計を見ると21時を回っていた。いつの間にという顔をした小夜子にチーフは笑いかけた。

「やっぱり気づいてなかったんだ。そろそろ帰ってくれないと俺が文句を言われるから。」


確かに社とは約束した。残業は21時までと。だが何もスタッフを見張りにつけなくてもいいではないか。少し熱が入りすぎて気づくのが遅れたけれど、自分で気づけたはずだ、多分。もう怪我は治っているし問題ない、そもそも残業時間を決められたことじたいが納得いかない。他のスタッフはもっと遅くまで仕事をしている者だっているのだ。


「なんで子ども扱い…。」

小さなつぶやきだったがチーフには聞こえてしまったらしい。苦笑いしている。

「だってそれは仕方ないんじゃないかな?宮津さんには前科があるからね。」

「前科って…。」

小夜子は足が治ってからありもしない遅れを取り戻そうと現場から戻ってきて事務を片付けていた。日付けが変わっていても御構い無しだ。それを3日続けたところで社に見つかって大目玉をくらったのだ。

「あれは反省しました。もうそんなことはしません。」

「それに社は子ども扱いなんてしてないよ。東京は安全な町だけど犯罪がないわけじゃない。女性として扱ってるんだよ。」

「それは対等に仕事ができないって思われてるってことですよね?」

「そうきたか。そういう風にとるってことはやっぱり子ども扱いされても仕方ないね。」


小夜子は少し考えてから、ごめんなさいと言った。しおらしいその姿に本気で謝っているのがわかる。勝ち気な割りには、ちゃんと非を認められる小夜子はこの先伸びるだろうと思われる。社が可愛がるのも無理はない。

「さぁ、わかったら今日は帰るんだ。気をつけてな。」

「はい、失礼します。お疲れ様でした。」


小夜子はデスクを片付けて荷物をとりにロッカーに向かう。ロッカーに鍵をさすと回す前に開いてしまった。不審に思って中を覗くと小夜子のジャケットがビリビリに破られていた。呆然としてジャケットを眺める。ご丁寧に予備のストッキングやら化粧品などもめちゃくちゃになっている。どうしたものかと考えあぐねたが、使い物にならなくなったものは仕方ない。ゴミ箱にいれようとして手をとめる。ここで捨てたらどう見ても不審物だ。明日、何か袋を持ってきて家で捨てよう。問題は誰が何故そんなことをしたかだ。事務所の人間がそんなことをしたとは思いたくないが、芸能事務所という場所がら警備は厳重だ。全く関係ない者がこんな奥まで入ってこられる訳がない。それに恨まれるような覚えがない。

私が優秀だから?美人だから?我ながら馬鹿な考えだとは思うが何か違う。あと考えつくのは敦賀蓮の担当だからくらいだが、これもどうかと思う。一般人なら嫉妬の対象かもしれないが業界人ならどうだろう?やっぱりわからないなぁなんて呑気に構えて事務所をあとにした。

「キョーコ、ドレスにレースはつけ終わったわよね?」


家政婦頭に言われてキョーコは今夜のディナーの下準備の手をとめます。


「次の舞踏会までにとおっしゃっられませんでしたか?」


家政婦頭は大きなため息をつきました。


「えぇ、でもわかっているでしょう?」


「明日...明日には仕上げますので...。」


「まったく...愚図なんだから。明日の朝一番には絶対に仕上げておくのよ。でないとこっちが、とばっちりをくうんだから。」


「はい、必ず。」


いつもなら、言いつけられれば期限まで間があってもすぐに手をつけるようにしています。伯爵夫人はその時の気分でコロコロと言うことが変わるからです。期限なんてあってないようなものでした。期限より先に仕上げてもやり直しということも多々あります。でも、昨日は新月で蓮との約束の日だったのです。どんなに奉公が辛くても寝る時間がなくなろうとも大切な時間を台無しにはしたくありません。


伯爵たちのディナーが終わり食後の団らんにキョーコは呼ばれました。伯爵夫人から直接お小言を言われるのかと気が気ではありません。伯爵夫人に比べれば家政婦頭の嫌味などかわいいものです。


キョーコを呼んだのは夫人ではなく、伯爵本人でした。


「キョーコ、今度の舞踏会ではお前の余興をお見せするんだ。」

「えっ?!今度の舞踏会は満月です。」

「だから?余興が良く見えてよいだろう?」

「でも...。」


満月ではキョーコの姿がよく見えてしまいます。余興について知っているのは伯爵と伯爵夫人、それに執事長と家政婦頭の四人だけです。他の使用人はキョーコの余興については何も知らないのです。知らないがために舞踏会の忙しい日になぜか決まって具合が悪くなり仕事ができないキョーコへの風当たりは強くなります。かといってキョーコの正体がわかってしまえば化け物として屋敷を追われかねません。正体を知る者は少ないにこしたことはないのです。キョーコ一人が追われるのならまだしも病弱な養い親を見捨てるわけにはいきません。


「わかったな?」


伯爵はキョーコを一瞥するとこの話は終わったとばかりに手を振り退室を促しました。最初からキョーコの意見など聞く気は毛頭ありません。仕方なく部屋をあとにしましたがどうしてよいかわかりません。いえ、やれと言われればやるしかないことはわかっています。それでもしないですむ方法を考えますが何も思いつきません。キョーコはとりあえず部屋に戻ると、伯爵夫人のドレスにレースをつける作業をはじめました。