カタヤマさんの稽古では、ここの所、四つ玉の稽古が進んでいます。

 手順を構成する個々の方法の事を「手」と言い、特徴的な「手」は考えた人の名前を前につけて「~の手」という言い方をします。

 四個から一個になる方法は、荒井晋一師の手。
 一個から四個になる方法は、ジョニー広瀬師の手。
 どちらも難度は高めですが、決まると鮮やかなものです。


 好みの問題ですが、私的にステージマニピュレーションはクロースアップより楽しいのです。
 カタヤマさんに「はるかに楽しいですよ」と言ったら、「バカじゃないの」と言われました。

 いやーそうですよねー、と思わず喜んでしまう所が、やっぱりバカだと自分でも思う訳で。
 昨日は、マジックバー「うさぎ家」に出演。
 木曜日でしたが、忘年会シーズンのためか回転が良く、15分の演技を10回演じました。

 マジックブームの頃はいつもそんな感じだったのですが、最近は来客や在店の時間が変わってピークが短くなっていたので、平日にこの回数はひさしぶりです。
 客席のノリもよく、なかなか充実した日でした。

 ステージの場合は、演技時間も長く、一回に使うエネルギーも大きいので、そんな長時間ではかなりペース配分を考えないと保たないのですが、テーブルの場合はずっと演じっぱなしでも、それなりに保ちます。
 もっと言えば、隣のテーブルの会話を邪魔しないように調節しながら演じるため、なかなかフルパワーが出せないんですね。
 周囲の音の大きさによって声量を変え、視線で「どこまで巻き込むか」を決めて、反応が大きくなりすぎていればセーブして、など、それなりに気をつかう項目はあります。

 これが例えば、ショースタイルのクロースアップでは、観客も多く演技者にパワーが必要なので、かなり異なる演じ方になります。
 同じクロースアップマジックと言われる分野でも、仕事の形態によって中身は様々です。
 12月の第一、第二週は、忘年会のシーズン。
 分野にもよりますが、マジシャンの出番も多くなります。私もおかげさまで、今週いっぱいは忙しくさせていただいてます。

 そして、年末にかけてはイベントがある……のが例年のスケジュールだったはずなのですが、昨年と今年はこのイベントが非常に減っているので、第三週がぽっかり空いた形になっています。

 練習中毒なマニピュレーターの場合、こういう比較的まとまった時間がとれる場合は、何か集中して稽古したくなる訳です。

 来週の目標として、指の伸筋を鍛える事にしました。
 伸筋は、関節を「伸ばす」ための筋肉で、曲げるための屈筋とセットになっています。ただ、強さから言うとだいたい屈筋の方が強く、特に手や指では伸筋を使う機会が生活の中であまりありません。
 
 それだけに、うまく使うと、普通はできないような動きができるようになります。
 古武道や中国拳法、特に「秘技」の多い合気柔術や内家拳では、この普段使わない筋肉を精妙に使う事で他流派にない独特な技を繰り出すのですが、それは鍛えにくい筋肉のため鍛錬方法も独特なものになります。

 指の伸筋(といっても、実際に筋肉があるのは前腕なのですが)の動きは、腱鞘炎を起こしやすいので、急に練習するとすぐに手をいためます。
 他の運動と同じように、温めてストレッチをした後、品物を持ち、最初はゆっくり、だんだんスピードを上げて負荷をかけていきます。

 いきなり練習量を増やさないのが肝心。
 特に冬は気温が低いので、体が起きていない時には注意が必要ですね。

 毎日やって、週1日は休む感じで、少しずつ運動量を増して技を鍛えていきます。
 まあ、その一週間だけでは、どうという訳でもないのですが、要は「習慣づけ」をする事で、いつでも筋肉を使えるようにするのが大切な訳ですね。
 物を観客にわからないようにこっそり持っている事。
 これはパームと呼ばれています。「掌」の事ですね。
 別に手のひらにあるとは限らず、実際にはとんでもない場所にあったりするのですが、慣習的にそう呼ばれています。
 マジシャンが物を隠すのは、一種の常識ではあります。このため、「手を見せて」と言われる事はよくあります。たいていは見せても大丈夫なのですが、途中で何度も言われるとリズムが崩れるので、演技がやりづらくなります。

