私は、居合と能を趣味として嗜んでます。

日本の古からの習い事は、必ず所作を重要視します。

一見堅苦しく感じる所作ですが、一旦身につけてしまえば、最短最速で合理的であることに気づきます。

 

 

武道の礼法に関しては、こちらの本が超おすすめ。

日本人なら、一家に一冊持つべき(笑)。

 

 

礼法といえば、小笠原流ですが、小笠原清忠氏の著書です。

 

 

 

その所作の基本の心構えとしては、一挙手一投足に意識を通すこと。

指の先まで気を通すことが求められます。

 

そして点と点で動作をするのではなく、線で一筆書きで動作を行う。

点で動作をしようとすると、必ず動作に緩急ができるので、見ていてわかります。

キックボクシングの戦い方が、相手を点で捉えているのに対して、太極拳などの流れるような円の動きを対比させるとわかりやすかと思います。

 

例えば、目の前にあるコップを口に運ぶ時、多くの人はコップをつかんだ瞬間と、口につけた瞬間は意識があると思うのですが、その間の口に運ぶまでの時間帯、きちんと意識して自分の口まで運んでいるでしょうか?

おそらく無意識にやっている人がほとんどだと思います。

この瞬間はある意味、気絶しているのと同じなのです(笑)。

虚になっていて、ここに隙ができるので、この間に攻撃されるとヤられてしまうわけです(笑)。

 

そう思って自分の様々な動作に意識を向けてみると、ほとんど点でしか意識できておらず、その間の0.5秒くらいは、意識が途切れていることが感じられるようになります。

これ、スピリチャル好きな人の言葉で言えば、「今にいない」瞬間なのです。

古神道的には中今にいない状態と言えます。

 

一秒間の間に、如何に意識を途切れさせず、一秒をどれくらい細かく刻んで、自分の所作を認識できるか。

これが養うべき精妙さであり、日本の「道」とつくもの(武道、華道、茶道など)の所作の中で極めてゆくものなのです。

なので私は、稽古中はとにかく気と意識を途切れさせず、一筆で所作をすることを意識しています。

 

指先まで気が届いて、途切れることなく一筆で続いていく動きというのは、見ていて本当に美しいです。

無駄な力も抜けているので、止まるべきところでピタリと止まり、ブレがないのです。

これが点でしか捉えていないと、一息の一筆とはならずに、終点も必ずブレます。

 

『武道の礼法』から、日本の武道についての美しい説明があったので、引用します。

 

加えて、もう一つ、日本人には、省略という考え方があります。

無駄を省くということです。

無駄がないということは、そのまま実用につながっていきます。

そしてこの実用ということに、美しさを求めているのです。

この「実用、省略、美」とくことに関連性を持たせているのが、日本の武道の基本的な考え方なのです。

 

蛇足ですが、「無駄がない」というのは、武術的には、最短最速であるとも解釈できます。

 

 

ここからは、木曜日に公開されたばかりのTOLAND VLOGさんから。

アフリカの部族が教えてくれた、日本人の所作の意味。
 

自分が日常やっている何気ない所作を、感じ、愛すること。

ペンキ画家のSHOGENさんは、「自分が普段やっている所作に、物凄い喜びを感じながら昔の日本人は生きていたんだ」とアフリカの部族に教えられたそうです。

 

 

所作を美しく、気を通しながらやっていると、なんとも言えない深く静かな喜びがあるのは確かです。
 
 
話はここから飛びますwww
 
動画の中でも触れられていますが、「縄文時代の次に、縄文が濃かったのが江戸時代だ」と聞いたことがあるかと思います。
武士の文化を作ったのは原日本人(縄文人)の血が濃かった人々。
なので江戸時代が、「街で不機嫌な人がいない」社会だったのではないか。
対して弥生時代、飛鳥時代、平安時代、明治以降の文化は、天皇・公家がトップの元渡来人中心の社会。
彼らが作った社会は、特権階級以外は不遇だった時代だとくくることができる。
やっぱり血なのだなと思います。
 
 
最近はいろいろな人が「次は日本だ」とか「日本人がキー」と言っていますが、なぜそうなのかは、私は超優秀な先史文明を作ったネアンデルタール人の血が日本人は濃いからなのだと思ってます。
ネアンデルタール人が作った超エコなハイテク文明、なのにその社会にはお金というシステムがなかったわけですから。
超ハイテクで、全て科学で説明できるので、神秘も宗教もなかっただろうし、おそらく身分制もなかったはずです。
人間の質と科学が劣化して、現象に説明がつかないことが多くなると、一神教的に神格化された存在が現れ、自然と社会にピラミッド型のヒエラルキーが登場するのではないでしょうか。
 
現代文明のネックになっているのがお金というシステムであることは、既に皆様お気づきかと思います。
お金というシステムに多くの人が拘るから、柔軟に社会変革をしなければならない時期なのに、いつまで経っても変革が進まない。
予定されていたグレートリセットが進まないのも、石油利権を維持したい側(BRICS)とそうでない側の、仲間割れにも感じるのです。
 
人類の集合魂が送ってくるシグナルを、素直に実行して社会を作り変えてゆかないと、現文明は存続すら危うい段階に入っています。
お金が支配する現文明で、天からのインスピレーションだを実行するためだけに生きるのは、とても難しい。
しかし、それを実行しないと人類は滅びの瀬戸際にあるわけで。。。
ジレンマですね。
今世界を支配している欧米人は、どうやってお金がない社会を作ればいいのか、発想の転換ができないのだと思います。
 
 
ですが、世界にその社会を作れる可能性がある、文化と民度がある国が一つだけある。
お金がない社会を再度地球に作れるのは、お金がない社会を作っていたネアンデルタール人の血が濃い日本人。
動画の中でも、ひすいこうたろうさんが「僕らの血に眠る記憶を、2025年までにどれだけ呼び覚ますことができるのか」が本当に大切だとおっしゃっています。
しかしそれは案外簡単にできるはず。
自分のDNAに聞けばいいだけですから。
そしてそれは必ず思い出すことができる。
 
 
昨日公開された、TOLAND VLOGさんのペンキ画家SHOGENさんの続きの回。
みなさん、是非ご自身でお聞きになってください。
日本人の目覚めは、2025/7/5までが期限のようです。
口伝である必要があったのは、カムウツシをしたいからですよね。
ここで言われている自然との会話ですが、自分は登山しているときは普通にやってますね。。。
ど田舎で育ったので、草木と虫が友達でしたwww
 
「自然の声が聞こえる = インスピレーション(集合魂からのメッセージ)をキャッチしやすい」とも置き換えられるはずです。
インスピレーションをキャッチしながら、新しい文明を作ってゆく必要に迫られている人類なのですが、そのインスピレーションを世界中で一番キャッチしやすいのが、日本語族の日本人だった、ということなのでしょう。
 
 
そして、ここでも出てくる2025年。

SHOGENさんは2025/7/5と言われていましたが、私が↓で聞いた日付は2025/7/4なのですよね。。。

日付が1日しか違ってなくて、ほんとに怖っ!!!

大災害を呼ぶか呼ばないかは、今後の我々日本人の集合的想念次第ということです。

 

 

 

 

 
支配者層の面々も2025年を意識して動いてますから、何かあるのだけは間違いないです。
 
 
お後がよろしいようで、本日はここまで。
読んでいただき、ありがとうございました。