マジックは「すごい事がおきる」芸能ですが、「そう見える」ものと、「本当にすごい事をやってる」ものが混在しています。
 とんでもない練習の末に獲得した技術、長年の研究の末に生み出された道具など、マジックの全部が「すごく見えるだけ」と思われているのが、ちょっと心外だと思う事もよくあるのです。
 すごさの本質は曖昧です。それは観客がすごいと思うかどうか、という、言ってみれば受動的なものです。


 マジックは、タネがあるのがあたりまえなものですけど、そこで「観客が疑いの目で見る」という、ちょっと奇妙な事が起きます。
 演じているマジシャンからしてみれば、「疑うも何も、前提としてマジックって言ってる訳だし」という、「前提を理解してくれていない」と感じる事ではありますが…… 

 よく考えてみると、この疑いは「本当にすごいのか?」という疑いではないか、という気もするのです。
 別の言い方をすると、疑うとはつまり「これは子供のおもちゃとして誰でも買えるものに、自分は騙されて恥をかいているんじゃないのか、大人としてはせめてそう簡単に騙されないという姿勢だけでも見せておきたい」という事でしょう。
「だからこれは誰でもそう見えるように苦労して作ってる芸能だし最初からそう言ってるんだけど」、というマジシャンの想いとは、相当なズレが生まれているケースです。

 この「大人のプライド」は、実は中学生から老人まで幅広く存在している、というのがミソです。自意識やコンプレックスにかかわる問題なんでしょうね。

 もちろん、大人になると何でもわかるのか、というとそんな事はありません。
 幼児は先入観のなさゆえ、直感や五感が優れているという事を現場でよく体験する身としては、子供を騙す方が大変だと思うんですけど、まあ、それは置いておいて。



 すごい人が本当にすごい事をやっている、という事を納得できれば、「ぜんぶあの人がすごいんだ」という事で納得する、という問題なのでしょう。

 これは、第一印象の作り方でも、かなり変わります。

 マニピュレーターは器用の極地みたいなフラリッシュを見せ、メンタリストは目の下を黒く塗って恐い顔で演技し、イリュージョニストは豪華な衣装で立派な道具を見せる。
 そんな、不思議さと関係ないような所で説得がなされてる訳です。

 よく考えたら、そっちで納得する方がよっぽど騙されてるんじゃないのか、それこそ詐欺の常套手段でしょうに、と皮肉に思うのですけど・・・・

 まあ、それはそれで大切な要素なんでしょうね。第一印象は後々まで残ります。
 おそらく説得力の半分くらいは、この見た目に騙される事で生まれているのではないでしょうか。

 そんな見た目の強調を積極的に取り入れるマジシャンも居れば、排除する事で「既存のイメージからの脱却」を狙うマジシャンもいます。

 どちらのイメージ戦略も、うまく行くかどうかはその人の雰囲気による所です。


 え?私はどうかって?

 試行錯誤してみてますけど、なかなかピタっとハマらないんですよね、その手のイメージ戦略。
 やっぱりこれは、外から見てプロデュースする方が的確にできるものなんじゃないかな、と思う所ではあります。