(体験上、これは観客の国籍によって明確な差があります。私の知る中では、中国人の観客が必ずと言っていいくらい言いますね。そういうものなので、もしも言われてもびっくりしないよう(苦笑)。)


「手を見せて」と言われた場合の対応をひとつ。

 疑われた方の手から、もう一方の手に渡す演技をして、マジカルな演技で手を開いて、消えた事を見せます。

 要するに、パームしたものを消してみせた、という演技をする訳です。
 実際には「何もないものを消した」のですが、これが「何も起きていない」と認識されるまで、微妙な混乱と笑いが起きる時間が生じます。
 疑っている観客には幻の消失現象、そうでない観客にはギャグです。

 このジョークは、パームをしていない時だけでなく、している時でも同じように使えるのが便利です(笑)。
 どちらにしても、一回やっておけば「手を見せて」と言われなくなります。「どうツッコんでも対応される」という印象が生まれる訳ですね。

 その後は何事もなかったかのように、そのまま演技を続けます。
 マジックは「すごい事がおきる」芸能ですが、「そう見える」ものと、「本当にすごい事をやってる」ものが混在しています。
 とんでもない練習の末に獲得した技術、長年の研究の末に生み出された道具など、マジックの全部が「すごく見えるだけ」と思われているのが、ちょっと心外だと思う事もよくあるのです。
 すごさの本質は曖昧です。それは観客がすごいと思うかどうか、という、言ってみれば受動的なものです。


 マジックは、タネがあるのがあたりまえなものですけど、そこで「観客が疑いの目で見る」という、ちょっと奇妙な事が起きます。
 演じているマジシャンからしてみれば、「疑うも何も、前提としてマジックって言ってる訳だし」という、「前提を理解してくれていない」と感じる事ではありますが…… 

 よく考えてみると、この疑いは「本当にすごいのか?」という疑いではないか、という気もするのです。
 別の言い方をすると、疑うとはつまり「これは子供のおもちゃとして誰でも買えるものに、自分は騙されて恥をかいているんじゃないのか、大人としてはせめてそう簡単に騙されないという姿勢だけでも見せておきたい」という事でしょう。
「だからこれは誰でもそう見えるように苦労して作ってる芸能だし最初からそう言ってるんだけど」、というマジシャンの想いとは、相当なズレが生まれているケースです。

 この「大人のプライド」は、実は中学生から老人まで幅広く存在している、というのがミソです。自意識やコンプレックスにかかわる問題なんでしょうね。

 もちろん、大人になると何でもわかるのか、というとそんな事はありません。
 幼児は先入観のなさゆえ、直感や五感が優れているという事を現場でよく体験する身としては、子供を騙す方が大変だと思うんですけど、まあ、それは置いておいて。



 すごい人が本当にすごい事をやっている、という事を納得できれば、「ぜんぶあの人がすごいんだ」という事で納得する、という問題なのでしょう。

 これは、第一印象の作り方でも、かなり変わります。

 マニピュレーターは器用の極地みたいなフラリッシュを見せ、メンタリストは目の下を黒く塗って恐い顔で演技し、イリュージョニストは豪華な衣装で立派な道具を見せる。
 そんな、不思議さと関係ないような所で説得がなされてる訳です。

 よく考えたら、そっちで納得する方がよっぽど騙されてるんじゃないのか、それこそ詐欺の常套手段でしょうに、と皮肉に思うのですけど・・・・

 まあ、それはそれで大切な要素なんでしょうね。第一印象は後々まで残ります。
 おそらく説得力の半分くらいは、この見た目に騙される事で生まれているのではないでしょうか。

 そんな見た目の強調を積極的に取り入れるマジシャンも居れば、排除する事で「既存のイメージからの脱却」を狙うマジシャンもいます。

 どちらのイメージ戦略も、うまく行くかどうかはその人の雰囲気による所です。


 え?私はどうかって?

 試行錯誤してみてますけど、なかなかピタっとハマらないんですよね、その手のイメージ戦略。
 やっぱりこれは、外から見てプロデュースする方が的確にできるものなんじゃないかな、と思う所ではあります。