幼稚園から小学校くらいの子供にマジックを見せていて思う事に、「なんて視力がいいんだ」という事があります。

 先入観がないから見逃さない、というのもあるのでしょうけど、それ以上にシンプルに「目がいい」のです。

 私は現在は眼鏡をかけていますが、幼稚園の頃はかなり視力が良く、日中によく「人工衛星」を見たものです。南の高い空を一直線にきらきらと輝きながら過る何か。
 それは大人には見えないのですが、児童たちは見ることができました。
 もっとも、当時の園児達は「UFOだ」と信じていたのですが。

 率直で目のいい観客である子供達は、うまく乗ってくれれば、ものすごく反応のいい観客です。
 同時に、大人には見えない小さな物事を的確に見ることができる、キビしい人々でもあります。

 よく、マジックバーで簡単なマジックをお客さんに覚えてもらうと、「これはウチの娘に見せると尊敬されるね」とか言われるのですが…

 どうなんでしょうか。
 おそらく、家族は父のウソを様々な角度から見破る名人たちだと思うのです。
 妻はもちろんですが、子供の能力をあなどってはいかん、と思う所です。
 馬刺。
 これはマジックバー「ぽいんと」のパーティーでの、隠れた名物メニューです。
 普通の精肉店にはなかなかないものですが、ママが熊本出身なので、冷凍ではなく生のものを地元から仕入れています。
 サシが奇麗に入った霜降り。

 ときどき、おすそわけをいただくのですが、これを「食べ方はどうすると美味しいんですかね」と聞くと、ママ曰く。
「カレーにするとおいしいわよ!」

 ママの姪っ子のマキちゃんも。
「カレーおいしいですよ!」


 ……え、そういうものなんですか?


 家に帰ってグーグルで検索してみました。

 おお、ありますね!
「熊本から直送」とか、「熊本ならでは」とか、ほとんど熊本の郷土料理のような扱いです。

 馬だからニンジン入れないとなぁ、という関係ない事を考えながら買い物に行き、作ってみました。

 出来上がりは・・・

 うまい!

 いや、シャレじゃなくて、ホントに美味しいです。
 サシの入った肉なので、煮込むととろけるような食感になります。
 牛ほど獣っぽくなく、豚ほどはあっさりしてない味。

 なんというか、意外な味覚体験でした。


 以前、外国人の知り合いが「なんで日本人は、肉というと牛と豚と鶏の三種類しか食べないんだ?」と不思議がっていたことがあります。
 単に、都市では流通とかコストパフォーマンスの問題で出回ってないだけで、日本もその土地土地でそれぞれ、いろんなものを食べてるよな、と思う所です。
 朝、早く起きたので、ひさしぶりにきちんとダシをとったみそ汁を作りました。
 昆布とかつをぶし。
 味噌は溶いたら煮え端で。実はシンプルにキャベツ。
 ああ、香りがいいなぁ。
 朝に味噌汁。
 懐かしい想い出の味。これこそ、お袋の味……

 あ、いや。
 ウチの実家は九州なので、ダシも味噌も違いました。しかも父親が嫌うのでキャベツは味噌汁に入れません。
 雰囲気に流されて記憶まで改竄してはいけませんね。

 考えてみれば、関東で暮らす時間が長いので、「懐かしい味」というと東京の外食の味で、家庭料理と言うと料理本を参考にした「自分の味」です。
 だいたいウチの実家は、うすくち醤油に砂糖がどばどば入り、洋食と言うと何でもケチャップ味な、独特のパンチの効いた味なので、現代の料理本に載ってるような家庭料理とは別ものです。
 肉じゃが、鶏大根、鯖みそ、ひじき、おから、ぬた、お雑煮でさえ、自分が作ると実家の味とはかけ離れたものになります。

 最近では近所のスーパーでも、けっこう本格的な中華やイタリアンの素材を売っているので、他国の料理を家庭料理として食べています。

 このまま行くと、イタリアに旅行に行ってそこのレストランで「オーウ、ナツカシイハハノアジデース」くらいの事を言いそうな気がしますよ。


 あと、親を介護するようになったら、メシを作った時に「味が薄い」とか「かつをぶし使うな」とか「みりんは嫌い」とか「ケチャップ入れろ」とか言われて口論になりそうな予感。
 煮物はぜんぶ水炊きとしゃぶしゃぶにして、味は自分でつけろ、というあたりに収まる気がします。

 日本料理について、外国人が苦手にするのが「自分でつけダレなどを調合して味を決める事」なんだそうです。
 家庭料理の幅が広く、「懐かしい味」にこだわる人が多いので、この「つけダレ調合システム」は、家族にそれぞれ文句言われまくった日本の母たちが生み出した折衷案なんじゃなかろうか、と思う所です。
 十二月に稼いで、二月に備える。
 そんな感じの、仕事の量の変化が毎年ある訳ですが、今年はもうなんていうか、決まらない仕事の数が多く、引き合いよりキャンセルの方が多かったんじゃないか、くらいの感覚です。

 とは言え。
 この2週間はボーナスシーズン、そして忘年会シーズン。
 例年より仕事は少ないとは言え、それなりに忙しい時期になります。

 その間、おそらくこのブログも、テーマごとに書くというよりは、ひとこと日記みたいになると思いますが、できるだけ毎日何か書いていこう、と思っています。



 ひとことネタ。

 マジックが出て来る歌はいろいろありますが、最も印象に残っているのは、POAROの「ブルコンのテーマ」の14番。
 直径45mmの白いマジック用ボールは、必要な割にはしょっちゅう絶版になるため、安定して手に入るものがなかなかありません。

 手に入らない時は、なにか代用できるものはないか、とあちこちを探して歩きましたが……

 結局、造花用素材として売られている発泡スチロール球と、玉というより電球の形に近いクリスマスオーナメント、くらいしか見つかりませんでした。40mmと50mmの玉はあるのですが、45mmという半端な大きさがなかなかないのです。

 やはりこれは、マジックの世界に独特な品物の一つなのでしょう。

 アメリカでも、この45mmはマジック用ボールの一般的なサイズのようで、1 3/4inch(44.45mm)という表記で書かれた解説書を読んだ事があります。
 

 100年ほど前、名人・石田天海師がアメリカで、「なぜ白い玉を使うのか」と聞かれて「自分は手が小さいので一回り小さい玉を使っている。しかし白なら小さい事がわからないのだ」と答え、実際に比べてみてそのとおりだった、という逸話があります。

 この話から推し量れるのは、アメリカでは「2 inchの赤」が主流で、天海師が「1 3/4inchの白」を使っていた、という事です。
 確かに日本人の手には、2インチ(5.08mm)は大きすぎますね。

 ただ、この話にはちょっと奇妙な所があります。

 まず、アメリカでは2インチしか使われていなかったのか、という事。
 アメリカ人と言っても必ずしも大きい人ばかりではないですし、初心者や子供は小さいボールを使います。
 現代の解説書にも出て来るサイズですし、この、1 3/4inchサイズはマジックショップには普通にあったんじゃないでしょうか?

 とすると、話の主旨は「白が膨張色だと知られていなくて、気づいたのは天海師」という事なんですが・・・いや、いくらなんでも、そんな訳はないでしょう。

 推測するに。

「当時アメリカには、マジックのボールには赤を使うという先入観があった、天海師は赤しか売られていなかったものを白に塗り直して使った」

 ……という話なんじゃないでしょうか。
 そんな常識があったのだ、という前提が、現代ではもう常識ではないのでわからない、という事であれば。

 ただ、本当にそんな先入観があったとして、どうしてそんな思い込みが生まれたのか、という方が疑問ではありますけど。

 文化的にアメリカ人は「白」を色として認識しない、という事も理由にあるのかもしれません。


 抽象的な形状である玉は「ありそうでない形」です。
 重力のある地上では、球という形は不自然です。

 赤い玉ならまだ、太陽や果実のような意味合いを持たせる事もできるかもしれません。
 白い玉は、より抽象的です。
 何かに似ているようで何にも似ていない、具体的な意味を持たないオブジェだ、という事なのでしょう。